初夏の日射しが眩しい。
港の見える丘公園から、薔薇満開のローズガーデンを通り抜けて、神奈川近代文学館へ。
イギリス館前の薔薇園の方は、大勢の人たちで賑やかだったが、こちらの方は静けさの中だ。
近代日本を代表する短歌の巨人齋藤茂吉の、七十年の生涯を展観する。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
明治・大正・昭和を、果敢に生きた茂吉・・・。
ずいぶん、昔の人のような気もする。
来年は没後60年になる。
明治39年(1906年)に伊藤左千夫に入門後、「アララギ」が創刊されると、同人の中で中心的な役割を果たすようになり、編集も担当した。
彼は中学時代から和歌に関心を持ち、精神科医となってからも、正岡子規の影響を強く受けて、作歌に熱中する青年時代を過ごした。
その作品は、人生の一風景や強烈な人間感情を歌って、とりわけ処女歌集「赤光」は、初版発行の大正2年(1913年)当時に、歌壇にセンセーションを巻き起こした。
今回の特別展では、アララギ派の歌人としての茂吉の、少年時代に記した日記なども公開されている。
山形県の生家に保存されていて、未発表だったものだ。
これには、茂吉の少年時代のみずみずしい日常が垣間見える。
ほかに、敗戦後の歌稿や画など約400点を展示している。
茂吉の二男である北杜夫(平成23年10月急逝)は、茂吉が異常なほど神経質で粘着質な性格だったことに、さすがに辟易したと述懐しているが、よほど気難しいところがあったらしい。
この特別展で、ふと目にとまった一葉の写真がある。
それは、茂吉がバケツを下げている写真で、晩年の昭和22年(1947年)6月、「アララギ」会員二人と秋田へ旅行した帰りに、山形県大石田で写したものだ。
バケツは、この時期きわめて小用の忙しかった茂吉が、就寝時に愛用したといわれる「極楽」バケツで、当時彼の旅の必需品だったそうだ。
実生活における茂吉は、精神病院の経営に忙殺され、妻との間に苦しみを抱え、敗戦後は戦争責任を追及されるなど、度重なる試練にさらされた。
茂吉の短歌には、哀切な感情や人生の悲しみがこめられ、それらの歌を見直すことで、茂吉の生涯を支えた「歌の力」を感じ取ることができるのではないだろうか。
6月10日(日)まで、神奈川近代文学館で開催されている。
それから、次回の特別展は6月16日(土)から8月5日(日)まで、「中野重治の手紙―『愛しき者へ』展」が予定されている。
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大正2年、茂吉31歳の時の作歌ですから、私などの生まれるずっとずっと前のことです。
もう100年にもなるのですね。
茂吉記念館から借りてきた昭和10年ごろの「寫生道」の大書には、‘茂吉山人’とありましたが、これとても・・・。
「バケツを持った写真」ですか・・・「大石田」での写真は、外で座布団がわりにする、米俵のフタを持った写真は覚えてますが「バケツ」には気がつきませんでした。
医学博士もご自身はたいへんだったのですね。
齋藤茂吉については、本当にかなり昔の人になってしまいましたね。その頃の教科書が懐かしいです。
当時は、その人となりについてあまり知りませんでしたけれど・・・。
斎藤茂吉ですかー。中学生の頃に勉強しましたねー・・・。
それだけでしたけれども・・・。
なんだか微妙な空気になってしまいましたね。