この日小倉発 10:01の 新幹線さくら号に乗車
何年ぶりだろう~岡山乗り換え 特急南風で一路高知へ。
今回の旅は「竜馬に会いに行く」が最大の目的
いや、もちろん本人はいない。
永年一度行ってみたかった「坂本龍馬記念館」へ。
幸いなるかな、今回夢が叶ったのは、OB会が「高知」で開催
その参加に合わせての旅となった。
また、偶然にも 先日のブログにもアップした
「没後20年司馬遼太郎展」も時を同じくし開催され、行って来た。
めらめらと燃え出した それが「竜馬」だった…
司馬遼太郎の作品「竜馬が行く」が世の中に竜馬をデビューさせ
彼の偉業を知ることになった事は、誰もが認めている。
その後 司馬遼太郎作品の大方は読破する大フアンになり、今日もその熱は冷めない。
没後も 週刊朝日MOOKでは「週刊司馬遼太郎」「司馬遼太郎の街道」の発刊が続く。
今回 列車で読んで時間を過ごしたのが門井慶喜著「ゆけ、おりょう」なのだ。
この本を本屋で見つけたとき おっ、とまず思ったのが
著者の名前「慶喜」 そう、徳川幕府最後の将軍徳川慶喜と同じ。
そして、慶喜、竜馬、おりょうが同じ時間の中にいたのだから…
高知駅に着いたのが14:42分
直ぐに路面電車に乗り 高知城へ足を向ける
「高知城」
日本で唯一本丸建築群がすべて現存する、江戸時代の姿を
今日に伝える城郭である。 別名を鷹城
雨の多い土佐。城内には多くの水路が設けられ、石垣から飛び出した
石樋で排水していた。現在でも現役である。
排水能力もある「野面積」が多く採用されており、見かけは雑に見えるが
非情に頑丈な築き方なのである。
戦国時代の「長宗我部元親」の築城~そして「山内一豊」がこの地を治め城の全容が
完成したのは16年後の事だとか。
この武将の二人についても 司馬遼太郎は
長宗我部を「戦雲の雲」 山内一豊を「功名が辻」に書いている。
高知の夜は、「三翠園」での宴を楽しんだ。
かの 山内容堂公(第15代土佐藩主) の別邸跡という由緒ある宿。
容堂は隠居後の号
幕末という時代に「土佐藩」を風雲の中に巻き込んだ 一大の英傑だ。
朝 宿を出て 少し歩き…バス停に。
約30分 揺られて
「桂浜」に到着
先ずは かの有名な 竜馬さんの銅像を拝みに…
高い、高い…こんな高い銅像は そうはない…
大勢の観光客も シャッターを
そして なかなか ここから離れない、
この高台から 海を眺め 今の日本をどんなふうに感じているのか
聞いてみたい…ねぇ、竜馬さん どう思います?
海岸に降りていく。
竜馬がここに立ってはるか太平洋を眺めた。 あの時と
きっと同じように波は 変わらず 物言わず…
ここに立つ人 それぞれの想いを静かに見守ってくれているようだ。
しばし 竜馬を、おりょうを そして幕末の激動のドラマを頭に思い起こしながら
繰り返し、止むことのない 寄せては返す波頭を 眺め いっときを過ごす。
いい気分ですね。
こんな非日常的な時間 やっぱり必要だと感じた。
いよいよ 待望の「坂本龍馬記念館」へ。
記念館に入る手前に 銅像があって、ちょっとユーモアを。
銅像の竜馬さんが 握手を求めていました…
私も そう 固く ここで会えた感激を力を込めて
そりゃそうだ これ 真鍮製だものね。 まぁ いいか。
さぁ、入ってすぐに えっ、お出迎え…
なんと、 「おりょうさん」です。竜馬の奥さんですよ。
顔つきも 「強そうな感じしませんか?」
竜馬も、タジタジでしたから…でも、このしゃっきとした感じ。
素敵です。
ゆけ、おりょうの文中に 寺田屋で幕史の急襲を受けた竜馬を救い出し、伏見の藩邸へ
かくまった翌日にはもう西郷吉之助が来て
「坂本さぁ、おいが国へ来もはんか」
「薩摩へ?」・・・・
「薩摩には、よか温泉がたくさんありもす。傷のなおりに効くのじゃが」
こうして おりょうと竜馬の 日本で最初のハネムーンが…
二人の行った 温泉は 塩浸温泉。
坂本龍馬って 案外いい男ずらしているよね ハネムーン どうだったかなぁ
司馬さんは「竜馬がゆく」では あまりしつこくは表現していませんでした。
館内は この時期なのに 結構な数の観光客がいました…
全国的ですね。ちょっとノートを覗くと
相当なフアンなんでしょうね・・
さて、陳列されている資料は どれも 大変貴重なものばかり
飽きずに ゆっくりと 歩を進めて行きました。
ここは フラッシュでなければ写真撮影もOK
こんな資料も
「海援隊約規」
竜馬が詠ったもの
世の中はわれをなにとも ゆはばいへ
わがなすことはわれのみぞしる
竜馬さん「字」は この時代では 上手なの? 下手なの?
なかなか注釈なくしては読めませ~ん! 現代人では。
暗殺二日前 現存する最後のもの。
坂本龍馬が陸奥宗光宛に送った手紙
「さしあげようと言っていた脇差しは まだ大坂の使いが帰ってきませんので
どうなっているかわかりません…」
そしてこんな展示も
「近江屋復元」
竜馬、中岡慎太郎が暗殺された(慶応3年(1867)11月15日)八畳間を復元
この事件の時に 竜馬が床の間に置いていた刀 「陸奥守吉行」
攻撃を受け止めて刃こぼれした実際のもの 現在は 京都国立博物館に保存されている。
復元の屏風と掛け軸には 二人のものと思われる血痕が付いている。
座敷に上がって屏風、掛け軸とも近寄ってみましたら…
ほんとうに うっすらと血痕らしきものが…
これです
下の方に 点々と それらしく 分かりません?
司馬遼太郎 「竜馬がゆく」第八巻 この場面は
「電光のようにかれらは走った。
奥の間にとびこむなり、一人は竜馬の前額部を、一人は中岡の後頭部を斬撃した。
この初太刀が竜馬の致命傷になった。
撃たれてから、竜馬は事態を知った。が、平素剣を軽蔑し、不用心でいる。
このため、手もとに刀がなかった。
刀は、床の間にある。
それをとろうとした。
脳漿がながれているが、竜馬の体力はなお残されている。
竜馬は床の間の佩刀陸奥守吉行をとろうとし、すばやく背後に身をひねった。
この一動作を、刺客は見のがさない。
竜馬の左手が刀の鞘をつかんだとき、さらに二ノ太刀を加えた。」・・・以下 略。
そして
この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。
しかし、時代は旋回している。
若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。 (完)
本当に興味ある資料ばかりで…時間の経過も忘れ…
展示の最後に これこそ 西郷だ!
テレビなんでも鑑定団に良く出てくる 有名人の書「西郷南洲(隆盛)」
いつでも 偽物ばかり ですが
これこそ 本物の1枚
力強いタッチで うまいんだろうなぁ~ 鑑定や いかに…
最後に こんな 洒落た「おもてなし」が。
いいね、こんな企画 フアンにはたまらない。
拝啓龍馬殿 のレター用紙が用意されており
「想い」を書いてきました。
「何を書いたかって…」
それは 内緒 ラブレターですからね。
「竜馬は生きている。
我々の歴史がある限り 竜馬は生き続けるだろう。
私はそれを感じている自分の気持ちを書く。
冥利というべきである。」
と、司馬遼太郎は この「完」 のあとがきに この言葉を残している。
今回の旅、 竜馬さん…存分に楽しませていただきました。 ありがとう。
この冬 再 再 再の「竜馬がゆく」を読むことにするか…