Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

藤森神社(2015年12月13日参拝)

2016年02月27日 | 神社
金札宮の次は刀剣ブームで腐女子の参拝が多くなったと、
巷では噂の藤森神社へ。

こちらも初めての参拝となります。

駐車場がありましたが有料です。



所在地:京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
主祭神:素盞嗚命
創建:(伝)神功皇后摂政3年(203)
社格:府社
札所:京都十六社 朱印めぐり


【由緒】

創建年代や祭神には諸説あり、社伝では神功皇后摂政3年(203)、
三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に纛旗を立て、
兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしている。

当初の祭神は現在本殿に祀られる7座であった。
藤森の地は現在の伏見稲荷大社の社地であったが、
その地に稲荷神が祀られることになった為、当社は現在地に遷座した。


東殿は天平宝字3年(759)に藤尾の地に崇道尽敬皇帝(舎人親王)を
祀る神社として創建されたもので、元は藤尾社と称していた。
永享10年(1438)に当社に合祀された。

西殿は延暦19年(800)に早良親王を祀る神社として塚本の地に創建され、
文明2年(1470)に当社に合祀された。早良親王は生前当社を崇敬していた。
陸奥で反乱が起こった時、早良親王は征討将軍となり当社に詣でて戦勝を祈願した。
その出陣の日が5月5日で、これが現在の駆馬神事の元である。

光仁天皇の天応元年(781)、に異国の蒙古が日本へ攻め寄せ、
早良親王が大将軍となり率いた軍勢がこれを退けたが、
その際当社に祈願したことより当社に弓兵政所の異名がつき、
また境内にある蒙古塚は、この時の蒙古軍の大将の首を埋めたものと伝わる。


京都洛南深草の里に平安遷都以前より祀られている古社であり、
古来、朝廷から武家、庶民にいたるまで崇敬厚く、歴史ある社である。

歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、
現在の藤森神社となった。



【社頭】



【石造鳥居】





【参道】


広い境内です。

金札宮と違って境内が駐車場化してないのがいい。


【蒙古塚】





【宝物殿・参集殿】


充分の紫絲威大鎧や刀剣等が展示してありました。
拝観料は確か200円ぐらいだったかな。


【絵馬舎】


元々は拝殿だったそうです。


【拝殿】






正徳2年(1712)に後水尾天皇の遺勅によって、
宮中から移築したもの。


【狛犬】



【御神馬】



【本殿】





本殿から発せられる品格が素晴らしい。

それもそのはず、
本殿は拝殿と同じく宮中から移築したものだから。




重要文化財。


【御旗塚】





【藤森稲荷社】



【不二の水】


普通の水でした。
お腹は痛くなりませんでした。(笑)


【大日如来社・卍地蔵尊】



【藤森七福神】



【神鎧像】







【神輿轅蔵】



【八幡宮社】


重要文化財。


【祖霊社】



【七宮社】



【大将軍社】




重要文化財。


【天満宮社】



【金太郎像】



【白松】







【御朱印】


刀剣のオリジナル御朱印帳がありましたが、
好みでは無いので買いませんでした。

最近買い過ぎていたしね。(^^;


最新の画像もっと見る

コメントを投稿