Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

粉河寺(2016年7月24日参拝)

2016年08月17日 | 西国三十三ヶ所霊場
本日最後の参拝となるのが粉河寺。

何とか16時までに到着して良かった。(^^;

二度目の満願にむけてコツコツ頑張ってます。


粉河寺も約4年半振りの参拝となります。


<2012年1月28日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/65e10c68b778de0a166ac9f0a2c0fcd7


所在地:和歌山県紀の川市粉河2787
宗派:粉河観音宗
御本尊:千手千眼観音菩薩
創建:(伝)宝亀元年(770)
開基:(伝)大伴孔子古
札所:西国三十三箇所霊場


【大門】


重要文化財。

本山に相応しい門です。

門前と大門の奥に有料駐車場(500円)があります。

穴太寺と同じく門前で駐車場を経営してる人は、
相当儲かっているに違いない。(羨)


【境内】


粉河寺にはいろいろなお堂があるのですが、
今回は撮影割愛。

どうも二回目以降の参拝となると撮影がめんどくさくなるな。(苦笑)

参拝は決して割愛はしてませんが。(^^;


【中門】


重要文化財。

この中門がこれまた超カッコいい。(^^


【枯山水蓬莱庭園】





【本堂】




これまた見事な本堂です。

素晴らしい。

享保5年(1720)に再建された重要文化財。

今回は拝観料を支払って内陣へ。

これがまた凄かった。

何で前回参拝した時に入らなかったのか後悔したよ。

粉河寺の御本尊は内々陣の真下に、
素焼きの焼き物に入れられて祀られている絶対秘仏とか。

いわば誰も見る事が出来ないということ。

これって朽ち果ててる可能性も高いですよね。

御本尊も所詮は人間が造ったもの。

人間が造ったものは人が手入れしてあげないと、
必ず劣化し朽ちていくのは考えなくても分かる。

果たして御本尊様の状態はこれ如何に。


内陣は当然ながら撮影不可でした。


【丈六堂】




丈六の阿弥陀如来が祀られていました。


【御朱印】



これにて参拝終了

今日も充実した一日であった。(^^

この満足感が功徳の一つなんだろう。

神願寺(2016年7月24日参拝)

2016年08月17日 | 仏閣
宝来山神社の横にお寺を発見。
かつての神宮寺であった神願寺という名前です。

神仏習合の名残りが今も残っています。(^^


所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町萩原55
宗派:真言宗御室派
御本尊:不動明王
創建: 天禄年間(970-973)
開基:源満仲



【縁起】
寳来山神願寺は今を去る一千拾余年。天禄の歳、
人皇第五十六代清和天皇の御曽孫、鎮守府将軍源満仲公の御創建にして、
満仲公の御三男、源賢僧都を初代住職と仰ぐ名刹であります。

其の後星霜移りて荒廃せしが文覚上人(1862)熊野那智山に詣で、
滝にうたれ苦修練行の帰り道当山に立ち寄り、その廃頽を見て大いに慨き、
一は父母冥福の為、一は法界平等利益の為に、
これが営繕再興を発願され上人自ら一刀三礼、
大聖不動明王を刻み本尊とされ当山を復興されたのであります。


【石標】


相当歴史のあるお寺なんですね。


【本堂】


本堂のみの小さなお寺です。

神仏習合の場合、お寺と神社の両方が繁栄しているのは稀で、
どちらかはこじんまりとしてひっそりとしていますね。


【修行大師】



【鐘楼堂】



以前は紀伊之国十三仏霊場3番札所であったが、
現在は普門院に代わられたようです。

宝来山神社(2016年7月24日参拝)

2016年08月16日 | 神社
今回の和歌山遠征もラストに近づいてきました。

続いて前から参拝したかった宝来山神社へ。


所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町大字萩原56
主祭神:八幡大神 菅原大神、猿田彦大神、大山祗大神 
配祀神:大國主大神、素盞鳴大神、蛭子大神、少彦名大神、市杵島姫大神、稲荷大神 
創建:宝亀4年(773)



【由緒】
光仁天皇の宝亀4年(773)和氣の清麿公が、
八幡宮を勧請し八幡山と称したことに始まる。

寿永2年(1183)後白河法皇が田の庄を洛西高雄山神護寺に寄進し、
その縁りをもって同寺の僧文覚上人が熊野、高野に参詣の途次、
当地に錫を止めて壮麗な社殿を造営されたと伝えられている。

当社が鎮座する地は桛田荘と呼ばれ、京都高尾の神護寺の荘園になるのは、
寿永2年(1183)のことで、当社の保護にもあたりました。

しかし戦国時代には神護寺が桛田荘を支配することが困難になり、
高野山との関わりを深めていくことになる。

その後社殿は荒廃に帰したのであるが、大永の頃、
当地の豪家に是吉『伊都郡誌』には仙人翁是吉という人があり、
この人は後柏原院の三宮青院が高野山福藏院に寓居されていた時、
福藏院の後見となって三宮の伝育に当たられた人であるが、
特に当社を崇敬し荒廃した社殿を再興。

歳を経て元亀、天王の頃に至り、織田信長の高野攻めに際して、
その兵火に遭い天正10年(1582)年社殿が灰燼に帰したのであるが、
天正19年(1591)是吉の子孫莊民等が相謀り社殿を再建している。


【一ノ鳥居】


神社はこの先にあります。


【二ノ鳥居】


両部鳥居はやっぱりカッコいいね~。

鳥居横に無料駐車場がありました。


【拝殿】




見事な拝殿です。

しかし本殿は今年の秋の正遷宮に向けて修復中でした。

本殿は春日大社と同じく4殿と、
左右に東殿・西殿があるそうです。


【狛犬】



【境内社】





【遥拝所】





【奥宮】


暑いし粉河寺が待っているので回避。

後で調べてみると行かなくても良かった。(^^;


【御朱印】

蟻道神社(2016年7月24日参拝)

2016年08月15日 | 仏閣
高野山金剛峯寺に行くルートは幾つかありますが、
フルーツラインが出来るまでは利用していたのが480号線。

そこを通った時にいつも蟻道神社を見ていたのですが、
いつも高野山に一刻も早く行きたいという思いが、
強過ぎるが故にいつも華麗にスルーしていました。

今回は高野山に行かないので、
やっとこさ参拝となります。

蟻道と書いて「ありとおし」と読み、
紀ノ川に近い高野口に鎮座しています。



所在地:伊都郡かつらぎ町大字東渋田790
御祭神:思兼命 
配祀神:事代主命、市杵嶋姫命、大国主命、少彦名命
創建:不明



【由緒】
人皇九代開化天皇の御守初めて当村字畑山に勧請し、
旧志冨田の庄の総産土神として崇敬される。

崇神天皇の御守天下疫病多く起り、人民の為に盡んとする時、
勅を以て天神地祗の祭場を設け、意冨多々泥古神をして神主となし、
拝祭天下平人民栄なんとする。

故に意冨多々泥古神を祭れるより意冨多村と称す、
其後建武の頃より志冨多村と書き、初め明治の御代に至り渋田と改称される。

天武天皇の時代、唐の高宗から七曲りの玉を献じられ、
これに糸を通して返せと難題をかけられたとき、1人の老人が現れ、
蟻に糸を結びつけ、玉の穴の一端に蜂蜜を塗り一端から蟻を通した。

蟻は蜜の香りにひかれて穴を通り抜け糸を通したのである。

人々は感嘆してその名を問えば(吾は紀の国蟻通の神)と言って姿を消した。

高宗は使者を遣わして当村に蟻通の神が祀られており、
これより朝野の信仰が篤くなったと伝えられている。

天正9年(1581)織田信長の高野攻めの際、兵火にかかり、
本殿御輿庫社務所を焼失し宝物、古文書類灰となる。

文禄2年(1593)正月、現在地に本殿脇社を建て遷座される。


【石造神明鳥居】


社頭前に8台程の無料駐車場がありました。


【拝殿】



【木造神明鳥居】


まだ新しくて綺麗な二ノ鳥居です。


【本殿】


本殿の左右に脇宮が鎮座。


【狛犬】


結構巨大な狛犬。

狛犬には賽銭箱って記憶に無いけど、
この狛犬にはありました。


【平和宮社】





【蟻道戎神社】





【御朱印】

鎌八幡宮・諏訪明神社(2016年7月24日参拝)

2016年08月14日 | 神社
大阪に物凄く怖かったお寺がある。

その名は鎌八幡。

アレは本当にシャレにならなかった。

そんな怖いモノが和歌山にもある。

それが同じく御神木に鎌が刺さっている鎌八幡宮です。

ナビが例の如く目的地に着いていないのに、
目的地周辺に着きました、と言って勝手に使命を終えやがった。(泣)

仕方ないのでスマホで地図を確認しながら到着。

ちょっと迷ったけど無事着いて良かったよ。

ここには駐車場がありませんが、
神社の前に路上駐車しても大丈夫です。

少し広い道だし警察も来ませんから。(笑)



所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町兄井
御祭神:産土神
創建:不明


【社頭】


鎌八幡宮と諏訪明神社の社号標が並んでいる。

石段を緊張しながら登る。

確実に無人社なのが分かります。


【諏訪明神社】




うん?
鎌が刺さっていない。

至って普通の小さな社です。

こちらが諏訪明神社なんでしょうね。


【狛犬】



【鎌八幡宮】


鎌八幡宮は社殿は無く、
この鎌が刺さった御神木のことをいうようです。

恐る恐る近づいてみると鎌がけっこう刺さってる。(^^;

マジでこえー。

これはシャレにならんわ。

よく刺すよなぁ。
不気味過ぎるわ。(泣)

木に刺さっている鎌自体も怖いけど、
これを刺した人間の心の方がよっぽど怖いわ。

もし誰かが刺している時に偶然見ちゃったら、
地の果てまで追いかけられそうや。(ガクガクブルブル)


あんまり怖いので近くで撮影はしませんでした。(^^;



自宅に帰って調べてみると、
私が行った鎌八幡宮とは違うことに気付いた。

あんな怖い神社が二つある訳が無いと思っていたら、
マジで二つあったわ。(^^;

丹生酒殿神社の本殿裏手にも鎌八幡宮があるんですね。

明治44年に兄井から移されたそうですが、
どうやらこっちの方が有名みたい。

しかも鎌の本数がめっちゃ多いらしい。(^^;

ということは私が行った兄井にある鎌八幡宮は、
元伊勢ならぬ元鎌八幡宮になるのかな。(苦笑)

丸高稲荷神社(2016年7月24日参拝)

2016年08月13日 | 神社
奈良から橋本に向けて京奈和自動車道を走っていると、
高速上から赤い鳥居が見えていて、走る度に気になっていました。

調べてみると隅田八幡神社の飛び地境内社であり、
ちょっとした桜の名所であることが分かった。

何より85もの赤い鳥居が連なる写真を見て、
これは是非訪れたいと思った次第。

ようやく訪れることが出来て嬉しい。

問題はナビでどうやったら到着するかということ。

電話番号は無いし、住所も1丁目までで番地は無し。

とりあえず和歌山県橋本市紀ノ光台1丁目の住所を入力したら、
何とか到着しました。(^^



所在地:和歌山県橋本市紀ノ光台1丁目
御祭神:宇迦之御魂神
創建:不明


【一之鳥居】


事前調査で駐車場があるのは分かっていたが、
場所まで分からなかったので、
不安だったが恐る恐る更に上に走らせる。


【境内】


上まで行くと停める場所がありました。(^^

5台ぐらいは何とか停めれそうですが、
桜の時期は無理かも。


【鳥居】




上から下に向かって撮影したもの。


【風景】


高野山方面。

下に京奈和自動車道があります。


【本殿】



【琴平神社】



【遊具】


ここで子供達に遊んで欲しいという計らいでしょうか。


【公園】


高野山とは反対方面に公園がありました。

多分、あの公園から神社まで行けると思う。


【百日紅】



御朱印はありません。

大高能寺(2016年7月24日参拝)

2016年08月13日 | 仏閣
隅田八幡宮の後ろには別当寺の高尾山大高能寺があります。

高尾山というから東京の高尾山と関係あるお寺かと思ったが、
高尾山というのは単に山号だったのね。(^^;

明治時代の神仏分離令で別れたそうです。



所在地:和歌山県橋本市隅田町垂井623
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:不明
開山:不明



【本堂】


閉まったままで内陣を見ることも出来ず。


【不動堂】



【石仏】



【鐘楼堂】


以上、これだけのお寺でした。

御朱印はありますが御不在でした。

隅田八幡神社(2016年7月24日参拝)

2016年08月12日 | 神社
続きまして国宝の人物画像鏡という銅鏡を所有する
隅田八幡神社という神社へ。


所在地:和歌山県橋本市隅田町垂井622
主祭神:誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊
配祭神:丹生都比売命、瀬織津比女命
創建:貞観元年(859)
社格:県社
札所:紀州伊都・福めぐり


【由緒】
神功皇后が外征後、筑前国から紀伊の日高郡由良町を経て、
大和の都に御還幸の途次、この地に滞留なさせ給いし旧跡にして、
貞観元年(859)に八幡社を勧請したのが創祀であるといわれている。

寛和2年(986)摂政藤原兼家が山城国男山にある石清水八幡宮の境内に建てた
三味堂の料所として紀伊国伊都郡隅田村を寄進して、
ここに石清水八幡宮社領紀伊国隅田庄が成立した。

やがて永祚2年(990)には国免庄としての隅田庄となり、
万寿5年(1028)には検田使が立ち入らない隅田庄となった。

延久元年(1069)の荘園整理令にかかわらず、同4年太政官の牒によって、
石清水八幡宮の荘園として認められる。

八幡宮によって隅田庄の開発と支配が行われ、隅田別宮として勧請された。

隅田氏の祖といわれた藤原忠延以後、隅田八幡宮の俗別当職と公文職の
両職を隅田氏が世襲し、隅田八幡宮の経営、
祭祀権を隅田庄々官としての管理権に強大な力をもった。

その後代々地頭職を兼ね武事を専にして殿堂を建て祭式を厳にした。
永禄3年(1560)2月松永彈正久秀の来攻、社殿が焼失、慶長年間に再建され、
後文政2年(1819)に焼失、同5年(1822)に再建され現在に至っている。

大正5年11月県社に列せられた。


【随身門】


境内の端っこに車は停めれるし、
裏側にも無料駐車場がありました。


【龍図】


随身門の天井に描かれている龍がめっちゃカッケー。


【拝殿】



【本殿】





【神楽殿】





【狛犬】



【隅田恵比寿神社】



【馬蹄石】





【境内社】









【経塚】


平成9年に神功皇后遺物塚と伝えられていた場所より発見されたもの。

経筒、外容器、長寛2年(1164)の経典、銅鏡、短刀等が出土されたそうです。。


【宝物倉】



【人物画像鏡レプリカ】





【オニユリ】



【御朱印】


八の部分がハトにしてくれました。(^^

利生護国寺(2016年7月24日参拝)

2016年08月11日 | 仏閣
続きまして重文の本堂がある利生護国寺へ。

ナビだと山門前に誘導されるが、
無料駐車場は反対側にあります。


所在地:和歌山県橋本市隅田町下兵庫732
宗派:真言律宗
御本尊:大日如来
創建:不明
勅願:聖武天皇
開基:行基菩薩



【縁起】
通称大寺は約1285年前奈良朝聖武天皇の御意により、
高僧行基菩薩により創建された。

鎌倉時代には真言律宗中興の祖、奈良西大寺長老興正菩薩の援助があり、
又、土地の豪族、沙弥願心(上田氏)による土地の寄進もあり、
兵庫の村も寺と共に開けた。

南北朝末期には長慶天皇より寺領安堵の綸旨や院宣も下賜されている。
その後室町時代を通じて隅田党の菩提寺として一族の信仰を集め、
そのみたまは大寺山の墓地にまつられている。

文禄3年3月には太閤秀吉が高野山参詣の帰路この寺に仮泊し、
庭前の松に駒をつないだ伝承が「太閤駒つなぎの松」として、
今日に伝えられている。

松樹の前の立石は「衣擦れの石」と称している。 


【山門】



【本堂】




重要文化財。

当時の建物は建武以後の兵火により消失し、
室町時代に再建されたもの。

大きいがパッと見、重文とは思えないですね。

本堂内陣は事前予約で拝観出来るようです。

あと、西大寺の流れで二年に一度、大茶盛の際に拝観出来ます。


【三体地蔵尊】


善光寺如来ではなく、お地蔵さんでした。


【布袋さん】



【太閤駒つなぎの松】



【護摩堂】


平成13年(2001)に建立されたもの。


【大師堂】



【蓮】




これにて参拝終了。

本堂内陣の拝観予約をしておけば良かったと後悔したが、
お寺の方が御不在で予約は無理だっただろう。

御不在でしたので御朱印はいただけませんでした。

子安地蔵寺<護国院 地蔵寺>(2016年7月24日参拝)

2016年08月10日 | 関西花の寺二十五霊場
人魚のミイラって実際に見ると強烈だったなぁ、
と思いながら子安地蔵寺に向かう。

子安地蔵寺という寺名とは裏腹に、
関西花の寺の札所なんですね。

和歌山にも札所があるなんて知りませんでした。(^^;


所在地:和歌山県橋本市菖蒲谷94
宗派:高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:天平9年(737)
開基:行基菩薩
札所:関西花の寺二十五霊場、紀伊之国十三佛霊場


【縁起】
和歌山県橋本市菖蒲谷にある高野山真言宗の寺院。
正式には易産山護国院 地蔵寺と称する。

伝承によれば天平9年(737)の春、行基の開基で、
本尊の地蔵菩薩も行基が自ら刻み、女人安産守護の為に安置したという。

天正9年(1581)織田信長、織田信孝による高野攻めの時兵火にあい、
地蔵堂は焼失したが、本尊は人里離れた山中に難をのがれたのを、
村人によって発見された。
その地を「かくれがた」と名づけられている。

その後、紀州徳川家の祖徳川頼宣によって
地蔵菩薩を安置する堂が建立され、
正保5年(1648)田園2町歩が本尊香花の費として供養され、
頼宣は11回に亘って参詣した。



【長屋門】


無料駐車場から境内へ。

およそ山門とは思えない豪壮な武家風の門ですね。
一階部分は寺務所となっていました。


藤の花が見頃になると拝観料300円が必要ですが、
今日は当然ながら境内拝観は無料でした。

つまり、花は期待すんなってことだ。(^^;


【本堂】


まずは本堂にお参り。




御本尊は秘仏で1月24日の初地蔵のみ御開帳されるとか。


【鐘楼堂】





【鎮守社】



【庭園】





【抜け殻】


ガキの頃を思い出すなぁ。(遠い目)


【花】






何の花かよく分からんが、
数少ない花だから撮っておこう。


【御朱印】


書置きタイプです。




こちらは通常いただける御朱印です。

学文路苅萱堂<西光寺>(2016年7月24日参拝)

2016年08月09日 | 仏閣
本日のメインである苅萱堂がある橋本へ。

ややこしいけど高野山にある苅萱堂密厳院とは違うお寺です。
かくいう私もグーグルマップで検索していると、
高野山では無い苅萱堂を発見。

調べてみると人魚のミイラがあるというじゃあーりませんか。

お寺の方がいれば拝見出来ると分かったので、
いてもたってもいられなくなって訪れた次第です。

全国にこのようなミイラはありますが、
実際に見た事が無いですから、本当に楽しみです。

本物の人魚じゃないと分かっているけどね。


所在地:和歌山県橋本市学文路542
宗派:真言宗
御本尊:苅萱道心親子三殿
創建:不明
開山:不明


【縁起】
石童丸物語は中世浄瑠璃や琵琶歌で知られる、
平安時代末期の親子悲話石童丸物語所縁の寺。

学文路苅萱堂の開基は明らかではありません。

正式には如意珠山能満院仁徳寺と呼ばれる真言宗の寺院である。

江戸中期の元文5年(1740)以後、仁徳寺と改称されましたが、
それ以前は如意珠山能満院と呼ばれてきたと伝えられています。

以後、高野聖の一派である萱堂聖によって、
全国に広められましたが、江戸初期には説経節、浄瑠璃から
琵琶歌となって広く世に知られました。

特に学文路は当時女人禁制の高野山への参詣口でもあり、
石童丸物語にとってもっとも相応しい舞台となりました。

この物語が庶民信仰化したあらわれとして、
堂内には苅萱道心、石童丸、千里ノ前、玉屋主人像が祀られ、
参詣人には苅萱物語を素材とした各種のお札が配られました。

また絵解きに使われたと思われる石童丸の守刀、人魚、夜光の玉、銘竹等、
数多く伝えられ、高野聖による巧みな石童丸物語普及の姿を彷彿させます。


【風景】


西光寺の無料駐車場から見た風景です。

お寺は長閑な山間にあります。


【苅萱堂】


こちらに人魚のミイラがあります。

下の駐車場がいっぱいの場合は、
境内に停めることも可能です。


【人魚】


お地蔵さんの涎掛けで下半身を隠していますが、
片胸が丸見えです。(^^

下半身隠して胸隠さず。(笑)


【地蔵尊】



【西光寺本堂】


こちらで御朱印をお願いすると同時に、
苅萱堂拝観を伝えると、どうぞどうぞと快くOKしていただいた。

しかも貸切です。(^^


【苅萱堂】


御堂は三つの部屋に別れていて、
最初に見るのが親子地蔵等が祀られている部屋です。




親子地蔵。

ありそうで無かった親子地蔵。

初めて見ましたが、お地蔵さん達が親子という事では無く、
苅萱親子の作と伝わっていることから、
親子地蔵と呼ばれているようです。




如意輪観音。




役行者神変大士。

あとガラスが反射して撮影していませんが、
夜光の玉というオパールか瑪瑙の石がありました。




隣の部屋は位牌堂みたいなもので、
阿弥陀如来、不動明王、御位牌等が祀られていました。




こちらがメインの部屋になります。

向かって左から石堂丸、苅萱道心、千里ノ前が祀られていました。

御堂から見つかった古い御朱印用の印が数十個ありましたね。


お目当ての人魚のミイラは千里ノ前が日頃から傍らに置いて
崇拝していたと伝えられる千里ノ前坐像の前にあり、
黒と金の厨子の中にガラスでミイラが見れるようにした木箱の中に、
人魚のミイラがありました。

参拝する前は所詮人間による造りモノと思っていたが、
実際に見るとその異形の姿に凄いという声が自然にあがっていた。

しかも合掌までしてるし。


【人魚のミイラ】


撮影は禁止でしたので画像はネットで拾ったものです。


更に右には展示スペースがあり、
ガラスケースの中に石童丸守刀や苅萱親子一代記等がありました。


【御朱印】


人魚のミイラ拝観と御朱印が希望の方は、
西光寺に確認してから行くといいでしょう。

紀三井寺<金剛宝寺護国院>(2016年7月24日参拝)

2016年08月08日 | 西国三十三ヶ所霊場
本日は久しぶりの和歌山へ。

紀三井寺、粉河寺の西国札所は勿論参拝ですが、
メインは人魚のミイラがあるお寺です。

しかし、遠くに行く場合は遠い場所から参拝して、
次第に自宅に近い方へと戻りながら参拝するのがセオリー。

そういう訳でまずは紀三井寺へ参拝です。

しかし紀三井寺の正式名が金剛宝寺護国院だなんて、
参拝した時に初めて知ったわ。(^^;


そんな金剛宝寺護国院こと紀三井寺は約4年半振りの参拝となります。


<2012年1月28日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/b16c3a97e456a159e9fc8b6e9d2e2b20


所在地:和歌山県和歌山市紀三井寺1201
宗派:救世観音宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・宝亀元年(770)
開基:伝・為光上人
札所:西国三十三箇所


【門前】


決してシャッター商店街ではない。(笑)

10時開店のようです。

近くの有料駐車場に車を停めていざ参拝開始。


【楼門】


重要文化財。
永正6年(1509)建立されたものですが、
彩色が艶やかです。

拝観料200円必要です。


【結縁坂】


紀三井寺名物と言ってもいい石段がお出迎えです。(^^;

25段、33段、42段、60段と厄年にちなんだ段数があり、
計231段の石段です。


【穀屋寺】




地蔵菩薩と聖徳太子が祀られています。

4年半前にも白鶴のパックが置いてあったぞ。

おみくじや御守が売ってましたが、
御朱印はありそうでありませんでした。


【普門院】


ここは穀屋寺よりもグッズが充実。
いろいろ売ってましたが御朱印は見当たらず。


【楼門】



【清浄水地】



【芭蕉翁句碑】



【瀧本院】


こちらには浪切不動尊が祀られています。

前回は書置きの御朱印をいただきましたが、
今日は御不在でした。


【結縁坂】


まだまだあります。(苦笑)


【稲荷社】



【石仏】



【松樹院】




身代り大師が祀られていました。

こちらもグッズが豊富な品揃えでした。(笑)


【御朱印】


書置きをいただきました。


【宝蔵院】


大日如来、不動明王などが祀られていました。

グッズもいろいろありましたが、
肝心の御朱印がありませんでした。

ここまでグッズを売ってるなら、
書置きでいいから御朱印を置いといてほしいよ。(^^;


【地蔵尊】



【還暦坂】


もう少しです。

坂も一気に登るんじゃなくて、
横にある塔頭を巡っていたら楽ですよ。




やっと坂を登りきった。

上から見た坂。
なかなかええ坂でしょ。(苦笑)


【六角堂】


最初に見るのが六角堂で寛延年間に建立されたもの。


【鐘楼堂】




重要文化財。
新しく見えるけど、天正16年(1588)に建立されたもの。


【観音菩薩】



【風景】



【大師堂】



【大楠龍王】





【半跏思惟像】



【本堂】






宝歴9年(1759)建立されたもの。


【宝物館】


納経所横に宝物館入口があったので、
拝観料100円を支払って中へ。






特に凄いモノがある訳ではありません。

しかし奥に進むと凄いのがありましたわ。








西国の写しの霊場があり、
壁には夥しい数の奉納された杓文字がありました。




観音様でしょうか。
あんまり見ないタイプのお姿をされてますね。




お不動さんもいらっしゃいました。




中国シルクロード風の御顔立ちですね。

これにて宝物館拝観終了。
掛軸等の宝物より奉納された杓文字がインパクト強すぎ。


その後、別途拝観料を支払い本堂内陣へ。

西国の札所では内陣拝観出来るのは貴重ですから、
入らるに決まっている。

荘厳な雰囲気の内陣には金色の厨子があり、
この中に御本尊が祀られています。

金色の宝塔はありましたが、御前立はいらっしゃらなかったです。

脇段にも色々な仏様がいらして、
とても充実した内陣でしたね。

入らないと損しますよ。


【石段】



【開山堂】





【多宝塔】






重要文化財。
文安6年(1449)建立。


【三社権現】



【仏殿】


前回はスルーした仏殿ですが、
1階部分は無料だったので寄ってみた。

デカいだけの新しい仏像は興味が湧かなかったけど。


【石仏】


半跏思惟像でした。


【しあわせ地蔵尊】



【鐘楼】



【千手十一面観世音菩薩】


うお!
これは思ってた以上にデカくて迫力がある。

デカければ良いってもんじゃないけど、
これだけ大きいと畏怖の念がわいてくるね。

フラッシュ無しだと撮影OKです。

この措置は本堂内陣でもお願いします。

重要かつ貴重な仏像は撮影禁止でも、
国宝や重文に指定されていなければ撮影OKのお寺って結構あるのよね。

お寺側が仏様を区別するのは、いかがなものでしょうか。




三階の丸窓から顏が近くで見れます。

入る前はこの観音さんに対して、
全然良いイメージを持っていなかったけど、
目の前で見てるといつの間にか懸命に拝んでいましたよ。


【風景】


三階部分から見た風景。

和歌浦が見えます。

二階部分は納骨堂でした。
やっぱり嫌だな。(^^;


【御朱印】

當麻寺 奥院(2016年7月23日参拝)

2016年08月07日 | 法然上人二十五霊跡
今週も預けていた御朱印帳を受けとりに宗胤院へ。

出てこられた御住職の奥様によると、
御住職が多忙で御朱印が書けていないとのこと。

マジっすか?

電話で事前に確認すれば良かったけど、
お寺に電話をするのは御迷惑だと思うので、
あんまりかけたく無いのよね。(^^;


奥様によると大阪の京橋にあるホテルモントレラ・スール内にある、
GALLERY UCHIDAで「宮下寛昇 ニノカルミゼ展」が、
行われているとのこと。

そこに来ていただければ御朱印帳をお渡ししますよと、
仰るもんですから、後日GALLERY UCHIDAに行くことにした。

そういう訳で今回も御朱印をいただくこと叶わず。(^^;

でも、宮下先生、いやもとい、御住職の作品が沢山見れる、
「宮下寛昇 ニノカルミゼ展」が楽しみです。(^^


それでこのまま帰るのも勿体無いので、
先週、法事をされていたので参拝を止めた奥院へ。

奥院も久しぶりの参拝となります。


<2011年4月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/305f60f7f992655e3c46c7d34f2c6b00


<2012年4月8日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/95e77fd0f07acf70b37ec442b9731a42



所在地:奈良県葛城市當麻1263
宗派:浄土宗
御本尊:法然上人
創建:応安3年(1370)
札所:法然上人二十五霊跡、西山国師遺跡霊場


【縁起】
當麻寺塔頭奥院は浄土宗総本山知恩院の奥之院として建立された寺で、
最初は往生院と呼ばれていました。

知恩院第十二代誓阿普観上人が知恩院の御本尊として安置されていた
法然上人像を後光厳天皇の勅許を得て応安三年(1370)
当地に還座して建立した寺で、以来、浄土宗の大和本山として
多くの人々の信仰を集め今日まで護持継承されて来た名刹です。



【境内】


當麻寺本堂を参った後で奥院へ。


【社頭】



【参道】




拝観料を支払い中へ。

通常は300円で宝物館を拝観すると200円プラスです。


【境内】


右手が本堂、左手が阿弥陀堂です。




蓮はちょっとは咲いてますが、まだまだのようです。


【阿弥陀堂】



【蓮】









【宝物館】


まずは宝物館拝観です。

當麻曼陀羅、二十五菩薩来迎像、四天王のうち二体、中将姫絵伝等、
思ってた以上に充実した展示となっておりました。

中でも重文の十界図屏風が良かったですね~。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、
仏の十界を表わした屏風で見応え充分でした。


【蓮池】




昔懐かしの人面魚みたいですね。




蓮の良さが段々分かってきた。


【楼門】




重文の鐘楼門です。

結構好みの楼門です。


【境内】




奥に浄土庭園があります。


【浄土庭園】


見事な石庭です。

浄土庭園に使われているのは由布院から運ばれたもので、
豊臣秀吉公が大阪城を築城するにあたり、
西国から巨石を集められたもので太閤石と呼ばれています。




龍のようなものが彫られていました。












ここは牡丹の時期になるとアチコチで牡丹が咲き乱れます。

桜と牡丹の時期がお勧めですが、
今は綺麗な花で化粧をしていないスッピンの庭園が楽しめます。


【阿弥陀如来】


この下に納められた遺骨が安置されているそうですね。

参拝した時は知らなかった。(^^;


【十三石塔】



【三重塔】




国宝の三重塔が一緒に見れるがたまらない。(^^

素晴らしい。


【書院】




重要文化財。


【庭園】



【表玄関】



【不動明王】



【御朱印】





【御朱印帳】


また衝動買いしちゃった。(^^

御朱印無しで1500円で、
オリジナル御朱印帳が三種類ありました。

石光寺(2016年7月18日参拝)

2016年08月06日 | 関西花の寺二十五霊場


當麻寺近くのお寺といえば石光寺。

折角ここまで来てるんだから帰るのは勿体無いので、
久しぶりに石光寺を参拝します。

ここは牡丹が有名なお寺です。


<2011年4月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/4d10b6b4ce270bda28193fe88688657a



所在地:奈良県葛城市染野387
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:飛鳥時代後期
開基:(伝)役小角
札所:関西花の寺二十五霊場


【山門】


山門横に5台分程の無料駐車場がありました。


【百日紅】



【境内】


花の時期では無いので拝観料は無料でした。


【白砂】



【阿弥陀堂】








堂内に入って拝めて良かった。(^^


【花】




花の寺の札所だから少しは花を撮っておかないとな。


【弥勒堂】


今回は閉まっていました。


【中将姫 染の井戸】





【観音像】



【塔の大心礎】





【境内】





【十三石塔】



【鐘楼堂】



【地蔵菩薩】



【蓮】



【御朱印】


この時期は書き手が御不在でしたので、
書置きをいただきました。

関西花の寺二十五霊場の天女が描かれた御朱印は元々書置きです。

四種類ありました。




確か期間限定だったはず。

残りものだったのかな。(失礼)
というのは冗談ですよ。(笑)

當麻寺塔頭 千佛院(2016年7月18日参拝)

2016年08月05日 | 仏閣


預けていた御朱印を受けとりに宗胤院へ。

するとまさかの御不在。(泣)

ぐわぁ~、これはつらいわ~。

このまま帰るのは悔しい。

他の寺社を巡ろうと一瞬思ったが、
昼から食事会があったので無理。

結局、宗胤院の隣の千佛院の庭でも見て帰ることにした。

ネットの情報では御朱印もいただけるようだし。


<2012年4月8日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/d92382f1355325358c69b4932e00138b


所在地:奈良県葛城市當麻1263
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明



【長屋門】


横長で印象的な門ですが、
入っていいかちょっと躊躇してしまいます。

中之坊とかはウェルカム全開なんですけどね。(笑)


庭園維持の為に志納金として100円必要です。。
牡丹の時は200円だったと思います。

【庫裏】



【門】


ここから庭園に入っていきます。


【庭園】




小さん池を中心とした石庭付廽遊式特別庭園。




極楽橋を渡ると阿弥陀如来がいらっしゃる極楽浄土となります。

ここは牡丹の時期に訪れると良いでしょう。


【本堂】




御本尊が見れて良かった。(^^


【観音堂】




庭園の中にある観音堂には聖観音が祀られていました。


【龍図】





某有名サイトで御朱印があることを知ったので、
庫裏でお願いすると「ウチはやってません。」とお婆さんの声。

そうですか~。
ここも止めちゃったのな。