触れることなく、言葉も交わさずに、愛を昇華する・・・。
フォト・アートの世界を観ているようだ。
写真家、操上和美第一回監督作品だ。
操上監督は、人間の肉体の奥底から放出するエネルギーを、空気感、重量感を持って一枚一枚の写真に焼き付ける。
写真を愛してきた操上監督が、90分のフィルムに焼き付けたのは、本能と性に翻弄された男と女の姿だった。
映画初挑戦のこの作品は、言葉ではひとつも語らないで、人間そのものから放出される、エロティシズムの香りに満ちた男と女のドラマとなった。
写真家の生理をもって描いた、映画だ。
カメラマンの男(永瀬正敏)は、殺風景で無機質な部屋から、向かいの女をビデオで監視している。
運河を隔てたこれも殺風景な家で、24時間監視され、ビデオで撮られる美しい女(宮沢りえ)・・・。
無造作に平積みされた本の列と、テーブルがひとつだけだ。
キッチンには、ステンレスの鍋が見える。
毎日毎日、男は女を撮り続ける。
本を静かに読む女。卵をきっちり2分30秒でゆでる女。卵を食べる女。
食べ終えると、着飾り、部屋を出て行く女。ファッションモデルのように・・・。
女の顔、目、唇・・・、ぬめぬめとした、隠微で怠惰で、でも一瞬悪魔のように美しいそのデテール・・・。
男は、身じろぎもせず、その様子をファインダー越しに眺めている。
女が外出すると、男も外出し、港湾を歩いて写真を撮り、ネオンと喧騒の街をふらつき、男の持つカメラを褒める女店主(天海祐希)がいるバーで、ひとり静かに過ごすのである・・・。
だが、いつしか、運河の向かいの女に心を奪われていく男・・・。
やがて、男の存在に気づく女・・・。
交わるはずのない二人の運命が、あるとき交差していく。
そして、女の正体を知ったとき、本能と性に翻弄された男と女の物語が、悲劇のクライマックスへと流れ込んでいく。
たかが運命、されど男と女・・・。
これは、音の聞こえない映画だ。
「刹那」を描いた、映像詩とでもいうべきか。
そこに、凝縮された、濃密な、しかしあくまでも純粋な、エロスがある・・・。
これは、そうした連続写真だ。
女の監視記録であるビデオテープを、仕事の“依頼人”(役所広司)に渡し、男はたずねる。
「あの女は、一体何者なんですか」
見つめることしか許されない男が、触れてはいけない女に惹かれていく。
男の愛が昇華されるとき、生き物の輝きを放つ。
「一枚の写真もきちんと撮れないのに、映画がやれるのか」と、写真家としての道を極めながら、20年以上前から思いを寄せていた映画に挑戦した、操上監督のカメラの前に著名な役者たちが立った。
言葉でもなく、肉体的な接触でもなくて、<色気>を放出したのは、永瀬正敏、宮沢りえ、役所広司、それに天海祐希らのそうそうたるメンバーだ。
自身も写真を撮る永瀬正敏は、宮沢りえが演じる“女”を監視するうちに、心を奪われ、悶々としてどこにも発散できない欲望を抱えてしまった男を、そして彼女はといえば、強さと脆さを同居させた、残酷なほど美しい殺し屋を演じた。
男と女の運命を狂わす仕事の“依頼人”役所広司と、バーの店主天海祐希は、登場しているだけで奇妙な存在感を漂わせている。
この作品のために、井上陽水が書き下ろした主題歌 LOVE LILA は、エロティシズムの香りに満ちている。
めぐり会えば 淡いフェロモン
目を見つめて 夜の底に
その夢は LOVE LILA
いつか LOVE LILA ・・・
作品は、まさにフォト・アートなのである。
写真家操上和美のとにかく第一回監督作品でもあり、映画「ゼラチンシルバーLOVE」の作品としての評価が問われるのは、まだ先のことかも知れない。
この不思議な香りがたちこめた作品を、どれだけの人が共感できるか、それは観る人によって大きく異なるだろう。