徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

原発ゼロで暮らしていける日本―何故に届かぬ民の声―

2012-08-07 10:15:00 | 雑感

暑い。暑い。
朝に夕に、間断なく降りしきる蝉しぐれ・・・。
暦の上ではもう立秋だというのに、これが、本当の夏なんだと想わせる猛暑が続いている。
原発事故から早いもので1年5カ月近く、避難者はいまなお16万人いるといわれる。
仮設住宅にいる人たちは、エアコンのあまり効かない、蒸し風呂のような生活を余儀なくされているという。
いまだに、大震災の復興復旧とは程遠い日々だ。
肝心の、国を挙げての除染作業は進んでいるのだろうか。
福島からの、脱原発の声が、政府にちゃんと届いているのかどうかも疑わしい。
福島市のエネルギー政策の意見聴取会でも、誰もが事故で踏みにじられた生活を語り、すべての原発を即時廃止するよう求めている!

政府の「討論型世論調査」によると、7割の人たちが原発ゼロを支持している。
毎週金曜日夕方の、官邸を取り囲む市民団体の脱原発デモは、主催者発表では20万人とも・・・。
それもますます広がりを見せており、これらの民の声に、野田首相は何を感じているのか。
市民団体メンバーとも面会する予定だったが、いまぐらぐらしている国会対応に追われていて、それどころではなくなってしまった。

多くの世論の反対を押し切ってまで、あれよあれよという間もなく、大飯原発だって再稼働させてしまった。
しかも、完全な安全確認のないままである。
そこが問題だ。
・・・にもかかわらず、次に再稼働すべきターゲットに、すでに狙いを定めている。(?!)

原発がなくても、電力は間に合っている。
計画停電もない。企業の操業停止もない。電車も動いている。
電力が足りない足りないとやみくもに騒ぎ立て、国民の不安を煽り立てるなど、もってのほかだ。
政府や電力会社の勝手な事情で、電力不足を過大に喧伝するものではない。
国民ひとりひとりの節電努力で、暮らしへの影響も少なく、この夏を乗り越えようとしている。
原発再稼働についても、政府は「国民的議論」をというが、福島の声や官邸前に集まる人々の声に、もっと謙虚に耳を傾けたほうがいい。
はなから聴く耳がないのか、国民を愚弄するにもほどがある。

何度でも言いたい。
人類は、核と共棲はできない。
人がいなくては、産業は成り立たない。
命と核と、どちらを取るのか。
答えは明らかだ。

枝野経済産業相も、個人の心情で言えば明日にでも原発を全部止めたいと語っている。
原発ゼロでも、生きてゆける暮らし方がきっとあるはずだ。
福島の教訓に学び、これを日本再生の好機ととらえ、節電と新たなエネルギーの創造を真剣に模索する時だ。
広島、長崎の核の悲劇を見るまでもなく、国は二度と福島の過ちを繰り返してはならない。(福島原発事故は人災だった!)

当然のように、野田内閣の支持率は、22%まで落ち込んだ。
民主政権の末期症状もいいところだ。
国民との約束をすべて(?)反古にし、裏切り、大多数の反対を押し切って、消費税増税を強行し、脱原発にまで背を向ける。
野田首相は、国民の多数が反対しようとも、やらねばならぬことはやらねばならないと突っぱねた!
再生の道は遠く、夢は、希望は、悲願は、諦めと、失意と、絶望へと、変わりゆくのか。
人間の良識を超えて、いよいよ狂気と独裁が堂々とまかり通るのか。

この暑い夏、700人を超える国会議員は何をしていますか。
国民から選ばれた政治家(?)全員が、それこそ命がけで、本当に命を懸けて、政治をやってくれていますか。
自分の身を捨てて国のことを考える、そういう人、一人としていますか。
国会は、いま何が起きてもおかしくないような、異常なな事態だ。
与野党入り乱れて、大きく波乱含みである。
時の流れは早く、立秋を迎えても、なおこれからも厳しい残暑である。
熱中症には、十分気をつけたい。

しかし・・・、人間とは不思議なものだ。
誰とは言わないが、人の見せる穏やかな作り笑顔が、よく注意して見ていると、ときに不気味な悪魔の微笑のように見えたりする。
悪魔のような・・・。


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