松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

電王戦を、新聞が取り上げた。

2015-04-14 13:52:49 | 日記・エッセイ・コラム

 新入生を含む高校生が、家の前をぞくぞく通っていきます。いいもんです。初々(ういうい)しい雰囲気が良く出ていて、4月だなあと感じます。自分も若かった頃、事務室に選択科目の届け出に来る新入生を見ていました。その中に、まったく言葉通りの「目がきらきらと輝く」生徒を見たことがあります。その子の笑顔は、見た瞬間に性格が分かるほど、好奇心に満ち、真っ直ぐな、明るい、周りの者を巻き込む人格を持っていることを語っていました。そんな子は、今もいるのでしょうか。

 きょうのさきがけに、電王戦の話題が取り上げられていた。一般紙が取り上げるほどの「内容」だったのだろう。それはいかにもプロ棋士が、ずるいやり方で勝ち越ししたことを、問題視するかのような書き方だ。「見応えのある将棋か、勝負にこだわるのか。人間とコンピューターが戦う意義は-。電王戦の次回開催は、岐路に立たされている。」と結んでいる。しかし電王戦は今回が最後という約束で行われたはずだ。だから岐路も何もない。戦う意義は、教えてあげましょう。機械が人間と同じ「思考回路」を獲得できるか、という命題なのである。それにうってつけの課題が将棋という遊びなのだ。

 阿久津八段がトリップを仕掛けてまで勝ちたかった理由は分かる。2勝2敗の展開で来ていなければ、勝負にこだわる将棋は指さなかっただろう。「プロの敗北」という結果は、受け入れ難かったに違いない。そしてルールに従った中での勝ちなんだから、誰にも責められる筋合いはない。この第5局の結果は、そのまま、ソフトが人間に及ばなかったことを意味している。巨瀬さんは、正々堂々戦って欲しかっただろう。だから、これはプロがする勝負とは言えない、という意味で、早めに投了という形を取った。その気持ちも良く分かる。

 皆さん、消化不良を起こして、欲求不満で、再戦を望むなら、また来年、主催者のドワンゴは考えるだろう。しかし未だに、コンピューターが「将棋」という課題に於いて、人間を凌げないという事実は、個人的には信じがたい。信じ難いし、人間の能力は、たかが機械に譲るほど単純なものではないと信じる。

コメント
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