オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

正月気分も・・・

2018-01-09 | Weblog

1/9(火) 年始明けの三連休も終わった。本格的に始動するべきだが、こちとらはスターターもエンジンもない身だ。スタッフの元気な稼働・活動を見守るのみである。諸君 ! 、今年も元気一杯明るく健康な社会生活を送り給え・・・・と。

三連休前の五日(金)、馴染もこの日から店開きのところが多い。そんな次第で、前夜に顔出しができていない店に行くこととなるのが道理。ところが何処もかしこも一杯・満席だとHOYA兄いから電話が入った。前夜は店が開いてなく、今宵は口開けから満席とは、民の竈は賑わいよるわいと喜んでいるばかりとはイカンザキだ。

取り敢えず「こま吉」に参集となった。正月早々から「ホッピー」とは常に変らぬが、この店に腰を下ろすとホッピーが口からでる。正月らしく、温めの燗酒頂戴なんて出ればいいのだが・・・・。ホッピー飲んでハッピー! なんちゃって語呂もいいのでご勘弁をだ。

前夜につづき、この夜もHOYA兄い、マッチャンの三バカならぬ、三オヤジでの出撃。途中で「高松」に電話を入れ、空いたら席をと願った。「高松」「ローカーボ」「うまし」「セイジュ」「ちょっぷく」に、ここ「こま吉」に加えて「三浦」まで足を延ばしたいところだが・・・・・。

                              

七時過ぎからでは全ては廻りきれない、それに満席の店があるのだ。結果、こま吉~高松~セイジュ~ちょっぷく、までとなった。この夜の帰還は零時か。セイジュからAOKIが姿を見せたのを思い出した。たしか、丁稚羊羹(近江の名物とか)をママさんに渡していた(バカヤロ~俺たちにも渡せ)。帰りのメトロはAOKIと一緒だったはず・・・・。

                      

土曜日、この日は正午に成城学園駅でTUGAWAさんと待ち合わせ。翌七日の、黒田君の命日前に墓参をすることにしていた。駅まで花を買って寺を訪れた。黒田が亡くなって三年、寒かった葬儀のことを思い出し、本堂前の縁台で一服しながら暫しそんな話をした。帰路、駅前の中華店で一献交わす。

                            

そして日曜日、後輩のYOSHINOから電話が入る。剣道部の後輩、依田君が亡くなったという連絡であった。数年前、彼が血液の病気で入院していた五反田の病院に見舞ったことがある。その後、OB会などで会っていたが全快には至ってなかったようだ。残念である。彼の奥さんも初心者で剣道を始めていたし、看護学校では家人の一年後輩になる。明日のお通夜に参列する予定でいる。

葬儀で思い起こすのは、故人となれた方のことである。サラッリーマン時代の上司であった上田さん、横須賀で私的に厚誼を頂いた横塚さん、もうすぐ一周忌を迎える剣道部の大木先輩。暫く墓参ができていない。そして、大先輩の若山先生は伊豆・大川に眠っているが、長い間墓参していない。先輩方のお墓めぐりをする時期かもしれない。

正月の酒場巡りから、お墓めぐりへと話が転じたが、私にとっては全部が同じであると云うことであろう・・・・。全て、日常であると云うことかな・・・・・。

 

連休明けの今日の弁当、今週は家人用だけの一つ弁当となりそうだ。長女は、夜勤・明け・休みがつづくとのこと。

今朝のご飯は「かしわの素」を使った炊きこみご飯である。九州の炊きこみご飯の素で、味が濃いのが特徴。菜の方は、軽めに「豚シャブ&水菜のゴマダレ」「ギンダラの焼き物」。定番の「卵焼き」である。

                   

これに、出汁をとった後の昆布を胡麻油と金胡麻で炒め煮した「昆布佃煮風」。この佃煮とは言わぬ(言えぬ)、風と云う処がいじましいではないか。出汁と採った後の昆布は、もっぱら刻んで佃煮風にして食している。

                           

 

 

 

 

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