Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

錦織寺(2016年7月31日参拝)

2016年08月24日 | 仏閣


苗村神社から次なる参拝地を走る。

滋賀県はちょっと市街から外れると、
このような長閑な田園風景が広がる。

風景を楽しみながら走ると気持ちがいい。

そんな時にふと大きなお寺が目に入ってきた。

今日は暑いから寄り道はしないと決めていたが、
華麗にスルーするはずが、只ならぬ雰囲気を感じたので寄り道。(^^


所在地:滋賀県野洲市木部826
宗派:真宗木辺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天安2年(858)
開基:円仁聖人



【縁起】
天安2年(西暦858)比叡山三代座主慈覚大師円仁の御指示で、
木部の地に御堂が建てられ毘沙門天王像が安置されました。

それから三百数十年後、親鸞聖人が関東から京都に還ろうとされた途中に、
この天安堂に歩みを留められました。

地頭の石畠氏(那須氏の一族)をはじめ、
近在の人々が聖人のお通りを伝え聞いて馳せ参じ、ご滞在を乞いました。

聖人は笈におさめて常にお持ちになっていた
阿弥陀如来の御尊像を安置されて浄土真宗の教えをお説きになりました。

この時から浄土真宗の湖東における中心になりました。

歴仁元年(1238)天女が蓮の糸で織った紫紅の錦を捧げて
仏徳を賛美するという不思議なことがあって、
このことを伝え聞いた時の四條天皇は天神護法錦織之寺の寺号と額を下されました。

創建以来再度にわたる火災の為に、現在の建物は元禄年間以後再建されたものですが、
両堂表門などは江戸期建造の特徴を示しています。

聖人ひ孫に当たる存覚上人と慈観上人が来住され広く教勢を広げました。

その後、本願寺に蓮如上人が出られやや衰退したのですが、
天正元年(1573)門跡寺院たることを認められると共に、
菊の紋章使用の許しを受けています。 

当寺第十四代良慈上人は京極家親王の猶子で、享保19年(1734)御入山なさり、
江戸時代の真宗四ヶ本山の一つとして一派の興降に尽力なさいました。
当派は、親鸞聖人のご足跡を残す唯一の御本山です。

当派の御門主木邊円慈上人は第二十二代の法燈を平成2年(1990)に継承され、
今日に至っております。


【風景】


お寺の大型駐車場に着くと、そこは墓地でした。(^^;

グルっと回ってお寺の表側に行く。


【玄関門】


この時になってようやくこのお寺が錦織寺というのが分かった。

まさかここが浄土真宗木辺派本山だったとは。

完全に見落としてましたよ。(^^;

車を走らせながらパッと見て、
只ならぬ雰囲気を感じた私の嗅覚を褒めてあげたい。(笑)


ちなみに錦織と書いて「きんしょう」と読みます。

決して「にしこり」とか「にしきおり」とは読みません。

錦織って色々な読み方があるんですな~。(^^;


【表門】




格の高さを感じる門ですね。

玄関門と表門の間から境内に入れて車を停めれます。


【石標】



【中門】


何故か中門まであった。(^^


【境内】


うん、どっからどう見ても浄土真宗のお寺です。


【築山】



【茶所】



【講堂】



【御影堂】




元禄14年(1701)に再建されたもの。

京都の大本山に比べると小ぶりな御影堂ですが、
いかにも真宗らしい建物です。





欄間彫刻が見事でした。


【親鸞聖人像】



【阿弥陀堂】




天保2年(1831)に再建されたもの。




織物を朝廷に献上した際、時の四条天皇から下賜されたもの。
錦織寺の正式名称。






欄間には機織りをしている天女がいました。


【天安堂】






浄土真宗のお寺で毘沙門天が祀られてるは珍しい。
初めて見たと思う。

厨子に安置されている毘沙門天は、
お寺の方にお願いすると見せていただけます。


【鐘楼堂】



【御廟】





【蓮池】





【三王権現】



【高廊下】



【東山御殿】


書院、大広間は東山院の御常御殿を賜ったもの。


【御朱印】


書き手の方がいらっしゃらなかったので、
書置きをいただきました。

浄土真宗では御朱印はいただけないイメージがありますが、
本願寺派や大谷派以外では結構いただけますね。


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