Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

隅田八幡神社(2016年7月24日参拝)

2016年08月12日 | 神社
続きまして国宝の人物画像鏡という銅鏡を所有する
隅田八幡神社という神社へ。


所在地:和歌山県橋本市隅田町垂井622
主祭神:誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊
配祭神:丹生都比売命、瀬織津比女命
創建:貞観元年(859)
社格:県社
札所:紀州伊都・福めぐり


【由緒】
神功皇后が外征後、筑前国から紀伊の日高郡由良町を経て、
大和の都に御還幸の途次、この地に滞留なさせ給いし旧跡にして、
貞観元年(859)に八幡社を勧請したのが創祀であるといわれている。

寛和2年(986)摂政藤原兼家が山城国男山にある石清水八幡宮の境内に建てた
三味堂の料所として紀伊国伊都郡隅田村を寄進して、
ここに石清水八幡宮社領紀伊国隅田庄が成立した。

やがて永祚2年(990)には国免庄としての隅田庄となり、
万寿5年(1028)には検田使が立ち入らない隅田庄となった。

延久元年(1069)の荘園整理令にかかわらず、同4年太政官の牒によって、
石清水八幡宮の荘園として認められる。

八幡宮によって隅田庄の開発と支配が行われ、隅田別宮として勧請された。

隅田氏の祖といわれた藤原忠延以後、隅田八幡宮の俗別当職と公文職の
両職を隅田氏が世襲し、隅田八幡宮の経営、
祭祀権を隅田庄々官としての管理権に強大な力をもった。

その後代々地頭職を兼ね武事を専にして殿堂を建て祭式を厳にした。
永禄3年(1560)2月松永彈正久秀の来攻、社殿が焼失、慶長年間に再建され、
後文政2年(1819)に焼失、同5年(1822)に再建され現在に至っている。

大正5年11月県社に列せられた。


【随身門】


境内の端っこに車は停めれるし、
裏側にも無料駐車場がありました。


【龍図】


随身門の天井に描かれている龍がめっちゃカッケー。


【拝殿】



【本殿】





【神楽殿】





【狛犬】



【隅田恵比寿神社】



【馬蹄石】





【境内社】









【経塚】


平成9年に神功皇后遺物塚と伝えられていた場所より発見されたもの。

経筒、外容器、長寛2年(1164)の経典、銅鏡、短刀等が出土されたそうです。。


【宝物倉】



【人物画像鏡レプリカ】





【オニユリ】



【御朱印】


八の部分がハトにしてくれました。(^^