棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

敦煌の思い出--印

2008-03-19 10:01:28 | コレクション
シルクロードといえば、敦煌。
敦煌といえば砂漠の大伽藍「敦煌莫高窟」
仏教美術を研究する者ばかりでなく、行って見たいところだろう。

気の向くままですが、きついのが一人旅。
シルクロードのつらい旅のなかで、まさにオアシス敦煌。
ホットでき、一ヶ月近くいた。
1990年代は、自由行動が制限されていた中国。
どんな片田舎にいっても、見張られているような、
いやな気分がしたものだった。

莫高窟内は保護のため、団体しか開けてくれず、
しかも懐中電灯でチラチラさせるだけ。
とても、TVでみるようなわけにはいかない。
作戦として、隠れて次の団体がくるまでゆっくり見る。
怖いほどの静けさが、団体のごらい入とともに、爆発的な騒ぎに。

ともかく、中国語は甲高い発音。その上声がでかい。
話はそれますが、今の日本で大声で話をしているのは、中国人ですね。

さてコレクションですが 絹糸道路 と刻された印です。
石はたいしたものではありませんが、魚・龍・亀・兎・波がからみあった、飾り彫りがおもしろい。
私の作品の遊印にしています。

敦煌のお土産切手セット

2008-03-18 12:55:20 | コレクション
1993年、中国はまだ完全開放されていない時代だった。
外国人はダッ換券といって、人民幣(元)と違う通貨であった。
つまり、外人に対し、二重三重の価格制度だった。
中国人のお金持ちは、人民元は燃やすほどあっても、海外の品物は買えない。
そこで、闇マーケットでは、外人用の通貨が五倍以上で売れた。
ある意味では、一万元が人民元に変えると、5--10万元になる。
なんとも、奇妙なお国、御時世であった。

当時の中国の旅は、決して楽なものでなく、他の国々に比べても、最悪であった。
シルクロードの一人旅は、交通・宿・人々などなど、心身ともにへとへと。
それでも、憧れの敦煌莫高窟にいたったときは、いろいなことを含め気がぬけてしまった。

長旅でお土産など買えもしないが、小さな本屋で見つけたのが、切手セット。
今改めてみれば、ひどい印刷にひどい紙。1988年とようやく読めた。

莫高と書かれているのは、タバコのケース。
一応バーコードになっていたのですねー。

当時の紙幣・パンフなど、保存してありますが、
そのおそまつさが、いいコレクションといえます。

ヒマラヤの石

2008-03-16 12:46:06 | コレクション
1981年松本の「岳友会ライフ&マウント」ヒマラヤ遠征隊の、学術隊員として参加。
Mtカングルーは7010mと、8000m級の高峰がある中で低いのだが、1955年の西ドイツ隊依頼の登頂だった。
多くの登山家が挑んでいたのだが、独立峰のため、ひときは気候が激変する山で、難攻不落だった。
もちろん、日本では初登頂、世界で二番目だった。

私は決して山登屋ではないのですが、チベット仏教を研究していたので、今は本家のチベットになくなってしまった、古い宗派の寺院が見たかった。
ソレが残るお寺(ゴンパ)は、ヒマラヤの奥地しかないのです。
それには、特別な入域許可が必要だった。
手段として学術隊員が、いいのである。

話は長くなりました。
そんな私が、用も無いのに6000mの、C-1キャンプ地点まで行ってしまった。
ただし、滞在時間10分ほど。
頭ガンガン・吐き気と高所障害が・・・。
ともかく、適当に石を拾い4200mのベースキャンプに下山。
頭すっきり。酒を飲む。

以後・学術隊員として様々な、遠征隊に入れてもらい、
奥地の廃寺を調査した。
写真の文字が入った石は、経典が彫られたもの--マニ石・・後記の予定

角の石ぶち(ぱちんこ)

2008-03-15 09:40:26 | コレクション
私の子供のころは、確か「石ぶち」と言っていた。
木の又を使い、ゴムを付けて、豆大の石などを飛ばした。
小鳥など打ち落とす、ヤツがいたものだ。
今から思えば、大変危険な遊び道具だ。

そおいえば、アーカイブスの映像に、60年代後半の学生運動のなかで、パチンコで、権力の象徴「機動隊」と、戦っているマンガてきなシーンがあった。

インドネシアはカリマンタン島。
20年ほど以前から、熱帯雨林に暮す人々の文化・宗教の研究にフイールドワーク。
森の喪失とともに、彼らの全てが根こそぎに消えていくのを目の当たりにした。
私のそのままの驚きと、危機感を絵本「森へ帰ろう」にした。

朝日新聞『天声人語」にとりあげられるほど話題作となりましたが、予期もしなかった圧力があり、廃刊に追い込まれてしまった。
このいきさつについては、後日お話をしましょう。

話をもどしましょう。
写真のパチンコは、東南アジアでは珍しくも無い、水牛の角を加工したものだ。
私は、壁掛けの「いちりんざし」にしています。

「森へ帰ろう」は在庫があります。御希望の方はご一報ください。本体2000円プラス送料 着払い

タイの山奥で

2008-03-14 10:05:26 | コレクション
手にしていますのは鈴です。
多分、家畜に付けられているものかと思います。
確か、佛跡で有名なアユタヤの雑貨やでみつけたもの。
風鈴にして、澄んだ音色を楽しんでいます。

私は行き先地の雑貨店には、必ず入り込みます。
一見では使い方がわからない、その土地の必需品の発見が楽しい。
コレクションといっても、ほとんどが、そんなところで見つけたものばかりです。

同じ形の木鈴。コンコト・コンコトと心地の良い音がします。
これは、タイの山の中で、実際につかっていたのを分けてもらいました。
さーー、どこにぶら下がっていたのでしょう。

そーー。小僧ではなく子象さん。
大人の象さんの木鈴は、一抱えもありました。
首をフリフリ、お仕事をする象さん。
森の中からコンコト・コンコト・・・・・・

像使いのオッチャンは、これも買わないかと、ヨイショと持ち上げた・・・。

スリランカの工事現場にて

2008-03-13 12:09:39 | コレクション
アトリエの壁にぶら下がっている一つです。
いつてに入れたのか忘れてしまいましたが、場所はスリランカ。
寺院の修復現場を見学。
軒先の飾り瓦だ。

無造作に積み上げられていたので「売ってくれ」と・・
「金なんいらねー。もっていけよ。一枚だけか?」

スリランカは、今すぐにても行きたいところです。

浅草三社祭りの拾い物

2008-03-13 11:46:35 | コレクション
子供の塗り下駄があった。
1976年5月16日浅草三社祭りにて拾う
と、小さな下駄の裏に書かれていました。

さらに、目の前のおんぶをされた子供が落としたが、
見失ってしまった。

江戸の三大祭の一つ。
三社祭りの詳細については知りませんが、いなせなハッピ姿はかっこがいい。
今日の、度派手なハッビではなく、江戸時代の粋を感じさせる。
大好きな祭りだ。
いまわダメになってしまったようですが、全身モンモン入りのオ兄サンが、この時ばかりは、堂々とした、主役気分。
ゆれる神輿のに乗り、ほや!スヤ!と、調子をとる。

もみくちゃの見物客。私も其の独り。
ぽっくりを拾い上げたときには、もうわからなくなってしまった。

浅草の町衆は祭り準備に、はりきっていることでしょうね。

他人はガラクタと言っても

2008-03-12 14:32:52 | コレクション
他人から見ればガラクタごみでも、自分にとっては夢・思い出の物。
アトリエの棚に、埃を被ったそのままで摘み上げれば、2・30年前のことがパッと思い浮かびます。
時代・場所などまったく無関係に、お話しましょう。

最初は、なんら根拠は無いのですが、
1980年代に、ヨーロッパをフラフラしているときに、
普通の靴屋さんに売っていた木靴です。
13cm 20/21 HOLLAND お土産品ではなく、
日本で言ったら、お祭りにはく子供の下駄なのでしょうか。

オランダといえば「飾り窓」
もちろん行きましたが、自制心がしっかりしていますから、
溺れるようなことにはなりませんでした。

その本当の理由は、経済的旅で、その余裕が無かった、
ということだけですが。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本