棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

私のバオバブ

2008-08-09 17:01:14 | エッセイ・随筆
信州から日光へ車で行った10年ほど前、栃木県の山里一面に広がる緑。
「いったいなんだろー」と見た瞬間「バオバブだ!!」とおもってしまった。
というのは、心から観たくて、さわりたくて、上ってみたい樹。それはバオバブの樹。
南アフリカの砂漠地帯や、マダカスカル島に生息する巨木だ。
まだ達成できていない。
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E3%83%90%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%96&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=image_result_group&resnum=1&ct=title

コンニャクイモとはまったく違うのだが、そお思ってしまった。
早速農家で分けてもらった。
皆に大笑いされたが、大歓迎され、大胆に引きさぎられたコンニャク刺身をごちそうになった。
その芋は3年ほどで、冬の寒さにだめになってしまった。
この山郷の冬の冷え込みには、土中では耐えられないようだ。

今はホームセンターなどで手軽に買えるが、冬越しが難しい。
知合いの方は、何とコンニャクイモの花を毎年咲かせ、新聞記事のネタになっている。
今年は、ぜひ紹介したいと思います。
写真は2年目の小さなイモで、まだまだ貧弱なバオバブです。
また、これをヒントに「ぼくのバオバブ」という童話を書きあげ、コンクールに挑戦しましたがダメでした。
推敲のうえ投稿していきたいとおもいます。

七夕

2008-08-07 15:27:44 | エッセイ・随筆
今日は月遅れの七夕。
日本の伝統行事は太陰暦で行われていたから、本来は月遅れが季節感とあっているのだ。
ときどき、陽暦を基準に日本古来の文芸・文武を論評していたり、はたまた温暖化現象と絡ました、をとっちがえた話までする先生が居たりする。

七夕は陽暦の7月ではなく、サトイモの葉も大きくなり、宝石のような朝露がたまる今でなくてはいけない。
その朝露で墨をすり、願い事を短冊に書いたものだ。
私も意味は知らなかったが、そうした記憶がある。

松本には江戸末期から、はやった珍しい七夕飾りがあった。
羽子板のような板に、男女の顔を描き、紙などで着物を着せ、軒先に飾った。
板絵は下級武士の内職仕事のひとつだった。

今日一般家庭ではみられず、記念館などでの展示となっている。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/matumoto/sakuin/sb-25tanabata.html

親知らず

2008-08-04 18:13:30 | エッセイ・随筆
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno29.htm

親知らず--歯のことではなく、北国一の難所といわれた、
日本海の荒波が叩きつける断崖絶壁の車道だ。
曲がりくねる道はほとんどがトンネル式で、決して楽しいコースではない。
今の季節、新潟から富山にかけ、どこの駐車場も長野県ナンバーが占領し、山国長野県の海と称されてしまう。
親知らずは海水浴よりも釣りである。
といっても、私は語れるほどの成果もないのです。

ではナンダ 本題は芭蕉の奥の細道 
 今日は親知らず子しらず、犬もどり、駒返しなど云北国一の難所を越てつかれ侍れば・・・・
 の書き出し

  一家に遊女もねたり萩と月

芭蕉の句の中でチョット色香がある珍しい句で、たいすきなんてす。
私の解釈となれば、珍解釈になってしまいますが、通釈を読みますと、芭蕉さんは心身ともにつかれきっていたのかも知れません。
「親知らず・子知らず」  全てを断ち切った絶対境の生き様のすざましさを感じます。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/akakb11.html 
ネットを検索いたしましたら句碑があるんですねー。
頭のアドレスです
こんど云ったときにたずねたいと思います。


花のある部屋

2008-08-01 10:09:56 | エッセイ・随筆
7月はまるで腰痛日記で情けない話でしたが、大好きな8月になったからといって、解消したわけでもなし・・・。
今夏は ヒマラヤ仲間と日本の霊場の修験道を歩いてみようと 計画していただけに残念だ。
先日も、秩父山系に面白いルートがありそうだ。と友が酒を抱えて来たばかりだった。

話は一転しますが、私は子供の頃から花生けがだいすきです。
多分、母の生け花をする後姿を見て育ったこともあるのでしょうが、本質的にオヤサシイのダ!!
海外の安宿に泊まっても、花を買ってきては空き缶に生けていた。
タイなどでは、購入した小さな仏像に毎朝献花。
感激した掃除オネーサンが献身的に面銅見てくれた。

今朝もグラジオラスなどを生ける。
掃除が行き届いていない、キタナ部屋が正に「花が咲いた」
我が名・冥・迷・謎 画も一輪の花にはかなわない。
それにしてもグラジオウラスは派手な花だ。
白色にしても、可憐さとか清楚などという、ソソとした感じは無い。
まだ、白バラのほうが優しいくらいだ。

なによりも、花を生ける自分が好きなんです。


奴さん

2008-07-26 18:01:21 | エッセイ・随筆
親ゆずりのヤッコ好きで、3日も見ないと一ヶ月もお眼にしなかったほど。
好きがこうじてつくったほどだ。

今夜は久しぶりにご対面し、一杯やれる。
そおーー。ヤッコといっても凧ではなくて奴豆腐のことです。
充填豆腐であろうが、なんたら能書きをいう豆腐であろうがなんでもOK。
京都の有名店で食したが、わが松本の豆腐はウマイと思った。

蕎麦すきが色々能書きをたれて、蕎麦を打ったり、食ったりするとはちがう。
あればいい。できるならば絹ごしではなく、木綿こしがいい。それもカタイのが。
お皿などを重い石にして、水をきって食す。
パックに入っている水は甘みであり、味噌汁にいれてもいい。
だが、痛風にはヤッコはよくないらしいが、諸説あります。

むかし、ちょっとした割烹料理店で冷奴といったら、親父が
「そんなものは料理ジャーネーから、うちにはありません」ときた。
「こんなうまい料理をだすんだから、手作豆腐に決まってるジャーネーカー」
と、大見得切ったら親父はだまってしまった。
面白いもので、それから親父とはきがあってしまった。

そろそろヤッコで、カーチャンからの形見の薬缶で、焼酎をおかんする時間だ。

赤貧だった芭蕉

2008-07-26 10:33:10 | エッセイ・随筆
私とくに俳句に造詣があるわけでなく、むしろ知らないのですが、思い浮かぶのはほとんどが芭蕉の句だ。
すごいことだ。優れた物体ならば文化財として保存されていくが、忘れ去られてもいく。
ところが、実体の無い「ことば又は文字」によるものは、永遠に続いてゆく。
理解の仕方は時代によって 変化してしまうのは当然だが、そのものは変わらない。変わりようが無い。
そんなすごいものを表した松尾芭蕉さん(1644-1694)は、具体的にどおやってオマンマを得ていたのであろう。
芭蕉の句からは生活臭はなく、苦悩も無い。
といって、自然を歌い上げても 万葉人のような、素朴な自然への驚喜・畏敬ではなく、自然の本質に徹している深さだ。
生活ぶりが判らないのである。
芭蕉を尊敬していた良寛の歌は、深遠な精神の禅境を表しながらも、酒がのみたいだの、腹が減ったの、彼女が来ないだのと生活観が読める。

先日投稿した昭和17年「奥の細詳講」ばかりでなく、他の解説書も眼をとうしてみた。

「もろうて喰ひ、乞ふて喰ひ、飢えや寒さをどうにか逃れて、めでたき人の数にも入らん年の暮れ」
いやはや、赤貧もいいところだった。
ホームレスに近い生活で、弟子たちの添削や教室で わずかな金銭を得ていたのだ。
スポンサーといっても大した資産家はおらず、ほとんどが貧乏弟子ばかり。
大富豪の「太鼓もち」てきなお金目的のことは一切しなかったようだ。

後世に残る大芸術家は 精神は豊かでも、懐は寂しかった

古本やで見つけた愛読書

2008-07-24 18:22:06 | エッセイ・随筆
http://ryuomaru3.web.fc2.com/akakb11.html
奥の細道詳講

月日は百代の過客にして行かう年も又旅人なり

ご存じ 松を芭蕉の「奥の細道」の冒頭です。
ときおりコレが読みたくなるのです。
コレとは昔に古本市で500円で買った昭和17年・9版目の解説本です。
芭蕉の文章をそのまま理解でき、味わえるにこしたことはアリマセンが、そんな学識はありません。

この本自体の文や、漢字すらわからないところがありますが、何処となく現代解説本の空々しさがありません。
つまり、芭蕉の時代背景に近いと言いますか、想像力ばかりでなく、生活観が似ている時代の著書だったと感じます。
芭蕉が詠った現地調査にしても、新幹線で行ったとか、国道何号線を何キロ行ったとか、そんな興ざめする文では無く、歩いているペースというか真実味を感じるのです。

前記の文頭について著書では
「この紀行全編のうち、この文章が特に言い知れぬ魅力を感じさせるのは、その簡潔流暢な筆ずかいのためでもあろうが、それよりも更に文章のそこに流れる彼自らの真実観が、一言一句の間にも、じっくりと染み出ているからであらう。
実にこの一節は前編の冒頭として、よく全容を窺はしめるに足りる妙文というべきである。」

索引なども現代の状況とかなり違って、その又索引が必要なくらいですが面白い。
明治は遠くなりにけり--ではなく芭蕉の元禄時代(1668-1704)は、学芸・文化が盛んで、「人生は旅」の哲学的観念がピッたしな時代だったのでしょうか。
少なからず、現代の著書よりは感動が生きています。

日本人のこころ

2008-07-23 17:43:20 | エッセイ・随筆
日中の暑さも吸い取られたごとく消え、穏やかなたそがれ色に変わってきました。
花の谷は、ニイニイセミやツクツクセミが耳鳴りのごとく響き、その中に時おりウグイスの元気のいい声がきこえてきます。
静かです。限りなく透明な静寂が谷にしみこんできます。

閑さや岩にしみ入蝉の声

蛇足ですが芭蕉の名句中の名句
奥の細道--山形領の立石寺の山頂にて詠ったもの。
解説書など読みますと、この蝉の種類は、その数は多いか少なかったか、と喧々諤々。まーーどうでもいいようなことと思いますが・・・。

虫の声・風の音・水のささやきなど自然の音に詩情を感じ、静寂の極みを意識する日本人に対し、欧米人はそれらは騒音になってしまうらしい。
映画などの擬音に、日本とアメリカ映画では大きな違いがあるとききました。
特に日本人が繊細で優れた感覚の民族などと思いませんが、私たち日本人の感覚は、やさしくて豊かな自然環境から育ってきたものだと思います。

コンクリート・ジャングルという言葉も古臭くなってしまうほど、「乾いた心」が当たり前にならないように。
涼を呼んでくれる風鈴の音が、騒音に感じない娑婆でありたい。
声を掛け合い、ゆっくり歩きましょう。

ブッタの言葉

2008-07-21 10:40:20 | エッセイ・随筆
「樹樹は美しい。この世は美しい。人の命は甘美である」
「愛欲にまみれた人の命は、しかし、甘美である」

「人生は苦悩に満ち、この世はさい土である」と出家したゴータマ・シッタルタは
「目覚めた者・ブッタ」となられた。
そのブッタすら死から逃れることはできません。
死期が間じかになったころにおしゃった言葉といいます。
私の大好きな釈迦のお言葉のひとつで、こんなに慈愛に満ち、生命をいくつしみ、全てをよしとしている言葉があるのでしょうか。

草陰に次の生命を伝える営み。これらは人間のような性愛欲とは違うのですが・・・。
人も虫も草木も、全て同じだと認め合うことだと感じます。
真っ青な空に向かって様々な生命が躍動しています。
命はいたるところに満ち満ちているのだと感じます。



7-おふくろー小学校の入学式

2008-07-08 19:24:55 | エッセイ・随筆
http://ryuomaru3.web.fc2.com/akakb-2.html
昭和30年代から、かなりの長い年間、爆発的に流行った新民謡があった。
私のブログを愛読していただいている方々は、多分ご存知かと思います。
「つきがでたでたー つきがでたー ア ヨイヨイ 三池炭鉱の上にでたー」
そおです。確か三橋道也さんだったでしょうか・・・。
炭鉱節です
大人も子供も、ともかくどこかで歌っていました

私はなんと小学校入学式に歌ってしまったのです
先生はビックリしたことでしょうが、居並ぶ父母のなかで、母は穴があったら入りたい思いだったでしょう。
帰宅してより、その事については何も言われた記憶はありません。

ずーーと後。私が3-40代の時に母が語ってくれました。
「後にも先にも、あんな恥ずかしい思いをしたことはなかった」と。

詳しくは、画文集「あかあかや月」にかきました。
せひ一読ください。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/akakb-2.html

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本