松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

冬場は、省エネ運転はしない。

2014-12-08 14:20:34 | 日記・エッセイ・コラム

 こないだネットニュースで、ガソリン半タンで省エネみたいなコラムを見たが、今の時期それはないだろう、と思った。北国では雪道は後ろを重くして走るのが常識だ。ガソリンは勿論満タン。そのほかトランクに砂袋を入れている人もいる。車の前部はエンジンの重さで踏ん張れるが後ろは軽い。だから何かしらバランスを取る必要がある。軽自動車がクルッと回転して後ろ向きになるのを良く見たものだ。ホイールベースが短い上に、後ろを軽くしていると、見事に回ってしまう。そういうドライバーは瞬時にカウンターを当てることもできない。だから雪国の人間はトランクに脱出用のジャッキや毛布やシャベルや非常食まで積んでいる。みんなそうとも限らないが、自分は誰も通らない大潟村の農道を能代まで通った経験から、いろんなことを学んだ。

 夏場の省エネ運転に関してもプロですよ、私は。半タンどころかゼロのラインの下、どこまで走れるか、チキンレースみたいな運転をして通勤したこともある。燃費が上がることは間違いない。その結果、針がかなり下まで大丈夫なことが分かった。ゼロを指してから50kmは楽に走れる。そこまでいうなら車体を軽くするために、要らない座席を外しましょう、なんて書いたこともある。はるか向こうの信号が赤に変わるのが分かっているから、惰性でトロトロ走る。すると後ろに付けた車は、次から次と割り込んで来る。おー、オレの前に入ったな。スタートダッシュできるんだろうな、とピターッとくっついて後ろから煽る。たまにエンジン全開にしないと、ストレスが溜まって省エネ運転も楽じゃない。40k近辺で長く走っていると、いつまでもギアが「サード」のままでトップに上がらない時がある。その時は、ポンとアクセルを踏む。そうやって早くトップに持って行きエンジン回転を下げる。いろんなプロの技があるが、今の人は気の毒に思う。ダートを走った経験がない。生まれた時から舗装道路だ。だから車体の姿勢が変わった時にハンドルをどうすればいいか、経験から分からない。石ころ道の誰もいない広めのワインディングロードなんか最高に楽しいですよ。自分はそういう道で、カウンターを当てる、というワザを磨きました。レーサーが良く使う「ヒール・アンド・トゥ」もできるまでになりましたよ。普通のオートマ車でね。以上単なる自慢話でした。

 しかし今は、家族がどれだけ怖い思いで自分の運転する車に乗っていたか、ぞっとするほど想像できるので、心を平静に保ちつつ安全運転を、なるべくするように、一人の時も、心がけてはおります。何しろそのせいで、長男は未だ高速道路を走ることができないのですから。

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所功先生の前ではしゃぐ、竹田恒泰氏。

2014-12-08 07:35:02 | 日記・エッセイ・コラム

              所功(ところ・いさお)先生を前に、はしゃぐ竹田恒泰氏

「たかじんのそこまで言って委員会」を遅ればせながら見た。すると不思議なことに、竹田恒泰と所功先生が行儀よく隣同士で並んでいた。しかも竹田氏、機嫌がよろしい。それは所先生のこれまでの主張の「潮目が変わった」ことに喜んでいたのだった。ついに落城させたぞ、という思いがあるみたいだ。つまり旧皇族の復帰はあり得ない、という所先生が、「竹田家」を含む4家の皇族復帰も視野に入れると、踏み込んだ発言をしたからだ。竹田恒泰氏始め4家の成人男子は一般人として生まれたとはいえ、明治天皇の血筋を引いている。だから必ずしも愛子様との結婚を前提としているわけではないが、皇族の先細りを考えると、そういう考え方もあるという。

 本当に皇統の行く末を心配しているのは、所功先生だけなのかも知れない。そこまで譲歩しなければ、絶えてしまうほど深刻な状況なのだ。司会の辛坊治郎は短絡的だから、すぐに愛子様に民間人が婿入りした時のことを持ち出す。あいつはヨットで一辺この世からいなくなったやつだ。あの事故から何も学んでない。ちっとも謙虚さというものがない。それでも所先生は、一般男性でも皇室会議で認められるなら、中へ入れるようにすればいいと考える。父方であろうが、母方であろうが、血の濃さは変わらない。とオレも思う。ここが中華思想と違うところだ。中国も韓国も男子優先、女子は苗字すら継がせない。墓にも入れない。

 うちの嫁は韓国ドラマの大家だから聞いてみた。法事の場面で女性が先祖様を拝む姿を見たことあるか、と言ったら、ないという。それは男子の役割だからだ。完全なる男尊女卑。しかし日本はそうじゃない。母が天皇となり、母から娘へという皇位継承もあった。「天皇」という君主号が成立したのは、推古天皇の時代。「日本」という国号が成立したのは持統天皇の時代。いずれも女帝だ。

 所功先生は誠実な方だから、策略とは縁がない方だと思う。でも今回の出来事は、議論を現実化する意味でも、この論点は重要だと思う。なにせ、旧皇族といっても、候補者は実質、竹田恒泰氏しかいないのだから。つまりこの議論の中心は竹田恒泰氏個人なのだ。歌手でもタレントでも、世間を盛り上げて構いませんよ。そういう人と、愛子内親王を対比させると、はっきりとカラーが違うと分かるからね。

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