オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

五目オニギリ

2009-10-09 | Weblog
10/9(金) 今日はオニギリにする、流石に連日のサンドイッチでは厭きがくる。

具材は時鮭、イクラ、オカカ、チリメンジャコ、錦松梅と様々ある。食品棚をみると、ご目すしの素「ろくさん亭」があった。急遽、ご目すしオニギリに変更した。とは言いながも、白米の味も捨て難い。

鮭とジャコのオニギリ数個と、ご目すしオニギリを作る。

「ろくさん亭」ご目寿しの素は、彼の料理の鉄人が経営する銀座の店の監修。
何時だったか古い話になるが、この銀座の店に行ったことがある。

料理の方は、どうだったか。私が何時も使う、宇田川町の「奈加野」の方が、値段、味とも私には数段良かったことは確か。

同封されている酢に、土佐・入河内産の「てまいら酢」を加える。と、柚子の仄かな香りが立ち、食欲をそそる。思わず、一握り口にいれた。


結局オニギリは十二個を作った。ラップで包み、各自に好みの組合せで持たす。

しかし、四合のご飯で十二個とは、一個当りの大きさは丁度か、大きすぎるのか?よく分からん。

ああ~、簡単。こんな日があってもいいだろう。
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特製サンドイッチ

2009-10-08 | Weblog
10/8(木) 深夜、台風の雨風が強くなった。案の定、雨漏りがはじまった。我がアバラ屋は、風雨が強くなると水分過剰摂取となる。何度か修理や塗装をしたが、一向に治まらない。私は諦めているが、家人は何かと私に当る…。

雨風の所為ではないが、0時過ぎに目覚めて眠れない。気になることもあった。眠れぬまま、埒が開かないことをあれこれと思案し、深夜となる。

台風の行方を一人TVで見ながら、弘前の林檎が落ちないよう祈る。あの自然農法の、木村さんのリンゴ園の林檎のことを思い浮かべてみる。

結局、四時半頃に暇を持て余し、弁当の準備をすることとなった。

明日の金曜日「サンドイッチ」の予定でいた。家人にサンド用のパンを頼んだが、当てにならない。其処で、昨夜、日持ちするパンを自分で買い帰宅。すると、家人も買っていた。

沢山のパンを前に、今日からサンドイッチにすることとなった。
定番の卵がタップリのポテトサンド、次女が好きなツナサンドetc。

明け方近く、ジャガイモ・卵を茹で、玉葱を薄切りにして水に晒し、胡瓜を切る。
ツナやコンビーフの缶詰を取り出す。

パンは、マフィンとハンバーガ用、薄切りの食パンと三種類。

特製サンドの具は、林檎とセロリ、林檎に蜜をかけたフルーツサンド、キャベツ・レタス・胡瓜とポテトのサンド。コンビーフとキャベツ炒めサンド。目玉焼きとコンビーフ、ツナと野菜、とりどりに組合せたサンドイッチが、六人前出来上がった。

風雨の中を駅に着くと、電車が間引き運転とか。駅に人が溢れ、とても乗車に乗れる状況でない。暫く様子を見る。サンドイッチが潰れては無残だ。弁当のお陰で何かと気を使う。
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手作りハンバーグ

2009-10-07 | Weblog

10/7(水) 台風と秋雨前線の影響か、秋の深まりか、連夜布団を掛けて眠る。涼しさを通り越し、寒さを感じるのは、財布の所為か心の貧しさか・・・。

朝から、手作りハンバーグを作る。冷凍室の挽肉を昨夜から出しておいた。と云うことは、昨夜の内にメニューを決めたと云うこと。

玉葱を刻みパン粉を入れ、溶き卵を加え挽肉と捏ねる。丸めて伸ばしミニハンバーグを7個分をフライパンで焼く。最後に残り汁でソースを作る。ただ、それだけのこと、簡単である。問題は味の方だが、それは昼までお預け。

白菜を茹で、青紫蘇ドレシングをかけオカカをまぶして(水分を取る)出来上がり。以上二品のつもりだったが、何だか淋しい。

南京と人参・薩摩芋を四人分だけ小口切りにし、小さなフライパンで煮る。これで、お菜は三品となった。

弁当に詰める、キャベツを刻みハンバーグを載せソースを掛ける。ハンバーグの繋ぎに使った溶卵が少し残った、勿体無いので、ジャコと一緒に炒り卵にして、自分の弁当に入れた。

「錦松梅」をご飯に掛けるか迷う、聞くと家族は掛けろと云う。確かに、ご飯が進むが、この甘さは他のお菜の味を削ぐような気がする。お菜が負ける、弱いお菜しか作れない悲しさか・・・。

今日も四人分の弁当と、オニギリは一個となった。

弁当にかける、呆けオヤジの青春か?名付けて「オヤジの青春弁当」?こりゃ!

 

昨日、何件かの会社訪問をした、一様に売上が落ちているという。何処に行っても良い話が聞けない。当社も同様である。

どうやってこの時代を乗り切るか、どうすれば乗り切り成長・発展の道が開けるか。解は有る、応えは分かっている。それをやり切ることが出来るか。それだけのこと。

チームが共に進まなければ意味が無い。が、其処に難しさが有る・・・。ならば、どうするか。

 

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煮物

2009-10-06 | Weblog
10/6(火)今日も雨、暗いな~と思いながら起床する。昨日と同じ時間に台所に立ち、先ずは米を磨ぎ炊飯器に掛ける。

昨日と同じ間違いは避けよう、お菜の量と品数は少なめにしよう。

と、云う訳で今日のお菜は少なくて簡単に出来るものとなった。
先ずは、大根・人参これに油揚げと冷凍ヤリイカの煮物。何れも量は少なくする。

豚肉と玉葱炒め、日本酒を掛けまして焼肉のタレで炒める。後は、胡瓜と茗荷の酢の物。
以上、三品が弁当のお菜。弁当は、四人前。オニギリは二個。ご飯の上には「錦松梅」。


雨の中、傘と鞄、弁当袋を持って電車に乗るのも疲れるが、致し方なし。

そんな思いで弁当を持参したが、昼前に外出し訪問先のN社長とランチを共にした。その後、二社を訪問し、夕方の帰社となった。

出先から連絡を入れ、私の弁当は会社のY氏に食して貰う。昨日であれば盛沢山であったが…。半端な弁当を食わして申し訳ない。

雨の所為か、出先も人の出が少ないように感じる。台風も近づくとのこと故、今週は静かな一週間となりそうだ。
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呆け惚け

2009-10-05 | Weblog
10/5(月)6時15分より台所へ、今日もメニューは決まっていない。冷蔵庫を覗き適当に食材を漁る。冷凍エビ、豚生姜焼き用肉を取り出す。

野菜は、エノキと茄子・茗荷を用意。さて、何を作るか?

エビとくればイージにエビフライに直結する、殻を取りまな板に並べ塩胡椒を振る。フライついでに、茄子と茗荷(これのフライは初めて)を加える。薩摩芋も少々素揚げに。

豚肉を生姜焼きにし、付き合せにエノキを炒める。昨夜のお菜の大根と蒟蒻の煮物を半分ほど別鍋に移し、ゆで卵も入れて砂糖と醤油・酒で煮付け風にする。野菜は胡瓜と茹でた人参・ジャガイモを乱切りし、これも塩胡椒を振り、最後に酢を掛けて混ぜ合わせたサラダ。

以上、沢山のお菜が今日も仕上がった。誰が喰うんだ~こんなに!と云う位ある。四人の弁当に詰め込んでも余る。貧乏オヤジの典型的な食模様。プラスにK君のオニギリ二個。

と、マ~これはこれで良いのだが、問題はこの後に起こった。

今日は、W氏からの連絡待ちが最優先事項と、こればかり気にしたのか、大事なことを忘れていた。手帳も見、万全のはづが、大切なミーティングが在ることを忘れていた。

会社のI嬢から、電話が入り「今、何処ですか?今日は全体ミーテイングの日ですが」と云われて初めて気が付く体たらく。いや~参った!

月に一度のオールスタッフでのミーティングを忘れるようでは、私もお終いか。
手帳にもちゃんと書いてある、にも係らず見えてない…。相当に呆けの方も進んだようだ。

出勤後、皆に平謝りとなったのであります。


昨日、以前に居た会社の「グループ会社全国剣道大会」なるものが東京都武道館で開催された。毎年、秋に全国を持ち回りで開催している。今年は東京で第42回となる大会開催。後輩たちも参加するので顔を出してみることとした。

後輩たちもアンちゃんからすっかりオジサンになってる。それと共に、技量も上がり、高段者となって風格が出てきた。不思議なものである。

試合模様を見ていると、昔の悪かった癖は随所に残っているが、悪かった癖は癖なりに、それを上手く使い、生かせるようになっている。永年の稽古の賜物であろう。

継続は力、とよく言われるが、彼らの姿を見ていると実感する。長い長い積み重ねで、立派な剣道をするようになった彼等。何度も何度も昇段審査を落ちても、諦めず稽古を積み重ねて先生とよばれるようにまでなっている。

継続すること、諦めず積み重ねることの大切さを教えてもらう日曜日となった。

惚けては、おられん・・・。




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オムライスと祭

2009-10-02 | Weblog
10/2(金)今日も朝から雨。秋の雨は裏悲しく感じる・・・。

弁当メニューは、オムライスにする。一昨日は却下されたが、今日はこれで行きます。
チキンを解凍し、玉葱を刻み炒める。塩胡椒とケチャップをドカッと入れてお子様好みの味に。

お菜は、里芋・蒟蒻・ジャガイモと冷凍イカを煮物に。処が、強火で小さく切ったジャガイモが煮崩れした。経験不足による失敗だった、家人に笑われる。ウインナーを茹で、今日のお菜はお終い。

弁当箱にチキンライスを入れ、溶き卵をフライパンでオムレツ(中にシメのバター炒めを混ぜてみた)風に焼く。適宜、弁当のご飯の上に載せて、広げてオムライスが完成。

オムライス好きの次女が、今日は弁当箱は持たないと言い出した。急遽、オニギリを用意する。K君の握りと併せて四個。

四人前のオムライス弁当とオニギリ、煮物とウィンナーが今日の成果。きっと美味いだろう!




秋の長雨のシーズンだが、心配するのは10月19・20日の「祭り」。毎年、開催日程は決まっている。よく雨になる。天候次第で暑くも、寒くもなる季節である。人の出や屋台の売上にも大いに影響する。

祭りは、通称「べったら市」と呼ばれている。地元のえびす宝田神社と椙ノ森神社の祭礼。両日に立つベッタラの屋台、香具師の屋台、地元商店の屋台が延々と続き壮観である。

この日、会社ではお客さんに声を掛け、遊びに来ていただく。まして、今年はドトールの店主と共同で、久々に屋台を出展する。天気次第で売れ筋も違ってくるし、遊びとは云え、売上にも影響する。テルテル坊主か、俺の頭、どっちがご利益があるかな~。

何年か前、台風となり大変だった。本業の香具師の人たちが気の毒だった。

会社で出す、屋台の売り物が決まらない。取り合えず、簡単にウルメ焼き、フランク、豚汁、酒(故郷の銘酒「南」と焼酎)等を考えてはいるが。

土佐の酒を売るので、「土佐風五目すし」を作り、都会の人たちにファンになって貰うのも良いか、と朝の出勤途上で一考した。(この、「ご目すし」ファンは結構居るが、金を出してまでは・・・?)

味が気に入った人には、柚子酢「てまいら酢」を販売するのもPRになり良いかもしれない。しかし、作るのは俺か・・・。

売るとなると、味に一工夫にしないと如何だろうナ。田舎の入河内で「てまいら酢」と田舎寿しを作り、名人の誉が高い、従兄弟のミッちゃんに教えを乞うしかないか…。


何だか、こんなことを書いていると、あの爽やかな香りの田舎寿しが食べたくなった。昨夜の酒の名残のムカツキが少しは治まるかも?

昨夜は、郷里の後輩にも当るO君が、東京に来て初めて会社に顔を出してくれた。転勤して一年四ヶ月、相当にシンドイ目に在っていたようだが、漸く一息つけるようになった証か。

平成となり間もない頃、四国から転勤してきたO君と、二年ばかり一緒に仕事をした。それ以来の長い付き合いとなるが、今回は東京に戻っても忙しさの余か、顔を合さなかった。漸く顔を出す余裕がうまれた彼と、久々に飲み、酒が進んだ。昨夜は「O君祭」。
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酢物&フライ

2009-10-01 | Weblog

10/1(木) 昨日、夕方より友人のW氏を会社に訪ねた。見積もりの件やその他、今後の動向についてヒャリング。その後、軽い食事とビールとなったが、早い時間にお開きとなった。

ターミナル駅のフードショップが開いていたので覗く。公魚と鯵が私を呼んだ、どんな料理にする当てもなく、買って帰宅。家には誰も居ない。家人は月末でもあり、仕事で遅くなる、子供達は遊びか。

買ってきた、魚をどうするか思案。公魚は、基本の唐揚か?鯵はやっぱりアジフライか?と。王道は外せないが、これ以外の調理もやってみよう・・・。

鯵半身三枚をシメサバならぬ〆鯵に、公魚半分(二十匹程)を唐揚して南蛮漬けにした。明日の弁当のお菜の予定だ。夕食用に、公魚少々を唐揚と鯵二枚をフライにした。

冷凍庫に鶏肉が沢山残っている。根菜と一緒に、これも弁当用にと煮物にする。

そんなことで、今日の弁当メニューの大半が昨夜の内に仕上がった。

今朝、更に弁当用に鯵と公魚、玉葱をフライにした。これと、昨夜仕込んだ公魚の南蛮漬けと鶏肉・根菜の煮物が今日のお菜。処が、今日の弁当は家人とK君、私の三人前となった。折角昨夜から仕込みをしたのに、数が少なくて気落ちした。                    

ご飯の方、子供がいないので家人が貰ったと云う「生姜ご飯の素」を入れた変わり飯とする。しかし、味が今ひとつしゃっきりしない、寿し酢を入れて味を調える。

〆鯵、南蛮漬け共に結構なお味でした。残ったので煮物と一緒に会社に持参、山賊の酒盛りの肴にする。

 

古くて苦い、思い出について

昨夜、友人のW氏と一献傾けながら老親の介護や嫁・姑問題etc。何時しか、同じ職場で働いていた若い頃の話になる。W氏とは、本社でスタッフが四十数名もいた課のヒラで駆け出しの時からの付き合い。

ふと、当時のことで思い出した。私が、或る担当に異動した三席の時代。職責は、係長~次席~三席~四席~となり、一番人数が多い係りは七席まである大所帯の職場。

私は、自分の上席に当る次席のGさんと、一緒に机を並べた二年間、私的な話を一切しなかった。仕事の上では、Gさんは先任で、私の仕事を担当していた。

一緒に仕事をするようになって一月ほど経ち、係長が飲みに行こうと私を誘った。理由は明白。係長と明け方まで飲みながら、Gさんと上手くやれと、くどいほどに話をされた。根負けした私は、「分かりました、努力します」と応えた。

それから一月が経ち、係長に「やっぱり駄目です」と応えた。係長は短く「そうか」と応えただけだった。

世間的には、相当に異常な関係だろう。同じ係りで隣に居ながら、話すことは最小限の仕事のことだけ。こちらからは、仕事のことも一切相談もしない。

私は、Gさんの一寸した言葉の使い方、先輩に対する配慮の無さに憤慨していた。自分の立場だけで物言う男、と捉えていた。

私が違う係に居た頃、彼は現在の担当で、課内全体の色々な取り纏めをする立場にいた。その時に、私の上席であり、先輩となる方に対する言葉使い、態度に許せないものがあった。

Gさんが親しい人に対する指示・対応、上司や権力者への処し方、力や立場が弱いものに対する処し方の違い。私には全て、認め難いものであった。その、Gさんと形の上でとは云え、上下関係で仕事をする嵌めになった。本来であれば、色々と聞き、教えて貰う立場にある。

それにも拘わらず、私は、聞かない、教えを請わない、話をしないで二年間を過した。こんな経験は、後にも先にもこの時だけだが。頑なに、私は「この人を受け入れない、許さない」と思っていた。

周りは、困っただろう。その時には、そんなことは考えもしていないが。相当に気を使っていたのではないだろうか。

今思えば、他愛も無いこと。私が、子供だった。何だって、受け入れれば済むことを、それが出来なかった。彼には、彼なりの思いや守るものがあったろうに、そんなことに思い至らず、小さな枠の中で一生懸命、私は自分を守っていたのだろう。

だからと言って、あの同じ時代に戻れば、やっぱり同じようにするだろう。長い年月や色々な経験が(僕の場合は下らない、取るに足らない経験ばかりだが)笑い話にしてくれる。

W氏と、しみじみとした話の中で、そんな古いことを思い出していた。

 

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