山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

ソニーのノートパソコンVAIOは最低

2014年08月07日 11時55分20秒 | Weblog
 昔のパソコンに比べて最近のはすぐにこわれる。ひどいのが、2年ほど前に買ったソニーのVAIOだ。毎日これを使っているのだが、ほとほといやになる。
 というのは、キーで指示していないのに、画面が勝手に変わるのだ。いちばん多いのが、字の大きさが、100%から85%、50%、10%へとくるくる変わっていく。大きくなったりもする。そのたびに元に戻さなけれなならない。ところがすぐに小さくなったりする。かんしゃくをおこして、パソコンをたたいたことがどれだけあったか。
 関係のない画面に変わることもたびたびだ。わたしよりパソコンに詳しい娘が家に来た時になんとかならないかときいてもわからないという。
 キーを押していないし、指でカーソルを動かしてもいないのに、勝手に表示が変わるソニーパソコンは最低だ。
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教員の定年前退職、中学校で43%という驚異の数字

2014年08月07日 09時02分35秒 | Weblog
 8月4日(2014)、文部科学省が2012年度の学校教員統計調査を発表した。新聞報道という形で注目されたのは、精神疾患で退職、休職した人の数だ。退職は国公私立学校で969人(前回09年951人)、休職が4960人(11年5274人)だった。
 私が注目したのは、公立小中高校の退職者の定年退職と定年前退職の割合だ。公立小学校の12年度の退職教員数は1万8007人(定年退職67%、定年外33%)、公立中学校8684人(定年退職57%、定年外43%)、公立高校6302人(定年退職70%、定年外30%)だ。
 定年前退職が驚くほど多い。わたしの表現では定年までもたないということだ。定年まで勤めること自体がたたかいになっている。多くの人は経済的な理由で早く辞めることはできない。でも辞める人が30%から43%になっている。結婚している女性の場合、辞めるハードルが少しは低いといえる。
 びっくりするのは、中学校で定年前退職が43%にも達していることだ。半分に近い。中学校での教員としての勤務がいかに荷が重いか、ストレスが強いかを示している。経済的には辞めないほうがいいが、辞めざるをえないのだ。うつ病など精神疾患が教員に多いことには、最近関心があつまっている。しかし、精神病になる前にリタイアしている人が相当いることにも注意を向け、分析する必要がある。
 労働時間調査で、教員が長距離トラック運転手とともに労働時間が長い代表としてあげられてきた。ようやく最近、世間的にもこれが知られるようになった。そこでは授業・生徒指導関連の時間に比して、報告書作成・部活動などの時間がふえていることが指摘されている。報告書などは適当にやって、授業の教材研究に力を集中することが大事だ。報告書を適当にすると評価が下がるだろうが、いい教員になるためにはそれくらいの度胸がないとダメだ。
 はっきりいって、精神疾患になる、もうこれ以上つとめられないというところに追い込まれるのは、授業、生徒指導でのあまりのストレスのためだ。だけどみんながそうなるわけではない。教員としていちばん力を入れ、アイデンティティを感じる場面で自分が否定されるのは、ズシンときて、肉体的疲労をもつくりだし、見えない重石が残る。事務作業のためにストレスを抱え込むことはない。上からの事務作業の指示に忠実なあまり、自分ですべてを背負わなければならない授業研究がおろそかになることで、結果的にストレス過重になるのだ。逆に授業がうまくいくと、心が晴れ晴れ、うきうきし、充実感がみなぎる。でもいつもいつもそうとは限らない。そんな甘くはない。
 よく予備校の自信満々の名物講師が宣伝材料としてでてくるが、みんな同じ方向を向いた羊の群れを相手にしている授業だということを押さえなければならない(授業内容の深さは認めるが)。これがてんでんばらばらな方向を向いた生徒相手では、まずある程度同じ方向を向かせることが必須条件だ。落語のまくらのようなものでみんな前を向かせられるなら簡単、実際は授業の中身でじょじょにひきつけ集中させる。これがうまくいけば大したものだ。テレビでも超有人の予備校講師の人が茶髪の青年をあいてに授業をした番組があったが、ひきつけることに完全に失敗した。結果、授業の様子はほとんど放映されなかった。テレビの有名人が現れて、最高の持ちネタをぶつけても、ヤンキーはびくともしない。以前、NHKで各界で名を成した人達が、出身の小学校に出向いて授業をする番組があった。各界の達人が自分の得意な分野で授業し、しかも学校の先輩だから、みんな集中して授業をうけていた。見ていると、先生である有名人たちは、ひどく緊張していた。得意分野のとっておきのネタであっても、緊張するのだ。
 教育困難が広がると教員のストレスは蓄積する。うまくストレスを流すことができる人は持ちこたえることができる。わたしは、いやな思いやストレスを心の中で小さく包んですみっこに隠しておいて、いま大事なことに集中するような心の持ちように自分を仕向けるようにした。でも、いやなことやストレスを気にしないでおくことができず、常に頭によみがえるような心の持ち様の人はつらい毎日を過ごすことになる。
 教育は、生徒との信頼関係の構築につきる。報告事務作業に埋没して、信頼を築く場面を減らすことは非教育的だ。日本では部活動にとくに中学校では相当時間をついやしている。それが好きでしょうがない人には楽しみだが、そうでない素人には純粋に労働だ。でもこれが生徒との関係構築に大きな力を発揮している。今はほとんどの中学生が部活動に所属し、顧問との濃密な関係を結んでいる。これもあって先進国ではめずらしく、公立中学校で比較的安定した学校教育がおこなわれているのだ。
 少年の凶悪犯罪の率も他の先進国に比べて極端に少ない。以前の日本と比べても、終戦直後や1960年ごろに比べて、大きく減っているのが事実だ。特異な犯罪が起きてはいるが(特異な凶悪犯罪は戦前にもたくさんあった。古い新聞を見るとわかる)少年の凶悪犯罪は減っている。
 生徒指導が困難でも、職場の雰囲気、教職員間の関係が円滑であれば、持ちこたえることができる。これは多くの学校の歴史が示している。ところがここ10年余り、文科省や教育委員会からの管理統制が極端なところまですすんでいる。まず報告書の量にあらわれている。ところによっては毎時間ごとの授業案を出させるところもある。一方で学校の権限(=校長の権限)を縮小している。大阪の中原教育長のように、卒業式では校長教頭は教員の口元調査に神経集中という異常事態をつくり出した例まである。余裕のない、潤滑油のない機械のような状態に学校がつくりかえられた。職員会議で挙手採決することも府教委は禁止するという。すべて校長の一存。たくさんの、さまざまな顔を持つ生徒、日々違う表現をする生徒相手の教育活動と校長独断は本来むすびつかない。生きた教育を殺す組織形態だ。これがあらたに教員を追い詰めることになる。かつての、教員の力を引きだし、それを結び合わせる、民主的な職場体制の時代には、その職場態勢で多くの教員がささえられた。ところが今、権力はそれを嫌悪し、断ち切り、ばらばらにした。重荷をすべて個人で抱える体制につくりかえられた。あらたな質の教育困難が待ち受けている。
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スイカの煮物

2014年08月07日 08時45分17秒 | Weblog
 どこかの旅番組でスイカの煮物を出してたのを思い出してつくってみた。
 スイカの白い部分の緑の皮を削ぎ、残った赤い実も切り取る。出汁で煮て塩だけで調味する。7分ほど煮て、火を止める前にミョウガを縦に細切りしたものを入れる。冷めてから食べる。
 薄い割に、冬瓜に比べて実は固く、独特の歯ごたえがあってなかなかおいしい。
 スイカの皮は、昔は漬物にすることがあった。昔のスイカは白い部分が分厚く、漬物に適していた。しかし、品種改良で白い皮の部分がどんどん薄くなり、今は漬物にしようという意欲さえわかなくなった。
 そんなときに煮物というのは新しい発見だった。
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