棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

靖国神社を考える-2

2018-08-13 14:23:42 | 山郷の暮し
 靖国神社の問題にたいし感情論になってしまうのは、私ばかりではないことに、この問題の難しさがありそうだ。
一つの要因と思うのは神道には、大宗教のような教典又は神学等がない。
つまり教えに対して成否の判断ができないか、あいまいになってしまう。
 神社の構成が宮司に負かされ、それぞれに運営されている。
統一された教え又は導き等がないゆえに、宮司の決定に賛否を問う基本的な綱領が無いらしい。

 神社は何がしの神様がおいでになる。
または降臨される祈りの場であることには否定すべきではない。
一神教の宗教体系にとって、神道の八百万の神々の感覚は不思議なことらしいが、私のささやかな辺境地への旅の経験から、
豊かな自然環境にはぐくまれた日本国土ゆえに生まれ育った宗教観だとおもう。
長野県護国神社境内の慰霊碑
 
 御来光に思わず合掌をし、非日常的なパワーを感じ取る受動態を宿している日本人。
巨木・巨岩・山野に対して、それが神様だと認識しなくとも、ても同じような感性を持つわたしたちです。
そんな私たちに天皇のために戦って亡くなった御霊(英霊)を神社に祀るとは「神様にする」ことではないだろうか。
下卑た言い方をすれば、なにもご褒美が無いから勲章をあげて「神様の扱いをしよう」とでもいうようにだ。
靖国神社はそんな自然観から生まれた日本人の心・信仰心 から乖離したものではないだろうか。
 
 浅学で靖国神社の歴史を薀蓄できないが、今日の問題は当初から問題があったうえに、とんでもないことが起きてしまった。
太平洋戦争で亡くなった方々の英霊を合祀するのは100歩譲ったとしても、A級戦犯を合祀し、時の首相が参拝を始めたことにより、
侵略を受けた国々から猛反発を受け始めた。当然なことである。


 プライムニュースから知ることができた数々に驚きとともに、まさに眼からうろこが落ちる思いであった。
 
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