オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

偲ぶ会、そして来客と

2013-04-05 | Weblog

4/5(金) 今日もいい陽気。だが、昨夜は少し度を過ごしたようだ。昨夕、御徒町にて知人のU氏の奥様を偲ぶ会があった。サラリーマン時代の仲間と「わがまま旅行会」と呼ぶ、旅を共にする会がある。U氏は、山形県に移住して二十年になるうそうだが、職場を同じくしたメンバーの旅行会仲間で、常に山形からご夫妻で駆け付けられた。

会のメンバーとしては、私が一番の新参者。U氏夫妻とは職場を共にしたことはないが、旅会で出会い親しくなった。その奥様、泰子さんが昨年末から急に体調を崩されて、二月に亡くなられたので「偲ぶ会」をやりますと、連絡を受けたのは二週間ほど前であった。スキルス癌であったそうだ。

昨年の11月半ば、恒例の旅行会が行われた。U氏夫妻は元気に姿を見せられて、飯坂温泉で愉しいひと時を過ごしたとのこと。私は、父の手術と重なり直前にキャンセルとなった。私が来ていないので、残念がってくれたと、この日聞いた。人の死はあっけなく訪れるものと、実感する。

ご夫妻と記したが、戸籍上は夫妻ではなかった。共に家族が別に在ると聞いたのは何年前か。戸籍上のことは、それぞれの事情によるだろうが、亡くなられた泰子さんは、子供の高校を卒業を待って、所縁のない山形へと二人で移住したと、この夜聞いた。人にはそれぞれの形がある。それでいいし、そういうものであろう。されど、伴侶を先に失う悲しさや辛さ、喪失感は大きいであろう。

落ち着いた頃、山形を訪れてご夫妻の人生について訊きたい思った。U氏と、その時に同行を願うつもりのSさんに、年内にと約した。

 

  越中の熟年ライダーから・・・

そんな話をしている時、携帯が鳴った。「アリさん、何処にいるの」と訊く。越中の熟年ライダーを称する、Muraiさんであった。前日、取材の件で問い合わせた時には、上京予定など一言もなかったのだが、勤め先の本社が在る、虎の門に居ると云う。人形町に来たいとのこと。「高松」蕎麦店で待ち合わせることとした。

何だよ、一言もなかったのにと、問うと「深夜バスで富山に帰るつもりだったが、孫の顔が見たくなって、家に帰ることにした」とのこと。彼の家庭は都内・板橋にあり、奥さんと娘・孫が一緒にいる。富山は彼の実家、92歳になる母と暮らしているのだ。親孝行でもあり、長男の義務・役目を果たそうとする男なのだ。

この夜、私が時折に出没する人形町の飲み屋を見たい、行きたいとの仰せ。「高松」からはじまり、「ローカーボ」「Seiju」「ちょっぷく」と、安酒場を巡ることとなった。

濃い~ハイボールを出す「ローカーボ」のカウンターでは、店のオーナーのテンガロンハットを「いいネ」と被り、「Seiju』では、毎日三時間歌を聴き、唄ってるから僕の方が上手いよと、マイクを手にした。(三時間と云うのは、富山から金沢の職場に通う、車の往復時間なのだ)

               

「23時には帰ると約束をした」と言うのを、今更、諦めろと、最後の店「ちょっぷく」で店主の山ちゃんを相手に、薄いハイボール(これを称して、山ちゃんの人情の如し酒と云う)を飲み、大いに発散したのであった。

                    

                              熱唱の熟年ライダー

いい相手と飲んだ所為か、朝の歩きで体が軽くなっていたのか、美味い酒といい時間を過ごした。

 前夜の酒の所為でもないが、目覚めると7時前となっていた。散歩も、昨夜帰宅してから家人に伝えた「タケノコご飯」も諦めた。昨夜、田舎の従姉妹からタケノコが届いていた。家人が煮てあったのを一切れ食すと、これが滅茶旨!柔らかくて最高だった。そこで、明日の朝は、タケノコご飯を作ると、宣したのであったが・・・。

お詫びのしるしに、家人の弁当を昨夜の残りご飯で作ることとした。、菜は、これも送ってきた絹サヤを卵とじ風に。ホタテをソテーし、タケノコも使い「タケノコステーキ風シメジ添え」にした。

                

先日の朝作った「ニロギ南蛮漬け」も入れることにして、手抜き弁当ができあがった。が、味が濃くなりすぎてしまった・・・。

                       

最後のスムージーは、イチゴ・凸ポン・小松菜となった。色合いはグリーンが濃くなったが、凸ポン一個で甘い飲み物となった。

                          

 

 

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名残りの桜

2013-04-04 | Weblog

4/4(木) 6時前に起床、蒲団の上でストレッチと、手抜きの運動。今日の午前、クライアント先で情報誌の打ち合わせがある。場所は渋谷、久々に渋谷まで歩くつもりでいるので、近所巡りの散歩には出ない。

朝食代わりのスムージーを作る。材料はバナナ・トマト・レタスに凸ポンを使った。

                        

凸ポンは松山市在住の後輩、KATUTA君が届けてくれた品で、大変に甘い。これを半分使った。そう云えば、凸ポンの箱の中に、干し海藻のヒジキや若布?が入っていた。これを見て、思わずニヤリとした。私のすり減った頭髪に効果ありやは別にして、そんな意図がありありなのだ。

一昨年になるか、久々に松山市を訪れ、ホテルに迎えに現れたKATUTA君の姿(正確には頭だが)を見て、思わず笑った。彼も私の頭を見て笑う、お互いに大笑いになったが・・・送られた海藻をみて、その時のシーンを思い出した。俺に送らなくても、自分で喰う方が大事なはずなのに・・・。

そんな余談はさておき、甘い凸ポン入りのスムージーを飲み、渋谷まで歩くエネルーギー源とした。

                        

渋谷までのルートは、ちょくちょく歩いていたが、この一年はない。普通に歩けば我が家から一時間なのだが、久しぶりなので余裕をみる。駒沢通りを、学芸大学から中目黒へ。恵比寿方面への坂を上って、旧山手通りから渋谷に至るのが何時ものパターンだが・・・。

中目黒に至る前に、目黒川沿いに桜道を上って行くことを思いついた。ソメイヨシノは終わりだが、八重の桜が咲き始める頃と、思いついた。それに、名残りの桜を眺めてみるのも一興かと。

うっすらと汗をかきはじめる頃合いに着いた。八重桜は咲始め、吉野桜は昨日の雨風で、葉桜に変わり始めていた。土日の喧騒もなく、通勤の時間帯を過ぎた川沿いの道は、木漏れ陽の穏やかな日差しであった。

                         

歩幅を緩めて、名残りの桜が浮び流れゆく川沿いの散策を楽しみながら、大橋から渋谷へと歩く。この川沿い、今年の咲き始め、人出満開時に二度、今朝と四度目となった。

                     

最後はすっかり汗をかき、ベージュのコートを手に持って歩く。久しぶりにまとまった歩きで、尻の筋肉が張っていた。オヤジ、早くも老いたりか

所用時間は、一時間と十五分。予定どうりの時間であったが、汗が引かない。カフェでアイスコーヒーなどを飲みながら、一服。一休みの後、情報誌企画会議に臨んだ。今回の取材立ち合い予定は、金沢・富山、山陽小野田、都内某所或いは、江の島辺りなど二か所となろうか・・・。

 

 

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今日も大荒れ・・・

2013-04-03 | Weblog

4/3(水) 今朝も昨日からの雨がつづいている。おまけに昼前には大荒れとの予報だ。雨降れど、今朝は台所に立たなかった。朝は、ストレッチをして過ごした。

昼、T物産の前社長であった宮村さんが、完全リタイアされたのでご慰労の食事会を予定している。足元が心配なので、同席される現社長OKAZAKIさんに様子を伺った。『大丈夫でしょう』とのこと。

当社と違って、T物産の業績は好調の様子。何よりである。先々週になろうか、T物産創立50周年の記念誌に寄稿を頼まれて駄文を寄せたばかり。サラリーマン時代、丁度民営化の直後に取引先としてお世話になった経緯による。

当時、笑い話のような、何故?、エッと云うようなこと、様々あったが、業務を全うできたのも、仕事の面白さを実感できたのも、T物産のサポートを頂いたことが大きい。爾来四半世紀を越えるお付き合いとなった。

僅かな経験しかない私であるが、これまでの道のりでいろんな方、上司・先輩は云うに及ばず、取引先であれ、後輩、酒場であれ、人と出会い教えられてきた。これをすべて身に着けておれば、もう少しは真っ当な人間になっていたかもしれないし、誰かの役に立ったかもしれないが、所詮は知恵無き児のまま育っちまった。今更、悔みようもないが。

お世話になった方と、久々の食事会である。天候が少しでも治まってくれるといいのだが・・・。

 週二回の酒は・・・

今月から、お酒は週に二回と宣言した舌の根も乾いていないが、難しい。と、云うか既に今週の予定だけでも毎日となっている。やれ送別会だ、誰かが訪ねて来るとか、偲ぶ会もある。週末には遅い花見会と称する年一度の集いもある。バンコクからは、同級生の野口君も来る・・・回数は徐々に減らして行くしかない。

それでも酒量は少なくするように、切り上げの時間は早めにと努力をしている、して行く所存。今月には取材で、北陸に行く予定だが、越中の熟年ライダー・MURAI氏に会っても、申し開きが出来るようにと・・・。

 

 

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舌の根も乾かぬうちに

2013-04-02 | Weblog

4/2(火) 目覚めたのは五時半を過ぎた頃か、外から雨音が聞こえる、それも強い。今朝の外出を諦めた、諦めたはよいが何をするんだ?弁当作りぐらいしか思いつかない・・・。

そんなことで早くも弁当を作る破目に。昨日の段階で天気予報は雨であった。「各なるを、各なることと知りつつも、やむにやまれぬオヤジの弁当」松陰先生の言を借りると、こう言うことだ。

やることもなし、弁当を作った。昨夜の残りご飯があり、飯は炊かない。お決まりのチャーハンか、オムライスとなるが、チャーハンにした。ハム・ウインナー・人参・ピーマン・タマネギを具材とする。

                        

菜の方は、暫し悩んだ末に「鶏肉の旨煮」と、土曜日に下ろして半身を冷凍で取置いた”桜鱒”を取り出して塩胡椒、衣を付けてオリーブオイルでソテーする。

                    

最後に生野菜をと、新タマネギ・絹ザヤ・レタスを酢と塩胡椒で味付けのサラダにして添えた。

弁当は二人分、家人と長女用である。立ち寄るようにとTelをさすと、今月から弁当中止宣言を発してあった所為で、長女は既に自分の弁当を作ったとのこと。それでも、「夕食用に使うので取っといて」と言ったそうだ。抜け目のないやっだ

                       

弁当の用意は済んだが、時間はたっぷりとある。
そこで、先般、高知から持ってきた「ニロギ」(柊魚)と呼ぶ干物魚を「南蛮漬け」にすることとした。

ちっちゃくて、平べったいこの干し小魚は、軽く炙ってビールの肴にすると旨い。だが、すぐに腹が痛むのが難、したがって早く食さないといけない。

買ってきて何日か経った、そろそろ始末を付けなくてならぬと素揚げし、南蛮漬けにした次第。だが、何と酢が無くなっている。仕方ないので馬路村の醤油ポン酢を代用した。どんな味に仕上がるやら?

            

             揚げる前          揚げると腹が破れる          これで味付け

最後に、スムージーとなった。野菜は水菜、フルーツはパイン・リンゴ・イチゴであった。然し、私のスムージーは、正しい食材であろうか?

                   

何と言っても、飯が一番だ・・・。

 

  「一服しながら・・・」

出社して暫くすると、ベランダに出て一服する。事務所内は一応禁煙としている。その時に付き合って、一緒にタバコを吸うのがYOSHIOである。4階フロアで吸うのは彼だけとなった・・・。

一服しながらの会話は、進捗中の仕事のこと、入院している彼の義母のこと家庭のこと、ニュースネタと多岐にわたる。このひと時がいい。

今朝の会話「長嶋・松井が国民栄誉賞だってね~」、女子のサッカーがそうなんだから、遅いくらいか?賞金は無いんだろう?野茂が貰ったっていいよね・・・etc。

そう云えば、国民栄誉賞に匹敵するのが、我が社では「ベストプレイヤー賞」だった。この賞は、スタッフ全員の評価・投票で決める賞だったが、止めてから久しい。かつて、三年連続でトップ賞を受賞したのは、Yurika嬢であった。

衆目が一致する頑張り屋だったが、その彼女が退社して1年以上となるか。辞めた後も会社に顔を見せるが、フリーとなった彼女は、イラストの世界で自分の道を拓こうと奮闘している。そんな賞を出していたことを想いだした。

次の話題は「イワシ」であった。YOSHIO曰く「イワシの生け簀にマグロを入れて、イワシを活性化さすというのは凄いね・・・のんびり過ごしていたのが、急に元気よく動き回らなくちゃ、こりゃすごいアイディアだ」と。

『そうだよな、内の会社にもマグロが要るよな。誰がその役割を果たすのかな?新人に、それを期待するのは難しいかもしれんが、それぐらいの気迫があるといいな・・・』

“生け簀にマグロ”活性化の起爆剤が求められていることは確かだ・・・。ベランダで一服する時間、マグロを求めることを再認識するのには、いいひと時である。

 

全く余談ながら、一服と言うワードで思い出した。一服しながら・・・あれこれ・・・、という詩がある演歌「鴎の街」(ちあき・なおみ)が、好きなことを。

 

 

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空弁当

2013-04-01 | Weblog

平成25年4月1日(月) 今日から弁当作りとオサラバ、なれど「オヤジの弁当箱」のタイトルBLOGは暫く続ける。慣れ親しんだタイトル由、替え難い。

となれば、内容は空の弁当箱と云うことになる。カラカラと鳴る弁当箱は、脳タリン、財布カラ、思いが足りんとばかりに、カラカラと鳴ることであろう。

日常、弁当は作らないつもりだが、雨で散歩に出ない日とか、晴れの日(祝いごと)などで興に乗れば作る所存。

曇り空の昨日曜日、弁当生活から新たなスタイルに変身すべく、スポーツジムにでも入り朝のひと時を過ごすのも一興かと、近所のスポーツジム「アトリオ・ドゥーエ」を散歩がてらに訪ねた。

立派な施設でもあるし自宅からは五分程度と至便である。施設見学をさせてもらい、入所案内などを貰ったが、朝の利用は9時からであった。これだと私の趣旨に合わない。夜の部の利用に切り替えるか、余所を、会社の近くも探してから結論を出すこととした。

その後、界隈を散歩した。目黒通りと環七がクロスする辺りにスーパー大関が出来ていた。何時の間にできたか全く気付いていなかった。店内を覗き、糠漬け用の糠、スムージー用のバナナとローズマリーの苗を買った。

                         

その後、目黒通りと並行して一本海側となる通り、通称桜通りを歩く。花冷えの日が続いているので桜は未だ残っていた。この通りの桜も毎年見てきたが、今年は始めて通る。白っぽかった桜が、お仕舞に近づき花芯が紅くなった所為か色付いたようだ。

             

曇天の中を、碑文谷八幡神社から立会川緑道と散り残った桜を愛でながら歩く。

土・日と肌寒かった。三鷹駅北口の山桜が見頃を迎えたかもしれない、と思いつつも行くことを断念した。

それでも春は着実だ。枯れたように見えていた鉢植えの実生葡萄も芽吹き、実の一つだき・・・と、云いたいアケビも満開に花を咲かせ、香り豊かなジャスミンも、もうすぐ見頃となる。

                     

 

  「ゆく春に吾も老いしともかさなりぬ」   嗚呼諸行無常也。

 

 

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桜鯛&桜鱒

2013-04-01 | Weblog

4/1(月) 今日から平成25年度がスタート、我が社にも若者が一人入社した。入れ替わりではないが73歳を迎えたU老は、31日で一区切りとなり退社。が、今後は、週に一日だけ嘱託として出勤することとなった。

世間では3月末で退職のオールドと入れ替わりに、ヤングが期待・希望・不安などを胸中に職場の門を潜る。我が社の新人も、さまざまな波を乗り越えて大いなる成長を願う。

弁当作りから離れたので朝の時間はタップリとある。初日の今朝は、手始めにストレッチと手アレイで体操、風呂の後は自分用の「スムージー」となった。材料は、バナナ・リンゴ・トマト・キューイ・キャベツであった。

                        

4月1日のエイプリルフィールが、我が伴侶・山の神である家人の誕生日となる。週末、後輩のS君と一献の後、渋谷「奈加野」に立ち寄った。店主で郷里の先輩であるNさんと一杯やりながら、旬の魚の話題となった。

そう云えば、今は「桜鯛や桜鱒」が旬だと思い出した。Nさんは明朝、築地に買い出しに行くとのことだが、私は同行する元気がなかった。そこで、件の魚があれば買ってきて欲しいとお願いした。先輩だからと、甘えて気安く願うのは何時ものこと・・・。

家人の誕生祝を、旬の魚料理でと、思い立ったのだ。翌、土曜日の昼前に『魚買ったよ』と連絡があった。夕方、会社帰りに店に立ち寄って魚を受け取った。活〆にしてもらったと云う鯛も桜鱒も、思ったより安かった、郷里の地鎮祭で贖った地の鯛よりも安い。魚屋で買うより、地場で買うよりも築地が安いのは何時ものことだが・・・・。

日曜日の晩は、子供たちと一緒にイタリアンで食事とのことなので、土曜日の夕食用に魚を調理して一寸早めの誕生祝と云う次第。

                        

二匹の魚を下ろし、料理するのは結構手間取った。鯛は「鯛めし・刺身・潮汁」に、鱒は「ソテー」にした。土鍋で鯛めしを炊き、半身を刺身に、頭は兜煮も考えたが時間短縮で潮汁とした。

そんな土曜の夜、旨い魚で当然の如くに飯の喰い過ぎとなった。

 

 

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