棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

新作 華嘩成人

2016-06-29 11:04:44 | 山郷の暮し
今年初めて本格的に油彩を描いた「華嘩成人」F50 110x130cm
二週間ほどで完成したが、体内から湧き上がっり描かずにはいられない、というような制作ではなかった。
むしろ、描かねばならぬ という強迫感とも不安感に近いものからで、フット浮かんだのが今年の成人式で見た女の子達。写真に撮ったのだが特に漫画チックともいえるかわいい子である。
それらの写真を見ている中で、小ぶりなこの女を中心に賑やかに晴れ晴れしく、ひたすら明るく描くことにした。

同輩の女の子たちが、小さな子の身の丈に合わせ記念写真を撮る。
この小さな女の子は、多少知恵遅れかもしれないが、皆から愛されていた。
身の丈に合わせてとは優しさや思いやりなどの友達愛の一景なのである。
そんな物語を創作またはセッティングしてのものである。

私の制作テーマは物語性と哲学性を潜めることにあるのだが、このたびの制作は一切そのような小難しいことは考えなかった。
また私の作画は基本的には写実である。
其のものを見定め抽象的なデフォルメをしても、写実をベースにしたもので具象ではない。
仏画にしても 写実 なのである。
時には制作意図に偏りすぎ、真意が伝わりきれないことが多いが、あえて解りやすくすることや、または説明的にするようなことはしてこなかった。
それ故に多少難解になってしまうが、そのことを楽しんでの創作である。
ところが、このたびの制作はそのような制作意図の変遷や葛藤は全く無かったともいえるもので、気分的にはなんとなく物足りなく、燃焼不足だった。
しかし完成をした現在、隅々まで注意がいきわたり完成度が高いものとなっている。

今、母屋に置いているが、脇には善立寺の壁画写真があり、舞子の絵がある。
今回の作品が特異ではなく、リュウオウマルの絵だなー と一貫していることがわかるが、
私自身はなんとなく制作意図の希薄さが気になる。
だがこの絵にどんな哲学性を潜めさせることが可能なのか見当もつかないし、その必要もあるまい。なんと、定まらぬ思いである。
それ故に、この手記をしている、ともいえよう。





ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本