棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

金魚のウンコーー福島編

2012-08-21 06:33:58 | 山郷の暮し
午後3時過ぎの強烈な西陽。
福島の蒸し暑さとはまるっきりちがう、刺すような、痛みすら感じる陽射しです。空気が澄んでいるだけ紫外線も強い。
猛暑はまだまだ続きます。十二分にお気お付けください。
 軽いノリでの 金魚のウンコ 的な福島県行きでしたが、私が勝手に東日本大地震の想像を絶する光景を期待していた、物見遊山気分だったのが本音だ。
地図を見直すまでもなく、巨大津波の海岸線は福島県の一部だ。いわき市のとなり町(古殿町)というだけの行動でした。
 立ち寄った駐在所の警察官も言いましたが、ふらりと出向いても宿泊できるかわからない。
復興に向けて各地から作業員が入っていることと、夏休み観光客でいっぱいではないか・・・と。
 しかし「東日本大地震を描く」で今少し納得がいかなかった、広い大地 の感じがつかめた。
というのは、他者から見ればなんの違いはないと言われそうだが、どうも風景が信州の小さな空になっていることが気になっていたのだ。
絵というやつは目を閉じて思い浮かぶ確たるものから生まれでないと、排便の途中みたいな感じかして落ち着かないものです。
いますぐに手直しをするわけではありませんが、金魚のウンコをしっかりと吐き出し限ましょう。

 念願の福島県でしたが-2

2012-08-20 06:53:57 | 山郷の暮し

念願の福島県に入ったが、どうにも動きのとれない古殿町だったが、歴史は古い地だと思える。残念ながら旧跡をトコトコと訪ね歩く元気はなく、ともかく蒸し暑かった。
おらんチ(処・家)は涼しくていいな~~。と木陰にたたずめば「どこサ行くう??」とザルを背負ったお祖母ちゃん。「どこサ行ったらいいかわかんねーー」と小生。
 古殿町の主要産業は林業とみえ、材木工場が点々とある。
周囲の丘山も鬱蒼とした檜や杉の森が連なっている。
そのことに関係あるのか、家々が新旧ともに大きく立派である。特にひさしが深く、中にはお寺のような家も珍しくはない。そのことを聞くと「な~んも。めずらしくもネーーさ」と。
 駐在所によれば、よく来てくれたと冷えた麦茶をごちそうになる。あと2年のご奉公だと語り、地震の話に及ぶ。
古殿は地盤がしっかりしているので他所にくらべて良かったほうだ、と語ったが、瓦の山がいたるところにあった。
夜、居酒屋に行ったが在庫の銘酒がほとんどだめになってしまったという。
 帰郷には友の車に拾ってもらうことになっており、この街から抜けだせないでいた。

写真は修復中のお寺 境内には灯籠などの石造物が倒れたままでした。

念願の福島県にいきましたが・・・

2012-08-19 08:44:38 | 山郷の暮し

エンジニャーの友人がメンテナンスのために、盆明け早々に福島県に行くという。
軽いノリで「つれてってーー」と便乗する。初めてのことではないので、社員の方々も顔見知り。
 松本より高速道路一本で6時間。着いたところは古殿町(ふるどの)という聞いたこともない山の中(信州からしたら丘山だが)。
地図上ではお隣のいわき市までは大した距離でもなく、バスで行けると予定をしていたがそのバスが無い。
「岩城へのバス??。ここさーみんな車で、オレもバスなんか乗ったことねーなーー」
役場に行けば「ふ~~~ん。ここはどん詰まりのところで、岩城に出るのには郡山までもどらねーーと」
つまり、便乗してここ古殿町まできたが動きが取れない。そもそも友人の仕事は山の工事などに仮設される、索道の電気技術者だ。仕事のことは不明だが、地震で傾いた送電鉄塔のことらしい。山の中は当然だった。
 古殿町は鎌倉時代から始まったという流鏑馬(やぶさめ)が有名。
観光といっても特になく、パンフにある古殿八幡宮の場所をアバちゃんに問えば「この道さ~まーすぐ、100メートルも行けばすくさ~」
ものすごく蒸し暑いなかを、トコトコと2キロちかくも歩いてくたびれたーーー。
続き

夏休み

2012-08-16 06:43:05 | 山郷の暮し
暑さ寒さも彼岸まで とはよくいったものです。
今週はあの猛暑はなく、朝夕は涼しい空気がながれます。
雑草が生い茂る中から緋色の曼珠沙華や桃色のキツネノカミソリなどが点々と見えます。

 我が家からすぐ下を流れる女鳥羽川はアシが生い茂り、水のきらめきは見えないが、子供たちの元気な声が数日前は聞こえていました。
時にはうるさいくらいでしたが今は無く、どことなく寂しく、こどもたちの声はいいものだと想い出します。
お盆休みも今日まででしょうか・・。恒例の学生たちが集う宴会合宿も昨日終了し、
当初はチビスケのハナも落ち着かずワンワンとけたたましく啼きましたが、帰りにはしっぽをちぎれんばかり振り続けていました。

酷暑の地-3

2012-08-15 14:44:13 | 山郷の暮し
一番暑かった所を思い出しての話ですが、正直思い出話よりは 現在の話 であったほうが楽しいのですが・・・、

話を戻しますと、サングラスのフレームで火傷をした砂漠の遺跡だったが、同行したパキスタンの家族(4名くらいだったか)は、
さすがに強く、あちらこちらを見学していたようだった。
 ラホールの街に戻れば彼らは私と違ってAC付の立派なホテル泊。
当時酒は外国人でなければ買えず、金を出すから私に買ってくれ、ということなにった。
もちろんOKでごちそうになった。
蛇足ながら、ハイクラスのホテルではラマダーン・断食などあまり関係が無かった。
そして、クーラー無しの、我が蒸し風呂ぼろホテルにもどれば、停電で、扇風機も役立たず。
シーツを水にした浸しながら、もだえながらの苦行の夜が続いた。

思い出しついでに乾燥期のインド中部デカン砂漠。
砂漠といっても砂の大地というよりは、硬い赤土・岩など。樹木もあるが葉が生い茂るという樹木ではない。
くそ暑い日中は長距離バスも運行せず、もっぱら夜中であった。
人息にむせかえる夜中のバスに乗って分かったことは、砂煙があがる夜の街道を沢山の人々が移動していることだった。
夜中の街道は日中より多くの人や家畜が活動していたのだった。
夜は危険なので行動をしていなかっただけに、暑い地は気温の下がる夜を観察しなくてはいけないことがわかった。

酷暑の思い出-2 ラホール博物館

2012-08-11 06:58:27 | 山郷の暮し
「ラマダーンに博物館なんて」と言われてしまったパキスタン・ラホール博物館。
館内はこれまた蒸し風呂、見学者は数名しかいきあわなかった。
世界の宝「苦行するブッタ」は演出した展示でもなく猛暑に耐えていた。居並ぶガンダーラ美術の仏たちの上を鳩がとんでいた。
人が本当に菩薩の域までに達し、現前したすがたに見入った。その感動は後に話しましょう。、
 たしか博物館の説明パネルからだったと記憶するが、ラホール市から車で2時間ほどで行かれる遺跡の案内があった。
聞くとバスもあるが今はわからないと・・・。それでもバス停を聞き出かける。しかし、真夏のこの時期は中止だという。
ならばタクシーーと奮発したが「あんな熱い所はいかねー」ということであったが、現地の品のある家族も行きたいから一緒にということになった。
遺跡・・・何の遺跡だったか忘れたが「アッチィーー。」焼けどをしそうな熱さだ、という印象の所だった。
実際、金属製の腕時計は危険である。私はサングラスのフレームで顔に火ぶくれをおこしてしまった。
かくも熱かったが、蒸し暑さとはまったく違い、日陰はスーーーと心地よい。(とまではいかないか)
そうそう、かの地では男女とも長袖・ぶかぶかズボンで、私も着ていたが直射日光を避けるにはよく、衣服文化は自然環境と切り離して考えてはいけないと知らされた。
写真は85年代のラホール博物館のパンフ。ざら紙でおそまつなしろものだ。


酷暑の思い出

2012-08-10 06:53:29 | 山郷の暮し
熱中症の危険を連日報じられている今年の夏。3-4日前までは、ここ花の谷でも暑かった。
今朝は涼しく長袖での散歩ちょうどいい。このまま夏が終わるわけではないが、暑さ寒さも彼岸まで・・。
とはいっても、南の都会に比べたら「ぜいたく言うな」といわれそうですが・・。
どちらかというと暑い夏は大好きで、体調も極めてよく、よく眠れよく食える。なによりも「アジィーー」とデレーーとしていられるのがいい。
ボケ頭で、今までに経験した一番暑い地を思い起こすと、なんといってもパキスタン・ラホールから広がる砂漠だった。
 ラホール博物館のガンダーラ石仏を観たく、蒸し風呂以上のすざましい汽車にのってでかけた。
真夏のラマダーン(知らなかったのだが)に当たってしまい、食い物が売っていなかったが、仏教徒のお前は断食をしなくてもいい、と乗客がこっそり水や食料をくれた。
今思い出しても、涙が出るほど嬉しかったが、腹をすかしている連中の中で、飲み食いはできるものではない。
 汽車が急停車。なんとメッタにない砂嵐に遭遇してしまい、あらゆる隙間から砂が吹き込んでくるすざましさだった。
どのくらい停車をしたか忘れたが、現地の旅行者もぐったりしてしまい、ようやくたどり着いた駅で衣服の上から水を浴びた。
蒸し風呂の暑さから、さらに熱いところは砂漠にある遺跡だった。
つづく

酷暑の思い出

2012-08-10 06:47:58 | 山郷の暮し
熱中症の危険を連日報じられている今年の夏。3-4日前までは、ここ花の谷でも暑かった。
今朝は涼しく長袖での散歩ちょうどいい。このまま夏が終わるわけではないが、暑さ寒さも彼岸まで・・。
とはいっても、南の都会に比べたら「ぜいたく言うな」といわれそうですが・・。
どちらかというと暑い夏は大好きで、体調も極めてよく、よく眠れよく食える。なによりも「アジィーー」とデレーーとしていられるのがいい。
ボケ頭で、今までに経験した一番暑い地を思い起こすと、なんといってもパキスタン・ラホールから広がる砂漠だった。
 ラホール博物館のガンダーラ石仏を観たく、蒸し風呂以上のすざましい汽車にのってでかけた。
真夏のラマダーン(知らなかったのだが)に当たってしまい、食い物が売っていなかったが、仏教徒のお前は断食をしなくてもいい、と乗客がこっそり水や食料をくれた。
今思い出しても、涙が出るほど嬉しかったが、腹をすかしている連中の中で、飲み食いはできるものではない。
 汽車が急停車。なんとメッタにないという大砂嵐に遭遇してしまい、あらゆる隙間から砂が吹き込んでくるすざましさだった。
どのくらい停車をしたか忘れたが、現地の旅行者もぐったりしてしまい、ようやくたどり着いた駅で衣服の上から水を浴びた。
蒸し風呂の暑さから、さらに熱いところは砂漠にある遺跡だった。
つづく

アルテミウスについて

2012-08-09 07:21:43 | 山郷の暮し
今日は長崎原爆投下の日です。
写真は 年制作 「人類の終焉を観る私」f80
この絵の感覚が「東日本大震災を描く」原発爆発の部 へとつづいています。

 さて、昨日投稿した天理参考館収蔵のアルテミウスについて続けましょう。
 アルテミウスは  古代ギリシャ神話の ゼウスを父とする
      太陽神 アポロンと 双子の “ 月の神  アルテミウス  ” 
 
美しいお顔に全身ぶどうの房のごとくおっぱい!!。
豊穣を願う思いが、すごい姿を生み出したものだ。(こりゃーー、お父ちゃんはいそがしいだろうなーー。)
ギリシャ文化以前のエジプトにおいても、母犬のおっぱいに吸い付く子犬たちの像がある。
安産と豊穣は切っても切れない関係で、多産と安産を祈る思いは「犬信仰」へとなり、
特に女性の守り神として崇められていったことは、あらゆる民族に見られる。
現在も犬を大切にしている熱帯雨林に暮らすダヤック族は、犬の刺青がおこなわれている。
 おっぱいは二つよりもっと多い方がタノシイ!!ってワケではなかろうが、
全身におっぱいをつけてしまうというおおろかな発想は、古代なればこそだと思う。
恐れ多き神々で有りながら、身近に感じ取っていた故に生まれでた造形は、
観る人々も素直に神と感じることができたのであろう。
天理参考館で直接見てはいないが、古代人のように素直なこころでお会いしたいものだ。

天理参考館

2012-08-08 06:39:24 | 山郷の暮し
行ってみたい美術館・博物館は数多あるが、中でも天理参考館はぜひ訪ねたい。
というのは、過去二回 機会はあったが休館日だった。その悔しさもあるが、ぜひぜひこの目で見たい展示物がある。
 写真は1978年「天理」からのコピー「豊穣と多産をつかさどり、動物を守護するアルミテウス」ですが、
この本の出版より以前に記載されているのを読み、その造形にびっくりし、いたく感動した。
その像が日本にあったとは、「天理」を読むまでしらなかったので恋しい博物館となった。
 先日、陳舜臣「龍鳳のくに」を読んでいましたら天理参考館のことが書かれていた。
要約すれば、氏の研究している、中国の墳墓壁面を装飾していた「画像セン・・被葬者が死後の世界も生前と同じように暮らせるように
粘土によって生活風景を表したもの」の素晴らしいコレクションがあるという。
 また、天理参考館がほかの博物館と異なることは、これみよがしの美術品ではなく、
物の中にこめられている人の心に重点を置いているコレクションだと・・・。
「世界の人々の心のつながりを求めている精神が、脈々とそこに流れている。
私たちはそれに応じるために、ただ好奇の目ではなく、心の奥に通じる目でコレクションに接するべきであろう。」

と、いたく感動を込めて書かれています。
巨大な展示場は、数日かけてじっくり観ましょうと語っています。ますます観覧したくなりました。
博物館ばかりでなく「天理図書館」の蔵書はゆうめいですね。信徒に関係なく開放し、幾多の学者が訪れている図書館と聞きます。
 

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本