今週の『赤旗日曜版』(2014・8・31)がなかなかいい。いちばん真ん中の見開きのページに「時代を生きた女性たち 『花子とアン』家族が語る素顔」の記事がある。ドラマのモデルの柳原白蓮の娘の宮崎蕗苳(ふき)さん、村岡花子の孫の村岡恵理さんが登場し思いを語る。貴重な写真が二枚ずつとご本人の写真があり、見ごたえがある。
もうひとつ。「大企業のもうけの場に 安倍流農業『改革』」の記事。安倍農業改革は、➀農業委員会の公選制を廃止し任命制にする、②農地を所有できる農業生産法人の規制を緩和して農業従事者が一人いればいいとする、③農業協同組合の解体からなる。
農業・農地を大企業のもうけの草刈り場にしようというのだ。今は農業をしないものは農地を所有できない。だが最初だけ農業をするふりをすればあとはやり放題ができるのが安倍農業改革だ。北海道平和ツアーにいったとき、共産党公認で農業委員に選出されている高島さんのお話を聞いた。彼は安倍農業改革がやられたら、大企業が農地を買い占め、やがてそこは産業廃棄物の処分場になるだろうといったのが耳に残っている。全国各地に産廃の山ができる。
三つめの注目記事は、大阪弁護士会長・石田法子さんの登場だ。7月6日、集団的自衛権と秘密保護法廃止の6000人の集会を主催したその立役者だ。弁護士会がここまで踏み込んで行動したことに注目が集まり、多くのひとを励ました。その次のページの映画監督・降旗康男さん(「ぽっぽや」「少年H」など)のインタヴューもいい。
ということで、『赤旗日曜版』お見逃しなく。
もうひとつ。「大企業のもうけの場に 安倍流農業『改革』」の記事。安倍農業改革は、➀農業委員会の公選制を廃止し任命制にする、②農地を所有できる農業生産法人の規制を緩和して農業従事者が一人いればいいとする、③農業協同組合の解体からなる。
農業・農地を大企業のもうけの草刈り場にしようというのだ。今は農業をしないものは農地を所有できない。だが最初だけ農業をするふりをすればあとはやり放題ができるのが安倍農業改革だ。北海道平和ツアーにいったとき、共産党公認で農業委員に選出されている高島さんのお話を聞いた。彼は安倍農業改革がやられたら、大企業が農地を買い占め、やがてそこは産業廃棄物の処分場になるだろうといったのが耳に残っている。全国各地に産廃の山ができる。
三つめの注目記事は、大阪弁護士会長・石田法子さんの登場だ。7月6日、集団的自衛権と秘密保護法廃止の6000人の集会を主催したその立役者だ。弁護士会がここまで踏み込んで行動したことに注目が集まり、多くのひとを励ました。その次のページの映画監督・降旗康男さん(「ぽっぽや」「少年H」など)のインタヴューもいい。
ということで、『赤旗日曜版』お見逃しなく。
(一九四二年二月、座談会「勝利への生活」より。①)
私はこの戦争が始まったという時、とにかく決心してしまったんです。私の家では子供がことし十一歳なんですが、少なくともこの子供を二十一歳にするまで十年間、私は戦争の中で年を老いて行くんだ、という決心は、あの宣戦布告の日の朝出来てしまったんです。それは一つの歴史を作ってゆくことである、というようなことを考え、更に、日本が大東亜の盟主になるためのこの聖戦の中に自分は残る生涯を打込んで行く、これが今の日本の婦人に与えられた使命だという決心をしたんです。
(一九四二年六月、対談「若き指導民族の教養」より。②)
文部省から、婦人の為の家庭訓というものが出ましたが、それにもはっきり書いてございますね。万世一系の天皇を戴く国体に根ざしての臣民の意識がはっきり掴めますと、あらゆる私利私欲が消えてなくなるわけです。日本人としての誇も自尊心も、同時に滅私奉公の精神も湧き起って来るのだと思います。(中略)結婚は優秀な子供を得て、お国に役立てるための報国運動だという観念ですね、結婚を唯夫婦の生活の充実と見なす考えかたは自由主義的です。二人の人が結びついて、文化的な生活を営み、お互の個性を進歩させ、生き甲斐ある生活をするという享楽主義的な気持は日本人の結婚観であってはならないと思います。結婚報国精神に根ざした新しい結婚科学から、民族の強化が望まれます。
(一九四二年一二月、随筆「大東亜戦争の中を行く」より。③)
我等の大東亜戦争の憎むべき敵米英の不健全な物質主義的な人生観に毒されて来た結果を完全に払い落すことは、この一年間、我々に課せられた作業の一つでもあった。
若い女性たちは日一日と日本婦人の純粋性を取戻しつつある。彼等の勤労体制にみなぎる産業報国精神がそれを雄弁に語っている。生活に、文化に、日本的なるものを追究する熱意は日に日に高まっている。
敵米英の厖大な生産能力と戦っていることを忘れてはならない。量を以てしては或は今暫くは彼等を抜くことは出来ないのかも知れない。もし然しであるならば、質で行くことが出来る。あらゆる生産の面に大和魂をそそぎ込むこと、日本人の精魂を尽くしての製作と勤労、其処からは必ず発明が起り、飛躍が生れる。
(一九四三年十二月、対談「決戦生活を語る」より。④)
つまり決戦というようには生活それ自体も命を捨てるということと同じ様に考えて生活することですね。(中略)
私は決戦生活というものは、至る処青山あり、というものの、観方を鼓吹することが必要で、のびのびと息をすることを、
<①から③までは、東京日日新聞社・大阪毎日新聞社発行の雑誌『婦人日本』。④は厚生省の外郭団体である日本厚生協会発行の雑誌『厚生の日本』。>
ここには戦争推進勢力の社会的要請をいち早く受け止め、それに沿った形に自己改造を成し遂げ、自信あふれる指導者意識に満ちて女性大衆に語りかけるカリスマがいる。
書店に並んでいる村岡花子の伝記においては、戦時中の彼女については次のように共通して書かれている。
一九三九年、険悪化する国際環境の下、帰国するカナダ人宣教師から贈られたのが、村岡花子と『赤毛のアン』の原書との出会い。「帰ってしまった友人たちへの友情の証をたてるつもり」で、敵性言語を翻訳する身の危険を顧みず、防空壕の中にまで持ち込んで退避させ、守り抜いた原稿である―と。
決戦下の国民と女性とに息詰まる覚悟を要請していながら、「唯物主義」「享楽主義的」な作品の翻訳に自身は没頭していたとは、全く、アンビリーバブル(信用できない)な話ではないか。戦後、あの戦争の悲惨な結末に触れた村岡花子の文章は管見に入ってこない。
戦争推進勢力の代弁者となった自身の反省と後悔とを公にしない村岡花子は、戦争反対・平和憲法を守れを願う人々にとって、「腹心の友」「心の同類」(アン・シャーリーの有名な言葉)でないことは確かだろう。
ドラマ「花子とアン」が新たな都市伝説を生み出す危険性を警告したい。
戦争に協力した人でも戦後反省し、反省に基づいた行動をしている人はたくさんいます。村岡花子にそのことばも行動もないとは。
朝ドラではじめて村岡花子を知った私には驚きです。誤った伝記を正す必要がありますね。