Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

金勝寺(2016年7月31日参拝)

2016年08月21日 | 仏閣
本日は滋賀県の栗東市と守山市界隈の個性豊かな寺社を巡ります。

まずは湖南アルプスと呼ばれ狛坂磨崖仏や天狗岩等がある金勝山へ。

この山はなかなか良いハイキングコースがありますが、
今回は金勝寺まで車で登山。(笑)

金勝寺は仁王門に続く参道がかなり良い雰囲気なんですよね。

その雰囲気を味わいたくて今回訪れました。
楽しみです。

金勝寺と書いて(こんしょうじ)と読みます。


所在地:滋賀県栗東市荒張1394
宗派:天台宗
御本尊:釈迦如来
創建:天平5年(733)
開山:良弁僧正


【縁起】
天平5年(733)聖武天皇の勅願により、良弁が平城京の鬼門鎮護の為、
金勝山中に草創した寺院で、良弁が金肅菩薩と尊称されていたころから、
当初は金肅寺又は金勝山大菩堤寺と言われていました。

金勝寺が寺院として整備されたのは弘仁6年(815)願安が入山してからです。
願安は興福寺の僧で伝燈大法師という高僧で、弘仁年間(810-824)に、
国家の安寧を祈願する為、金勝寺に伽藍を建立し、
天長10(83)に現寺号に改められました。

歴代天皇家の帰依も厚く菅原道真が、
勅命によって参籠した事が寺伝に記されています。

中世時代には、湖南仏教文化の中心として栄え、
全盛期には金胎寺・安養寺など金勝寺25別院があったとされています。

天文18年(1549)に火災で全山焼失し、
住持賢法が徳川家康の援助により再興を図りましたが、
旧観をとり戻すまでには至りませんでした。

慶長17年(1612)徳川家康の朱印状により、金勝山のほとんどが金勝寺領となり、
山の管理は金勝寺に委ねられ、その後も歴代将軍より朱印状が発せられ
寺領は保障されていました。

しかし江戸時代にはかつての力はなく、
宝永2年(1705)に、跡寺院山科毘沙門堂の末寺になり現在に至る。


【林道】


山の上にお寺はあるので例の如く狭い道路を走っていく。
対向車が来ないことを祈りつつ緊張感溢れるドライブです。(^^;

この看板の所は左折するのですが、
狭くて左折出来ないので右折しUターンが必要です。



もうすぐ到着です。

お寺に着くと10台分程の無料駐車場がありました。

早速拝観料500円を支払い境内へ。


【参道】


これこれ、これが見たかったのよ。

梅雨の時期だったら参道も苔が多くなり、
もっと凄い雰囲気を感じられるでしょうね。




うお~、たまらん。

霧の時なんかきっと幽玄なんでしょうね。


【仁王門】



【仁王像】



【本堂】




重文の御本尊釈迦如来を中心に、
見事な仏様がいらっしゃいました。

写真撮影は不可でした。


【仁王門】


本堂から見た仁王門です。

ここから見てもいい。


【二月堂】


ここ、気軽に見に行ったら度肝抜かれます。(^^

高さ3.6メートルもの巨像である軍荼利明王が仁王立ち。

その迫力たるや畏怖の念を感じましたよ。


【軍荼利明王】


重要文化財。

撮影不可でしたので売っていたポストカードより転写したもの。


【虚空蔵菩薩堂】




重文の虚空蔵菩薩半跏像が良かったですね~。

滋賀県のお寺は仏像が充実していますが、
こちらも予想以上に素晴らしかったです。(^^


【大講堂跡】



【御香水館】


明治初期まで京都御所に献上されていた清水が湧いているそうです。


【御朱印】


書置きが置いてあったのでいただきましたが、
御朱印帳に書いていただけたようですね。

その他に軍荼利明王や虚空蔵菩薩の御朱印もあるようですが、
知らんかったわ。(^^;


【感想】
良いお寺でした。

参拝するのに立地的に難がありますが、
是非とも参拝してほしいお寺です。

また、このようなお寺がこれからも残っていって欲しいものです。


それとお寺から少し離れた場所にある馬頭観音堂は見逃し。

次回は磨崖仏ともども再訪する宿題となりました。