山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

50回目の矢臼別平和盆踊りに参加

2014年08月11日 07時44分52秒 | Weblog
 大阪安保破棄実行委員会の北海道平和ツアーに初めて参加した。北海道東部の矢臼別(やうすべつ)自衛隊演習場のなかで開かれた平和盆踊りに参加するのがひとつの目標だった
 戦後、矢臼別の原野に開墾に入った86戸の農家をおそったのが自衛隊の演習場設営だった。原野の開墾は、木を切り、根を掘り起こす作業のくりかえしだ。電気も水道もない無収入、掘立小屋生活での苦労の連続だ。
 1953年に入植してどうにか牧場経営ができるようになったところに自衛隊基地設置がもちこまれた。1962年から63年春にかけてはげしい買収工作がおこなわれた。苦しい経営、重なる借金にあえぐ人々の頭を札束でたたいた。結局残ったのは、川瀬氾ニさん杉野芳夫さんの二人だけだった。川瀬さんは、「苦労してどうやら暮らしのめどがついた矢先に、こんどは演習場をつくるから出ていけだ、こんなことは許せない」と憤った。
 1965年に第1回矢臼別平和盆踊りが始まった。演習場は2万町歩。そのどまんなかにあるのが川瀬牧場、杉野牧場だ。演習場は南北10キロ、東西28キロの日本一の巨大自衛隊基地だ。演習場は別海町、浜中町、厚岸町にまたがる。いまは米軍も陣取っている。
 杉野さんはのち離農し、その土地も川瀬さんがひきついだ。川瀬さんは、馬の飼育をしていた。馬は自衛隊演習場になった農場も自由に走り回った。だが自衛隊は有刺鉄線で牧場を囲い込んだ。1991年、川瀬さんは、かまぼこ型の牧舎(D型ハウス)の屋根に「自衛隊は憲法違反」の文字を大書した。いまも鮮やかに主張し続けている。衛の字は隷書体だ。
 こんど泊まったのは、D型ハウス2号舎で、別名矢臼別ホテルという。旅程表にも矢臼別ホテルとなっている。川瀬さんを支援する人々が泊まる場所だ。すでにハウスの内側は柱と梁で二階建てに改造され、畳がしかれている。こんどは200もの樫布団が1,2階にびっしり敷かれた。
 矢臼別平和盆踊りは来てみてびっくりなのだが、牧場がとりあげられて50年もたち、完全な原野に逆戻りした演習場のただ中だから、泊まり込み覚悟でないと無理だ。参加者の多くはテントで泊まる。だから運動場の広さの盆踊り会場の外側に広大なテント村が出現する。
 盆踊りの準備はたいへんだ。まず会場とテント村の草刈だ。アブと蚊の大群に悩まされながらの作業だ。祭りのやぐらも電柱くらいの太さの柱でつくるしっかりしたものだ。これとは別に屋根付きの舞台も設営する。舞台では各団体・グループの演奏がおこなわれる。
 2009年川瀬さんが死亡。妻普実子さんは96年没。すでに1989年、三重県から浦舟三郎・栄子夫妻が移り住んでおり、川瀬牧場はひきつがれた。2004年には札幌から渡辺佐知子さんも牧場住民となっていた。第50回平和盆踊りも、浦さん、渡辺さんが参加者を迎えてくれた。盆踊り翌朝の集会で、原野での一人での生活大変ですねという問いに、浦さんは、自然のなかでの生活は思うより豊かです、植えて10年もたった農場のブルーベリーも出荷できるようになったとのこと。朝6時からの川瀬牧場めぐりツアーで浦さんの家の畑で100人余りがブルーベリー収穫体験をした。甘くてなかには酸味ののこるブルーベリーをいっぱいほおばった。まだ若い渡辺さんは、虫の動きにも目が行くようになり、あらたな世界がひろがって充実した生活をしていると語った。川瀬さんのたたかいと川瀬牧場はしっかりとうけつがれている。
 9日、18時時から鉄板をかこんでジンギスカンでビール。舞台がはじまり、8時前に花火。本物の花火だ。頭の上いっぱいにひろがる。音が腹にひびく。値段が高いだろうに大丈夫かと心配しつつ、大玉の連発を楽しんだ。100発くらい上げたのではなかろうか。つづいてかがり火に点火。柱を組んで三角にした巨大篝火だ。12時ころまで燃え続けるのだからその大きさを想像していただけるだろう。火柱が空高くまでのぼった。花火が終わると盆踊りだ。やぐらをかこんで何重にも踊りの輪ができた。北海盆歌だ。CDではないから、休みなしでえんえんと演奏がつづく。仮想大会もかねていて盛り上がる。9時までのぶっつづけノンストップ盆踊りだ。手と足の動きがそろった踊りができるまで時間がかかったが楽しかった。そのあとは深夜までの舞台演奏だ。やぐらでも舞台でもトランペット奏者松平晃さんの演奏があった。30回近い常連の出演だそうだ。
 参加者は900人くらい。都会からはもちろん、町からもかけはなれた原野の自衛隊演習場のなかにぽっかり浮いている解放区川瀬牧場での平和盆踊り。じつに50回目だ。記念すべき大会ということで、ものすごい人数だ。
 前夜祭ふくめてあしかけ3日の盆踊りになぜこれほど多くの人をひきつける力があるのか。準備からあとかたづけまではさらにたいへんだ。生活まるごと、自衛隊基地に土地は渡せない、理不尽は許せないとたたかいつづけた川瀬さんのいきざまが人をひきつける力になっているのだろう。
 川瀬さんのたたかいは、安保条約の下、着々と強化され、いま集団的自衛権体制づくりへとすすんでいる現在、確実にひきつがれ、どっしりと根を張っている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ソニーのノートパソコンVAIO... | トップ | 昆布森のカキは最高 »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事