オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

オムスビ

2016-08-10 | Weblog

8/10(水) 今日も朝から暑い…。夏だね~、隣の八百屋の兄妹の「行ってらっしゃい、お気をつけて」の声に送りだされて駅に向かう。出勤前は、なるべく体を冷やして汗をかかないようにして家を出るのだが・・・、 四~五分後にホームに立っ頃には汗ばんでいる。

今朝は、明日の帰省用のお土産に「冷凍の紅鮭」を手配する為に築地・場内市場に立ち寄った。九時半を過ぎた市場は、大半の仲卸店が店仕舞いの最中。そんな中を勝手知ったる店、冷凍物の鮭やイクラなどを扱う「北田本店」へ直行し、半身の冷凍紅鮭6本入りを一箱、送って貰った。

                           

北田の向かいにある生マグロ専門の「米岩」のオヤジが「マグロのいいのが残ってるんだ、サービースするから持っていってよ」と、声が掛かった。ここん処、マグロは買ってない。暑いときに、マグロを喰う気がしないのだが、残っちゃったからと言われ、買ってやる気になった。マグロ屋のオヤジの顔を立てるか・・・。

マグロは既にビニール袋に入っており、何処ぞ宛の封筒も一緒にあった。そのビニールを開けて、「このマグロだよ、いいだろう」とオヤジが言う。中トロと赤身が半々の、腹の部位だった。封筒を開くと、なんと会社の近所にある鰻の名店宛の納品書だ。このウナギ屋の料理長が、ここや隣の「原秀」で魚を買っているのに出会ったことがる。「いいものを仕入れて行くよ」と、聞いてはいたが、確かに伝票の金額を見るといい値段が書いてあった。

鰻店用に準備をしておいたが、今朝は仕入れに寄らなかったようだ。それでオイラに「サービスするから持っていってよ」となったようだ。伝票に記された値段の30%引きで貰ってきた。然し困るんだよ、今夜はUSUI老が来るので、遅くまで飲むことになりそうだ。マグロを持ち歩くこともできないし・・・・。

築地に来れば「愛養」のコーヒーだ。寿司屋に並ぶ客と行き交う台車を避けながら、汗を垂らして「愛養」のカウンターに辿り着いた。今日はアイスコーヒーにした。暇だったので、カウンターの中に立つケンチャンと話をした。『豊洲には移転するの?』と、「移転しないで、10月で店は閉めることになった。オーナーは僕じゃないしね」と返ってきた。

『それやぁ残念だね、この店はどれぐらいやってんのかな?』 「古いようですよ、百年以上じゃないかな。河岸が日本橋に在った時からで、ミルクスタンドやカフェの時代には愛養軒という店名だったそうですから・・・」と。

                        

ケンチャンは、高校生の時にアルバイトでカウンターに入り、そのまま居ついたそうだから。かれこれ四十年以上は、この店に立ってきたんだろう。次の仕事は未だ何も考えていないと、どこか淋し気な顔であった。ここの美味いコーヒーが飲めなくなるのも淋しい、ケンチャンの笑顔も見れなくなるか・・・・。これも、時代の流れと云うやつか・・・。

 

築地に向かう前、何時ながらの弁当作り。家人のリクエストで「オムスビ」にすことが前夜に決まった。零時前に帰宅すると、未だ起きていた家人が「明日は午前の訪問後、直ぐに出掛けなくちゃならないのよ。昼時間をとってられないだろうから、オムスビにしてくれない」とのリクエストがあった。

山の神の思召しじゃ、否応はない。六時に蒲団から出て飯を炊いた。最初は、オムスビ一本の考えで、鮭・タラコを焼き、梅干しを刻み、挽肉の味噌炒めを準備した。そしてゆで卵、卵焼きと進んだが・・・・。

何だか物足りない気分がする。長女は、今日は日勤をした後、深夜勤務(泊勤務)だと云う。それじゃ、長女には弁当と、夜勤用にオムスビを持たそう。そんな考えに至った。そこで、煮物(鶏肉・万願寺・インゲン・薄揚げ)と冷凍シューマイを追加した。

かくして、オムスビ九個(鮭・タラコ・梅・肉味噌)と、お弁当一つが出来上がった。

                      

 

 ― 意固地なやつさ ―

昨夕、同じテナントビルに事務所を構えるOKUYA氏と懇談した。O氏の会社がひと足早く、今月二十日に事務所移転することになったと挨拶があり、暑気払いを兼ねてご苦労さん会となったのだ。当社の役員、NOBORUを同伴して「高松」で懇談した。

O氏とは、氏の会社のホームページ制作を担当した縁で、テナントビルの競売問題に一緒に対処してきた。入居会社に声を掛け、対応策や情報共有をしてきたが、既に半数の会社が移転した。今月に、O氏の会社を含め三社が移転するとのことだ。最後まで粘っても、11月末には退去せざるを得ない。

いい加減な民法とやらで決まったことなので止む無しだが、腹立たしい限り。だからギリギリまでこのビルに留まるつもりだが、一方では近隣の空ビルの情報収集は欠かさない。こっちには、悪徳不動産マッチャンと云う強ぇ~味方がいるのだ。

さておき、ちょいと不満なことが有る。不満と云うか、不思議に思うことが。当社がこのビルに入居した折には、各テントに挨拶をした。ベッタラ市の折には、生ビールをサービスしますの挨拶チラシを届け、競売問題では各社寄り会って会合を持ち、メールでは情報を流した。

そんなことをしてきたが、O氏意外からは移転挨拶の一つもない。日頃のお付き合いが全くない状況なら分かるが、何度も顔を合せて話合いもした。それながら、「今度出ることになりました、お世話になりました」ぐれえの挨拶をするのが、仁義ならぬ道理と云うもんじゃなかろうか?

そんなことを思うオイラが意固地なやつなのか、変わり者なのか・・・・。

OKUYAMAさんと懇談後、妙に疲れがあったがパトロール隊のマッチャンを誘い「こま吉」で飲んでいた。HOYA兄いが、遥々新宿のホテルであった飲み会から抜けて、タクシーを飛ばして返ってきた。話は、義理と人情のことで盛り上がった。人形町の夜はかくして更け行き、今宵もまたオヤジ達は「ちょっぷく」へと流れるのであった。

                         

 

 

 

 

 

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カツ煮

2016-08-09 | Weblog

8/9(火) 今日は殊のほか暑いそうだ。湿りっ気の空気に、日差しの強さが相俟って外に出るとムッとする。息をするのをさえ躊躇いたくなる、そんな暑気なのだ。

こんな日は川風の吹く栗の木の下で、缶ビールでも手にして寛ぎたいものだ。そう・・・、それが田舎の畑に描くシーンなのだ。今週、木曜日の夕に帰省するので、それまでの辛抱だ。とは云いながら、先ず待っているのは畑の草刈と墓掃除。これが暑い、熱いぐらいの中での作業となる。

田舎の従姉に電話して、鮎の獲れ具合を訊いたら「オトウサンは川でこける(転ぶ)言うて、近頃はあんまり行かんようになった」とのこと。田舎の連中も齢を重ねて、川に行ってもこけゆうらしい。妹の亭主HIROKATUも、こけて鮎竿を何本も折ったというし。鮎を獲るのも一苦労だな~。こっちは食べる専科なので、気楽に『いっぱいとっちょきや』などど言うが。

昨晩の帰宅は、22時30分丁度と早かった。駅の改札と出ると「トンカツのさぼてん」が店仕舞い前。店頭に50%引きの札が下がっていた。それを見て、思わず足が止まった。貧乏人の行動は分かり易いのだ・・・・。「明日の弁当に」と、ヒレカツ四枚入りを四百円足らずで贖った。断っとくが、小さいカツだから四枚入りなのだ。

前日もフライだったが、今日の弁当は「カツ煮」若しくはカツ丼と云うことだ。そして「小松菜&油揚げ+ソーセージ煮」、「アスパラの豚肉巻き炒め焼き」「卵焼き」というメニューになった。

                         

家人は丼風は御法度なので、「カツ煮弁当」に。コッテリ系が好きな長女は「カツ丼弁当」と相成った。完成は7時30分丁度、長女は弁当を取りに寄った時刻は7時25分、それからリクエストを聞いて弁当箱に詰めた。そう云うことだ。

                             

 昨夜は、人形町駅傍に新しく出来た「焼き肉店」で仕事の打ち合わせ。その後、パトロール隊のメンバーから連絡を貰い「ちょっぷく」にて軽く懇談。悪徳チャンから移転候補事務所のリストなどを貰った。HOYA兄いが「明日は四時起きで、現場仕事だ」と、早くに引き上げた。見上げたものだ、夜の星。オイラ達も早々にお開きにした。お蔭で、50%引きのトンカツを買うことになったのだ。

                             

毎晩これぐらい早い時間にしたいねぇ~。今朝の目覚めは、五時であった。

 

 

 

 

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ドデカ・ワイングラスで・・・

2016-08-08 | Weblog

8/8(月) 暑いな~、というのが面倒なくらいに連日暑い。土曜日は午後遅くに会社に顔を出し、暑い中でお仕事をされているスタッフに「ご苦労さん」と声を掛け、序でに「労働者諸君! 大変だね~」と云いたかったが、この言葉は控えた。暑さで頭をやられた奴が激昂し、包丁でも降り廻しかねないからね・・・。

そんな心配もあり(?)、六時前に会社をでて飲みに行くことにした。酒の相手は悪徳不動産のマッチャンだ。土曜日と云うのに、自宅にも帰らず事務所で酒場の開くのを待っているはずだ。電話を入れると「頼まれていた三件の物件、調べていました」と、しおらしいことを言う。

物件とは、11月には事務所の移転をしなければならないので、近隣の空情報をピックアップし詳細情報の取集をするようにと、金曜日に頼んでおいたのだ。大した調査は出来ちゃいねえだろうが、そう云われれば今夜の酒代は俺持ちか・・・・。

「うまし」に行くつもりで歩いていると、後ろから車の警笛が。振り返ると「ちょっぷく」のYAMAちゃんとチーフ・助っ人ミムラッチが交差点を曲がろうとした車窓から手を振っていた。近寄って話を聞くと、食器類の買い出しに出た帰りだとか。そんな処に、マッチャンが通りかかったのだ。

YAMAちゃんに『後で寄るよ』と伝え、マッチャンと「うまし」へと向かう・・・つもりだったが、窓越しに仕込み中の「こま吉」の大将と目があったのだ。こうなりゃ素通りは出来ねぇと「こま吉」の客になった。今宵は、ホッピーならぬハイボールからスタートした。

一時間半jほど「こま吉」で飲み、「ちょっぷく」へと向かった。明日の馬券も頼まなくちゃならいのだ。YAMAちゃん所望の、COCO一番の豚カレールー10辛を提げた。土曜の夜は営業をしてない。が、マッチャンが一緒なのでチケットを買ってYAMAちゃんに渡した。これで気兼ねは半分でよかろう・・・・。

三人の片付けが終わるの待って飲み会となった。最近、ここでは白ワインを飲むことが多い。黙って競馬新聞を眺めていると、デカ・ワイングラスになみなみ注がれた白ワインがでてきた。『どうしたんだ、このデカグラスは ? 』と、「ARIさん用に買ってきたんだ」との応え。さては、俺を酔わせて財布を狙う心算か・・・。

                             

散々に飲み喰いし、演歌を唄い(YAMAちゃんだよ)夜は更け行く。その昔、「モスコーの夜はj更けて」とか云う曲が流行ったが、ここは人形町。人形町の夜は更け行くだ。

               

「ちょっぷく」を後にし、最後の一杯に今宵飲み忘れの「ホッッピー」を飲るために「こま吉」に舞い戻った。暫くするとマッチャンが電話をして、なにやら意味不明なことを言って、俺の名前をだしている。

『HOYA兄いに電話したんか?』と訊くと、「高松のミッチャンです」との応え。こんな遅い時間に呼んじゃ、イカンザキだぜ! 。だが、暫くするとミッチャンが風呂上がりの風情で現れた。その頃には、何の話を、どんな話をしたのかさえ朧なのだが・・・・。いけねぇ、終電の時間だ。と先に帰ったことは確かだ。勘定も済ませたはず?

 

てな相変わらずの夜を過ごした翌、日曜日。残念なことに、この日は平和島でレースの開催はない。従って暇な一日なのだ。朝食にハムエッグや、マカロニサラダなどを作り、ビールを一本。本を読んで、競馬中継を見て過ごすと云う優雅な一日。夕方、駅前のスーパーまで散歩がてらに歩いたのみ。

で、今朝は三時に目が開いたのだが。覚める直前のシーンは酒場、小さなスナックらしきところだった。その夢の中で、ベテラン・スタッフのAOKIが、若いスタッフに説教でもしているのか、耳元でごちょごちょ喋っていた。暫くすると、その若いのがブチ切れて椅子を振り上げての立ち回りを始めた。(本物のAOKIは、グチグチと小言を言うタイプじゃないよ。念のため)

暫く見ていたが、治まらない。で、こっちがブチ切れて『バカヤロ ― いい加減にしろ 』と怒鳴ったら、目が覚めたと云う次第。分かり易いネ~俺って。

ラジオ半分、CDと本で半分の時間を過ごし、五時に台所に入った。どうせ眠れないんだ、しょうがないじゃないか。俺だってこんなに早くから弁当を作りたくはないんだよ。

今日のメニューは昨夜から決定してたんだ。「トンカツ」「海老フライ」がメインで、後はアスパラ・小松菜を使うと。フライには、茄子も追加した。小松菜は、卵炒めに、アスパラ・シメジは焼豚と炒め物。

                            

今日も一人分の弁当であった・・・・。

                            

 

 

 

 

 

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ハンバーグ

2016-08-05 | Weblog

8/5(金) 週末、金曜日となった。昨晩の渋谷の街は、驚くほど静穏であった。何時もなら波が絶えないセンター街も、客引きの姿も、行き交う外国人らしき姿も疎らで ― これが渋谷・センター街か?― と思った程。尤も時間は22時を過ぎてはいたが・・・・。

                            

十九時前から始まった某社広報室と当社の担当チームとの懇談は、予想以上にリラックスした雰囲気に終始。室長の人柄と課長さんの突っ込みが絶妙に絡み合い、業者である我等を和ませてくれた。三時間ほどの懇談が、あっという間に過ぎたのであった。

                         

                          総勢九名でしたが・・・

散会後書店に立ち寄り文庫本を探した。日曜日に読んだ「侠飯」のつづきを買おうと思ったのだ。月曜日にその本をYOSHIOに渡した。すると、すぐに読了して続編を頼まれてしまったのだ。半蔵門線につづくビルの地下にブックファーストがあり、そこにあった。「オトコメシ2と3」〆て1447円也。安さと軽さで買った本だったのに、売れ行きがいいようで二匹目と三匹目の泥鰌は値段が上がったようだ。

帰宅は23時前、シャワーを浴びて蒲団に横たわった。エアコンを早めに切り、窓を少し開けて寝た。明け方に気が付くとスタンドを点けたまま、枕元には本が転がっていた。眠り足りない気分だった。ウトウトとしているうちに七時前になっていた。

今朝の弁当は「炒飯」。前日のご飯が電気釜に残っていた。量は茶碗二杯分ぐらいか。それで炒飯となったが、もう一つきっかけがある。それが「侠飯」なのだ。

物語は、 ―卒業をまじかにしながら就職が決まらない学生の部屋に、893の男二人が転がりこむ。兄貴分の柳刃と云う男が滅法な料理好きで、有り合わせの食材で滅法美味い飯を作る・・・・― 飯作りと無気力な学生の日常と悩み、こんな展開の文庫本だが、その中にで炒飯」が出てくるのだ。鮭入りの炒飯が。

私が日頃作る炒飯と云えば、焼き豚・ソーセージ・ハムなどが中心。偶に小エビやタラコもあるが、鮭は使わないのだ。この文庫本の記憶があったので、今朝は「鮭の炒飯」となった。鮭を焼き、タマネギ・ピーマンを刻むのは何時もどおり。焼いた鮭をほぐして、具にする。たったそれだけのことだが・・・。

他の菜は、「ハンバーグ」と「茄子味噌炒め」、空芯菜炒めとなった。空芯菜炒めは、台湾のゴルフ場でプレー後にビールを飲みながら摘んだ。その味が忘れられない。ニンニクが効いた塩味でシャッキと仕上がっていた。単純な料理ながら旨かった、ゴルフプレーのことは全く覚えてないのに。プレーは、「林口」か「新淡水」のはずだ。

                          

話が逸れてしまったが、空芯菜炒めは台湾で喰ったようにはできなかった。素材・火力・腕の三拍子揃っての格落ちだもんネ。それでも家人の弁当に入れた(後でニンニク使い過ぎと叱られるだろうが)。

今日の弁当は一人分なのだ。長女は夜勤明けだとか?よく分からんが不要であった。鮭炒飯はまずまずの味、ハンバーグは相変わらず美味い、茄子味噌炒めの味はいうまでもない・・・・。

                        

  

 今夕、新宿のホテルで五月下旬に癌のために六十歳で急逝した、大塚恒彦氏を偲ぶ会が開かれる。彼とは、広報部や代理店稼業の中で交流があった。また、彼が出版関係の仕事に就いていた時には、或るレギュラー案件を受注したが、彼の配慮も働いたであろう。

思い出したが、当社のFUJIKURA君は大塚さんからの紹介だった。或る案件をうちが受注した際に、その仕事と一緒にやってきた。FUJIKURAは、大塚さんが亡くなったことを知らないだろう。

交流のあった方々が集い、彼を偲ぶ。偲び酒か・・・・。

 

 

 

 

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チンジャオロース

2016-08-04 | Weblog

8/4(木) 今朝の目覚めは七時前と遅かった。前夜のご乱行が祟ってこういうことになった。昨夕、6時頃にMITUHASHI君が人形町にやって来た。この日の午前、某社に挨拶に行ったが、帰りに同じ上野ビルに勤務するMITUHASHI 君に挨拶をした。久々に顔を合せたので、帰りに寄んなよと誘ったのだ。

彼のことを普段からミッチャンと呼ぶ。ミッチャンとは、横須賀の研究所に勤務した時からの付き合いで、かれこれ二十年弱となるか。私よりは年下で、大手通信会社の現役の社員である。

元は国鉄マンだったが、国鉄の合理化施策で移籍してきたうちの一人である。ユーモアを解し愉快な男、それに加えて義理人情に篤い。私の会社に仕事を廻してもらったことも何度かある。

昨夕も酒場へと向かうすがら「営業で表に出る仕事をさせて貰えることになりそうです。そうなれば、訪問先会社のWEBサイトで拙いのがあれば、いい会社がありますと、紹介しますよ」なんて、可愛いことを言う・・・・。そういう気持ちが嬉しいじゃないか、酒がまわりそうだぜ!

一軒目は「うまし」となった。ここで料理らしいものを何点か喰ってもらい、生ビール・日本酒。オイラは、ビールの後はハイボール。悪徳不動産屋のマッチャンが鼻をヒクヒクさせて合流した。

安田川の「鮎」(1300円也)を注文し、ミッチャンに食べてもらったら「美味い!こんな旨い鮎は初めて食べた」とのコメントが。本当に鮎の味が分かってんのかな?

                           

「うまし」から「SEIJU]でカラオケ。『歌は演歌縛りだからな』と云うと、ミッチャンは演歌ならぬ軍歌を唄いだした。この夜は、軍歌一本槍だったが、最近は軍歌を聞かないね、とママさん。歌を切り上げた後は、ハイボールを飲もうと「ローカーボ」へ。ここでは、ミッチャンの趣味である、野菜作り談義が・・・、一反の畑で、年間40種類位の野菜を作ると言う。今度、なにやらと云う美味い南瓜を持って来るとか。『そんな重い物止めとけ』といったが・・・・。

                         

酔いも廻ったところで、平塚まで帰るミッチャンに配慮して切り上げた。地下鉄まで送った後、止せばいいのにひとりで「ちょっぷく」へ。客も帰り片付けの最中だったが、酔ったオヤジは頓着しない。

白ワイン何ぞ飲んでいると「唄の準備を」と、YMAちゃんがマイクセットとタブレットの用意をチーフ頼んだ。どうやらYAMAちゃん、今夜は店に泊まる算段だ。暫く付き合うが、すっかり酔いが廻ってきた・・・。レンジで蒸した唐黍を貰って、メトロ終電の人となった。終電を待つ僅かな間、その唐黍にかぶりついた・・・美味かった! 行儀が悪いが、回りにや誰も居やしなかったので・・・。物を喰うのは酔ってい証拠だ。

                            

 

今日の弁当は、チンジャオロースだが、肉は豚ではなく牛だ。どっちでもいいようなものだが、牛細切肉である。それと、油揚げ・ソーセージ・万願寺の煮物。出来合のシューマイと塩秋刀魚焼きであった。

                         

  ― 余 談 ―

1、前にこの欄で紹介したが、友人のMATUMOTO君の著書 「なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか 太平洋戦争に学ぶ失敗の本質 」が、時事通信社の終戦特集として全国配信される、とMATUMOTO氏からメールを貰った。『オメデトウ、ベストセラーになるといいね』と返信した。彼は今夕から、バンコクへ息抜きに出掛けるとのこと。ご自分へのご褒美?かな。バンコクには、共通の友人NOGUCHIが居る。愉しい数日を過ごすことであろう。

2、三月から利用を開始した500円玉貯金箱が、かなり重くなってきた。三十万円貯まるとあり、八割がた貯まったように思えるが・・・・。七月のコイン投入枚数は、134枚だった。暇なOYAJは、日々の投入枚数を記帳しているのだ。この生真面目さが、仕事に発揮されないのが残念!

 

 今夕は渋谷「奈加野」にて、クライアントとの意見交換会と云う飲み会。当社の担当も変わったし、先方も新任の責任者が就任した。コミニュケーションの第一歩だが、飲み過ぎや狼藉には、要注意だ。紳士は紳士らしく・・・・。

 

 

 

 

 

 

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トンカツ

2016-08-03 | Weblog

8/3(水) 梅雨明け宣言があってから、妙に蒸し暑く感じるのは私だけであろうか? 尤も、梅雨明けがあると急に暑くなるのは例年のことではあるが・・・。自律神経失調症が高じたのか、冷や汗か暑気汗か区別がつかないような汗が噴き出すのだ。

涼風が抜ける田舎の畑の栗の木の下で、のんびりと缶ビールを飲める日も近い。そうなれば、神経がどうの、冷や汗がなんて寝言は忘れようと云うものだ。その前に、炎天下での墓の掃除と雑巾がけという一仕事が待ってはいるが・・・・。

こんな寝言を書いてはいるが、32期の期末決算の数字が出るのも近い。赤字になることはなかろうが、さりとて大した稼ぎはない。過ぎたことよりも、明日だ 。期待はしない、創りだすのみだ。

今日の午前、取引先の某社を担当スタッフと訪問した。新任の役員にご挨拶と云うことだった。スタッフから念押しされたのは「アロハだけは止めて下さい」だった。敢えてアロハをとも思ったが、そこは紳士の私だ。よれたジャケット着用で出掛けた。

会ってみると、想定していたとおり、かつて同じ職場で私の配下にいた人物であった。名前を事前に聞かされていたので、若しやと同じ名前だった十数年前の部下の顔を思い描いていた。同じような顔が、ひと回り貫録を付けていたと云う次第だった。で昔話となった。

帰社して暫くすると、訪問した会社からメールが。差出人はKAKINUMAとあった。「ご無沙汰をしています。先ほど当社に見えたそうですが、私も7月からこちらに来ております。云々」とあった。彼とは長い付き合いで、四半世紀も前に配下にいたのだ。夏の人事異動で、別の会社に行ったと耳にしていたが、この会社だったとは・・・・・。縁とは円だな・・・・・回りまわっとると実感する。『一緒に酒のみに来いよ、安酒だが』と、メールを返した。

斯様に充実した日の弁当が「トンカツ」だった。朝から「カツ」を揚げたのが、良縁を結んだのかな?向こうにとっちゃ不幸か、煩いのに会ったと!。

 

トンカツの他には「ピーマン肉詰め焼き」と小松菜の卵炒め、焼き鮭であった。揚げ物は、カツの他にズッキーニと肉詰め用で余った「肉団子」。

                              

七時前から作り出した菜にしては充実感があった。弁当を取りに寄った長女が「アッ美味しそう・・・」と喜んでいた程だ。

                              

 

 

 

 

 

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焼肉

2016-08-02 | Weblog

8/2(火) 目覚めたのは明け方の四時・・・・、起きるのにはまだ早いと体を横にして眠りを待った。暫くして、雨音が・・・・。エアコンを切り風を入れるために開けておいた窓が気になった。

だんだんと脚が強くなり、屋根を壁を道に跳ねる音が激しくなってきた。小窓を閉めたほうがいいな、と思いつつ・・・・・眠りについていた。次に目覚めると、七時を過ぎていた。

幸いにも今日も長女の弁当は不要とのことjだ。長女と家人の出勤時間には一時間以上のタイムラグがある。家人の分だけなら、目覚めた時間から始めても余裕だ。先ずは、飯を炊く。菜は、昨晩に買って帰った「牛焼き肉」だが、これが国産とは銘打ちながらも値段の安さからすると、ホルスタインだろう。これを如何に美味くするかだ・・・・。

油揚げの賞味期限が来ているので、これと野菜を煮ることにした。そして、刻みネギの卵焼き。以上である。

赤ワインの在庫が見当たらぬので、牛肉に酒を少し降った。その牛と、キャベツとタマネギを一緒に炒める。タレ付だが、私が好きな焼肉タレの「プルコギャン」で仕上げをする。このタレの製造元を見ると福岡市とある、初めて知った。ありがとう !重宝してます。

油揚げと野菜煮の方の野菜は、平豆とオクラに茗荷と、いずれも賞味期限切れの残りもの野菜だ。酒や出汁も入ったが、仕上の味付けはウエイユ―の中華スープの素にした。なんでも入れる、貧乏人と云う奴さ。

卵焼きは出汁巻にしたが、この出汁にも白出汁&ソバ汁が塩梅されている。

                       

出来上がった弁当が一つ(写真は同じもの)、と云うのも淋しいが・・・・。残った菜は、未だ弁当二つ分の余裕がある。何時ものことだが。

                             

今日の朝仕事が終わった、後は風呂に入って出勤の準備だ・・・・。

 

 ― 酒場日記 ―

 BLOGも最近は、「酒場巡り」のことが多いようだと気掛かりなところだ。夜毎同じような酒場を、同じメンバーで巡回してるんだからネ。芸がないと言えば芸がないし、お前たちはGEIか、と問われれば、そうかもしれん? GEIといっても、釜とか鍋とかじゃぁないぜ。こっちの「芸」さ。芸人の芸だ。HOYA兄いがお姐さんを呼び込む話芸、早業はてぇへんなもんだ・・・・。

太鼓持ち幇間と云うほどの芸じゃねえが、酒場流しの女性専科芸人のようなもんだネ。夜な夜なパトロールと称して、界隈の安酒場をうろついちゃ愛嬌と小銭を振りまいているんだ。これを「芸」と言わずして何と云おう! 先週末には、新加入の希望者まで現れたんだから。世の中には物好きが居るということだが、我らの存在意義もあろうと、胸が張れるかな?

そんなことを言いながら、昨夜は「こま吉」に滞在しただけで私は消えた。HOYA兄いと悪徳不動産屋に手を振って、「ローカーボ」の前でバイバイした。

                                

 

 

 

 

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胃もたれ・・・

2016-08-01 | Weblog

8/1(月) 愈々夏本番となる八月となったが、昔日のように「夏だ!」と燃え上がるものはない。精々、シャクリ漁が解禁になるので鮎が沢山獲れるだろう、への期待である。とは云いながら、他人が獲ったのを頂くだけの話だが。

若い頃、あれほど海に遊んだことが嘘のようで、今じゃや「くそ暑いだけの海に行くかよ!」なのだ。尤も、海辺の木陰でバーベキューでもしながらビールを飲む、これなら話は別だ。

最後に海に遊んでから七・八年経つだろうか? HIROさんと女史の三人で下田の海に遊び(一人突堤で寝ていたが)、入った食堂で食べてた「鯵開き干し」が美味かった。小鰺の開きの滅茶旨だったことを忘れられない。喰い気だけは抜けない・・・・。

土曜日、会社を出たのは六時半だったか。通りかかった、傍の堀留公園では納涼盆踊り会の最終日。各町内から人が出て、賑わっていた。櫓の太鼓を叩いていたのは、蕎麦・高松の惣領SHYUNちゃんだった。見事なバチ捌きだったので感心した。

                  

スピーカーから流れる民謡と、櫓の太鼓。それを二重に巻いて踊る、盆の舞い。夏の風物詩ではあるが、これも町内活性を願う役員さんたちのご苦労によるものだ。我が町内では、先月の碑文谷池バラバラ遺棄事件のあおりで盆踊りは中止だそうだ。公園への出入りも、未だ禁止されたままとのこと。

パトロール隊で唯一、土曜日も精勤していた悪徳チャンが、地元の「柏祭り」だと言って、柏市の自宅に帰った。ここは孤塁を守るしかないと、独り「こま吉」から「うまし」と渡った。「うまし」の店主の誕生日と聞いたので、一言お祝いをと思った次第だが、相客との話が弾み長居をしちまった。

学芸大学に着いたのは、22時半頃か。酒飲みの末娘が誕生日だったのを思いだした。携帯に掛けると地元で飲んでいると言う。「おいでよ」と云うので「相手は女か、男かと、訊いた。男だと言うので『じゃあ行かねえよ』と応えたが・・・・。酔って所為だろう、行ってしまったのだ。財布役にさせられるのは自明の理ながら、フラフラと行ってしまったのだ。

その店に一時間ほど居座って、例のごとく訳の分からんことをグダグダ喋っていた。隣に座っていた見知らぬ姐さんとも喋り、後で気付くと名刺交換までしていた。バイオリンを教えているとのことだった。娘等を残し、先に店を出たが・・・。それから「すき家」で、あの安いカレーライスを喰ったようだ・・・、写メがそれを物語っていた。

                            

土曜の夜がそんな体たらく、日曜日は不調。不調ながら、昼過ぎから次女の長男が一歳なので、そのお祝い会に駆り出されていた。重たいお土産を提げて、にわか雨の降る蒸し暑い中を元住吉まで出かけた。一升餅を背負わされて尻餅をつき、玩具で元気に遊ぶ姿は可愛いが・・・。

この日の朝、旧友のAJIROさんから電話が入った。「今日、東京へ行くので会えないかな」と。錦糸町で自治会関係の講習会があるので、その帰りに一献交わしたいとのことであった。あきる野市へ帰る彼の帰路を考え、新宿辺りで六時ごろに会おうとなっていた。後は携帯で連絡を・・・なのだ。

次女の処を一足先に出て、待ち合わせへと向かう。途中で、着信有り。出ようとすると切れてしまった。鳴動時間が短い設定なのだ。折り返そうと履歴を見ると「公衆電話」である。AJIROさんが、自宅に携帯を忘れていたのだ。それからがひと苦労・・・、最後は彼の自宅を中継し、漸く落ち合うことができた。

彼は自治会の活動で忙しい、加えて野菜作り、暮れには唐辛子制作が待っている。そんな話を聞き、同じ職場で過ごした、四半世紀から三十年前の昔話となる頃はハイボールが五・六杯と進み、彼も酔いが廻った様子。こっちも体調は依然としてよくない。二時間半ほどで切り上げた。

                           

 

斯様な土・日を過ごし、一向に胃・腸の休まる暇がないのだ。挙句に、AJIRO氏と別れた新宿駅構内書店で買ったのは「侠飯(おとこめし)」という、任侠と料理のおもろい文庫。帰りの車中用にと、値段の安さと内容の軽さで買ったが、これが面白い。思わず自分でも料理を作りたくなる内容なのだ。当分、胃腸に休暇をやれそうにない・・・・。

月曜日の今朝、目覚めたのは四時。これも早い、ラジオとCDで五時半まで待ってから台所へ。今日は、家人の分だけでいい。目ぼしい食材も見当たらないが、何か作るしかない。

「鶏肉と野菜の旨煮風」と「豚バラ肉と野菜の炒め物」をメインに、粕漬け焼と小松菜胡麻和え、炒り卵、以上となった。胃がもたれたままなので、試食するのは止めた。

                           

食材は、鶏肉・豚肉の他は、大根・平豆・オクラ・ピーマン・茗荷に、あの青マンゴを細切で豚と炒めた。

 

 

 

 

 

 

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