松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

一枚の写真

2014-12-11 11:14:27 | 日記・エッセイ・コラム

 これは平成9年10月に両陛下が秋田県に行幸啓された時に撮影したものだ。職場の目の前の国道を向かわれるというので、旗を持ちみんなで待った。カメラはとってもチャレンジしたかったので、畏れ多いとは思いながら堂々とぶら下げて道路際に場所を取ったが、警護の誰も注意しなかったので、いいのだと思った。フィルムカメラの時代で、しかもオートフォーカスでもないから、一発勝負だ。白線のこのあたりを通るだろうと決め、そこにピントを合わせた。シャッターを押した瞬間、手ごたえがあった。このネガはその後、貸してほしいという人にすべて貸した。うちでも何枚か引き伸ばし、家族で分けた。この一枚は我が家にずっと飾ってあるもので、私がやったものではない。妻が積極的に額に入れ、最初から玄関に飾ったのだ。ここを強調したい。

 つまり世の女性方が、もともとは皇室でなかった一般女性の美智子様を、今では天皇陛下と同じようにお慕い申し上げている、という事実が重要なのだ。女性誌の多くは、皇室の男性皇族よりは皇后さまや皇太子妃、そして愛子様を頻繁に取り上げているという事実だ。これでぐっと発行部数も増えるらしい。

 日本は民間からして男尊女卑ではない。家を継ぐのは女性でも良い。娘にムコ殿をとり、それでその家は代々家系を存続させてきた。大事なのは男系でなく直系ということだ。直系ならば男子でも女子でも構わない。

 そうやって自分の家のことを考えると、娘の方がむしろオレに似ている。そして息子は妻に似ている。そういうパターンは結構多いのではないだろうか。外見も中身も、女子の方に良く引き継がれる。そういうことはよくあることだと思う。女子の役割は思いのほか大きいのではあるまいか。

 古代の女王、卑弥呼は権力もあり、巫女のような神に近い存在でもあった。女帝が多く活躍した時代は、男性以上に統率力もあり発言力もあった。決断力もあった。そういう人が祭祀を行っていた。それが変わったのは、明治になって皇室典範ができた時だ。この時は、かなりの議論があって「女系天皇を認めるべき」という意見も多かった。この頃の天皇は陸海軍を統帥する大元帥でもあり、時代背景の影響が典範にも反映されたと見ることができる。ここですでに岩倉具視あたりが「万世一系」という言葉を使い始めた。

 小林よしのりは田中卓先生から「万葉一統」という言葉を聞く。皇統は1本の細い糸で繋がっているのではない。帯のような幅を持って、女系も傍系も含めて繋がってきたと考えるのが自然だと教えられる。そして決定的だったのが昭和22年のGHQによる皇室典範改正だった。

 マッカーサーは、皇室典範を憲法より下に格下げした。これで一番大事な自身の後継を定める権利は、国民の側に移ってしまった。これは皇統2600年の歴史の中で初めての出来事だ。天皇陛下が憲法があることによって、ご自身の発言ができない。これって、おかしいでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする