徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

期待、そして失望の果てに―小鳩退陣―

2010-06-03 21:20:00 | 雑感

民主党よ、お前もか。
大体こうなることは、想定できなかったことではない。
鳩山総理と小沢幹事長が、辞任することとなった。
両者そろって、痛みわけということか。
歴史的な政権交代から、わずか8ヵ月であった。

「政治主導」「国民が主役の政治」「人の命を大切にする政治」・・・。
鳩山政権が掲げてきたスローガンが、聞こえはいいが空しい。
「政治主導」という、これまで日本になかった新しい政治の仕組みに期待したが、改革は遅々として進まない。
それも無理のないことかもしれない。

新しい政治に期待を寄せていた鳩山政権が、1年も経たぬうちに辞めるということは、大きく国民を裏切ることだ。
これが、選挙目当ての辞任劇と見られても仕方がない。
世界のどこにも、選挙の直前に与党の党首を変えることなど例がないというではないか。
いま、お色直しをして出直しても、その中身、体質まで変わるはずもない。
それでは、自民党と一緒ではないか。

鳩山総理には、政治家に必要な強い情熱、指導力、決断力、実行力が欠けていた。
官邸スタッフとの一体感もなかったし、十分機能していなかった。
ご本人はそのつもりでなくても、一国の首相として、大切な言葉や行動は、軽佻浮薄、朝礼暮改だった。
結局、政治家としての資質までが問われることになった。

日本の政治が劣化しているいわれてもやむをえない。
日本の政治家には、その認識や危機感も希薄だ。
国民やメディアが、あれをやれこれをやれと結論を急いだとて、平成維新の改革がそう簡単になるものではない。

辞任を残念だという声もあれば、当然の帰結だという声もある。
いずれにせよ、失望と落胆は大きい。
辞めたからすむという問題ではない。
この22年間で、何と16人もの首相が交代したことになる!
これは、異常な事態だ。

短命政権がころころと変り、国民は迷うばかりだ。
どうしろというのだ。どうすればよいのだ。
ましてや、今回の鳩山総理の辞任劇は、「自業自得」だ。
せっかく新しい時代が始まると期待した国民は、「何だ、自民党と同じではないか」と深い失望感を味わうこととなった。

鳩山総理は、総理としての資質を容認するにはもう限界を超えていた。
国民生活に、波乱を巻き起こしただけの8ヵ月であっては困るのだ。
民主政権は、新首相の下で内閣支持率を回復させて、態勢を早急に立て直すべきだ。
民主党は、自民政権時代から、短期間で行われた首相の交代を厳しく批判してきた経緯がある。
このままでは、新内閣となっても有権者の理解を得られるかどうかわからない。

いまの日本に、群を抜いて秀でた人材はいない。
誰もが、どんぐりの背比べだ。
日本の政治は、いま誰がやっても同じだ。誰がやっても・・・。
そんな声があちらこちらから聞こえる。

鳩山総理の辞任のあいさつは、20分間にも及んだ。
総理自身の自らの言葉で伝える能力の限界を露呈し、理想を語ることで精いっぱいだった。
それを、まるで遺言状のようだと語った人もいた。
ただ、総理のこれまでの演説の中で、一番よかったという民主党のある重鎮の言葉は皮肉ではなかったのか。

「日本を変えたい」という首相の理念と理想は、現実と理想の乖離で、その理想を実現するしっかりしたブレーンがいなかったことも不幸な事実だ。
衆議院の任期は4年だ。
いま6分の1が終わったところだ。
まだ、スタートして日も浅い。
これは、何のための政権交代だったのか。
民主党は、ここで巻き返すべきだ。
そして、生活最優先の国民のための政治をやってほしい。
政権に改革を迫るのであれば、迫る側にもそれなりの覚悟と忍耐も必要だ。
希望の見えない政治は御免である。

民主主義というのは、失敗(失政)を繰り返しながら、挑戦を繰り返していくしかないのだろうか。
政治に空白は許されない。
鳩山内閣の総辞職を受けて、もう間もなく新内閣が誕生する。
この総理辞任劇は、民主政権のまだほんの序章にすぎない。
平成維新の出直しだ。
これから、また民主政権の第一章が始まる。