Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

蟻道神社(2016年7月24日参拝)

2016年08月15日 | 仏閣
高野山金剛峯寺に行くルートは幾つかありますが、
フルーツラインが出来るまでは利用していたのが480号線。

そこを通った時にいつも蟻道神社を見ていたのですが、
いつも高野山に一刻も早く行きたいという思いが、
強過ぎるが故にいつも華麗にスルーしていました。

今回は高野山に行かないので、
やっとこさ参拝となります。

蟻道と書いて「ありとおし」と読み、
紀ノ川に近い高野口に鎮座しています。



所在地:伊都郡かつらぎ町大字東渋田790
御祭神:思兼命 
配祀神:事代主命、市杵嶋姫命、大国主命、少彦名命
創建:不明



【由緒】
人皇九代開化天皇の御守初めて当村字畑山に勧請し、
旧志冨田の庄の総産土神として崇敬される。

崇神天皇の御守天下疫病多く起り、人民の為に盡んとする時、
勅を以て天神地祗の祭場を設け、意冨多々泥古神をして神主となし、
拝祭天下平人民栄なんとする。

故に意冨多々泥古神を祭れるより意冨多村と称す、
其後建武の頃より志冨多村と書き、初め明治の御代に至り渋田と改称される。

天武天皇の時代、唐の高宗から七曲りの玉を献じられ、
これに糸を通して返せと難題をかけられたとき、1人の老人が現れ、
蟻に糸を結びつけ、玉の穴の一端に蜂蜜を塗り一端から蟻を通した。

蟻は蜜の香りにひかれて穴を通り抜け糸を通したのである。

人々は感嘆してその名を問えば(吾は紀の国蟻通の神)と言って姿を消した。

高宗は使者を遣わして当村に蟻通の神が祀られており、
これより朝野の信仰が篤くなったと伝えられている。

天正9年(1581)織田信長の高野攻めの際、兵火にかかり、
本殿御輿庫社務所を焼失し宝物、古文書類灰となる。

文禄2年(1593)正月、現在地に本殿脇社を建て遷座される。


【石造神明鳥居】


社頭前に8台程の無料駐車場がありました。


【拝殿】



【木造神明鳥居】


まだ新しくて綺麗な二ノ鳥居です。


【本殿】


本殿の左右に脇宮が鎮座。


【狛犬】


結構巨大な狛犬。

狛犬には賽銭箱って記憶に無いけど、
この狛犬にはありました。


【平和宮社】





【蟻道戎神社】





【御朱印】