あまりお目にかかることのできないイラン映画が、初のオスカー(アカデミー賞外国語映画賞)を獲得した。
ベルリン国際映画祭でも、最高賞(金熊賞)、さらに銀熊賞(男優賞、女優賞)のほか、全世界80冠を超える映画賞に輝いた傑作だ。
アッバス・キアロスタミをはじめ、多くの名匠を生み出してきた、イラン映画界の新鋭アスガー・ファルハディ監督の「彼女が消えた浜辺」に続く、彼の長編第5作目になる。
離婚の危機を迎えている夫婦、それをつなぎとめようとする娘、そして彼らの問題に巻き込まれていく、もうひとつの家族と・・・。
それぞれが抱える、嘘や秘密と心の奥にしまわれた真実が、複雑に絡み合い、彼らの人生を翻弄していく。
アスガー・ファルハディ監督による、とくにきめ細やかな、精妙に練られた脚本と巧みな演出が、人間の心の深奥に迫り、複雑さをぎりぎりまで掘り下げている。
奥行とリアリティのある人物描写で、いくつもの伏線が張りめぐらされた、緊張感あふれるドラマの展開が見ものだ。
観ていて、画面から一瞬たりとも目が離せない。
人間の心理の複雑さは、ただ単に善悪だけで割り切れるものではない。
この作品、濃密な人間ドラマとして、出色の出来栄えである。
シミン(レイラ・ハタミ)とナデル(ペイマン・モアディ)は、結婚して14年になる夫婦だ。
もうすぐ11歳になる娘テルメー(サリナ・ファルハディ)と、ナデルの父と、家族4人でテヘランのアパートで暮らしている。
シミンは、娘の将来のことを考えて、国外への移住を真剣に考えていた。
しかし、夫ナデルの父がアルツハイマー病になったことで、この計画が頓挫する。
ナデルは、介護の必要な父を残して国を出ることは出来ないと主張して、一歩も譲らない。
シミンは、娘のためならたとえ離婚することになっても、国外に移住したいと、強硬な態度だ。
二人の想いは平行線をたどり、話し合いは裁判所に持ち込まれる。
シミンは、その後しばらくナデルの父を離れ、実家で過ごすことになる。
一方、ナデルは父親の介護のために、ラジエー(サレー・バヤト)という女性を雇い入れる。
ある日、ナデルが帰宅すると、父は意識不明で、ベッドから落ち、床に伏せていた。
ナデルは、ラジエーを問い詰め、勢いにまかせて、アパートから追い出してしまった。
その夜、ナデルは、ラジエーが病院に入院したとの知らせを受ける。
心配した彼は、シミンと二人で病院へ様子を見に行き、ラジエーが流産したと聞かされる。
結果的に、ナデルはラジエーの流産の責任を問われ、妊娠していたラジエーの胎児に対する「殺人罪」で起訴される。
ナデルは、ラジエーの妊娠を知っていて、彼女を突き飛ばしたのか。
突き飛ばしたとしたら、それは流産させるほど強いものだったのか。
一方で、ナデルの方も、ナデルの父親にした行為に対して、彼女を告訴する。
こうして、裁判は次々と人々を巻き込んでいく・・・。
そして、それぞれの想いが交錯し、複雑に絡み合っていく。
二組の家族は、うねりのような運命に翻弄される。
ひょんなことから、「殺人罪」というイランの法律が立ちはだかり、ドラマは、どんどん急激な展開を見せ、大人たちのそれぞれの立場や思惑は、縦横に絡み合ったまま容易にほぐれそうにない。
物語を追いかけているうちに、あっという間に2時間が過ぎていた。
人間と人間のみを、とことん描き切った映画だ。
イランのこの家庭劇は、現代社会が抱える様々な問題を提起し、心の底を揺さぶらずにはおかない。
彼らの交わす言葉が、いかに無力であるかを見せつけられ、、慄然とするシーンも多い。
嘘があり、真実があり、それらは二重構造のように、ドラマの中を走り回る。
妻のシミンが、夫の立場、家庭の立場を考えたとき、かくも強い決意で離婚まで考えるあたりは、にわかに素直に納得できない。
介護問題、教育問題、海外移住の問題と、いろいろな問題が浮き彫りにされる中で、シミンの娘テルメーの涙と、ラジエーの娘の脅えた瞳が語ろうとしているものは何か。
それぞれの愛するものとの絆が、試されている作品だ。
イラン映画、アスガー・ファルハディ監督の「別離」は、もろくも崩れていこうとする夫婦とその家庭を、緊迫感のあるリアリティで描き切った人間ドラマの傑作だ。
今年は、この作品以外にも、イラン映画が数本日本で公開される。
いまのイランは、核開発疑惑でも、国際紛争の火種を抱えている。
その環境の中で、イランの人々は生きている。
この国は映画の検閲も厳しく、男女の恋愛を扱おうにも、抱擁する場面も、愛の言葉を交わすことも、許されていないというではないか。
そうした状況が、映画の中に新鮮な表現を生み出す工夫へとつながっているようだ。
確かに、旧ソ連や中国の一部の映画がそうであった時があったが、、イラン人映画プロデューサーで本作の字幕を監修した、ショーレ・ゴルパリアンさんの言うように、、質の高い作品とは、往々にして政治的に厳しい環境から生まれ、そのことにより、社会の矛盾が人間への鋭い観察、洞察につながり、創作へのエネルギーとなっているのかも知れない。
日本の小津安二郎の大ファンだという、アスガー・ファルハディ監督は、小津監督も敗戦から間もない当時の日本人の暮らしを、独特のカメラアングルから描き出したように、現代のイランの素顔を写し撮る姿勢には、揺るぎないものさえ感じられる。
核開発に揺れるイランは、危機的状況下にありながら、テヘランではごくありきたりの中流階級の暮らしがある。
日本と、少しも変わらぬ日常の暮らしを見つけることは、難しくない。
この作品は作品として、妻が義父の面倒を見、誠実に家事をこなし、長いこと共に暮らしてきた夫婦の間で、妻は夫の気持ちを忖度できないものだろうかと、そんなことがどうしても気にはなったが・・・。
冷え切っているはずのない夫婦は、愛情の問題をどうとらえていたのだろうか。
この困難な状況に追い込まれた人たちが作り出すドラマの、登場人物たちの虚々実々の台詞の応酬にぐいぐい引き込まれる。
イスラムの国にはイスラムの教えがあり、いろいろと問題提起を残す、見逃せない名作だ。
[JULIENの評価・・・★★★★★](★五つが最高点)
― 追 記 ―
現地時間で27日夜行われた、第65回 カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに、ミヒャエル・ハネケ監督の『アムール (LOVE)』(フランス・ドイツ・オーストリア合作作品)が選ばれた。
日本勢の作品は、今回は惜しくも賞には届かなかった。
・・・樹々の青葉を渡ってくる風が、爽やかである。
そして風薫る五月も、もう終わろうとしている。
雨の季節の訪れも近い・・・。
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ニュースだけを見ているとつい忘れがちですが・・・。
映画は、普段ニュースなどで報道されない一面を見せてくれますからね。
結構知らないことや間違った認識で、恥ずかしい思いをすることも・・・。