FNS歌謡祭、長すぎるべえ。でもNHKが和田アキ子を蹴った理由が分かったような気がした。二人でコラボすると、実力の違いが良く分かる。和田アキ子は、声が出てない。しかも音程を外している。宝塚の男役と歌った時は、完全に男だった。相手は男装しているが、張りのあるトップスターらしい見事な声量だった。もう和田は、表現者としては、舞台を降りるべき人間かも知れない。
もう一ついいですか。タカタのエアバック、リコールが全米に広がっています。日本にいると、エアバッグは最後の手段で、そんなに頻繁に作動するものではない感覚があります。命が助かったら、目に障害が出た程度で済んで良かったと、なぜ思えないのだろうか。エアバッグが膨らんでも死亡するほどの事故なら、もう救いようがないレベルじゃないか。しかしこの件によって全米自動車協会は、胸がすっとしたことだろう。これで、日本近海の地下深くにいるナマズは活動をしばらく控えることになるだろう。案外、安倍さんの突発的な解散は、未然に何かを防いだのかも知れない、なんて考えてしまう。
もう選挙結果は見えているみたいだから、投票に行かなくてもいいだろう、ぐらい考えている人が多いのではないだろうか。それはとんでもないと言いたい。選挙で決まるのは議員だけではない。最高裁裁判官の国民審査がある。これで最後の砦、民主主義が担保される。あるHPでは、左側の二人に「ノー」と意思表示しよう、と運動している。いわゆる「1票の格差」だ。2倍を超えたものを、「違憲状態」であるとしながら、選挙結果が有効だとは何事か、という意味なのだろうか。しっかり読んではいないが、確かに変な判断だとは思う。もし選挙無効なら、そのあとはどうなるのだろう。もう一回選挙するのか。都会の人はその格差に承服できない人もいるかも知れない。しかし過疎県に住む者としては、地方からの代議士が減ることは死活問題になる。そういう温度差もあるということを、良く考えた上で是非、投票に足を運んでほしい。秋田県は不在者投票が前回40%に上ったそうだ。よほど投票所の雰囲気が嫌いらしい。嫁も、ぐるっと囲まれて、静かーな、ムードにたまらないものを感じるようだ。それが民主主義の基本なんだがなあ。
裁判官という職業につく人は、人一倍「自由平等」の権利にうるさい人が多いだろう。個人が何かの権利を侵された場合、我慢できないに違いない。この平等精神はむしろ社会主義に近い気がする。戦前も民主主義はあったが、GHQによって「個人の権利」が優先してしまった。このマインドコントロールをもろに代弁しているのが、戦後教育の成果である裁判官なように見えてしかたがない。