徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ぐるりのこと」ー夫婦の再生のドラマだがー

2008-07-29 18:00:00 | 映画

橋口亮輔監督の、6年ぶりの復活作だそうだ。
世の中の美しいことや醜いこと、それらをぐるっと描けたらと言うことから、この一風変ったタイトルがついたようだ。
時代を、1993年から2001年の間に設定した。
過去の出来事を追いながら、現代的な作品として、夫婦の愛を描こうと試みた作品だ。
ただ、初めに言ってしまうと、作品全体の作りは少々雑駁だ。
ただし、これはあくまで‘私見’として・・・。

翔子(木村多江)は、夫のカナオ(リリー・フランキー)とともに、子を身ごもった幸せを噛みしめていた。
しかし、そんなどこにでもいるような二人を、突然として襲う悲劇・・・。
初めての子供の死をきっかけに、翔子は精神の均衡を少しずつ崩していく。
鬱になっていく翔子と、彼女を全身で受け止めようとするカナオ・・・。
困難に直面しながら、ひとつずつ一緒に乗り越えていく、二人の十年にわたる軌跡を、やさしさと笑いを交えながら描いた。

人は、一人では無力で何も出来ない。
しかし、誰かとつながることで希望が持てる。
決して離れることのない、二人の絆を通じて、そんな希望のありかを浮き彫りにする。
そこには、ささやかだけれど、豊かな幸福感もある。
法廷画家のカナオが目にする、90年代の様々な犯罪、事件を織り込みながら、苦しみを超えて生きる人たちの姿を、橋口監督はあたたかく照らし出していく。

法廷画家と言っても、テレビ局の委託を受けて、いろいろ指示通りに絵を描き、かつ、ときには手直しして嘘も描き、演出効果をねらったりする画家のことである。
夫のカナオは、そんな仕事に戸惑いつつも、真面目に打ち込んでいく。

映画は、当時の社会背景にも静かに迫っていく。
カナオが法廷で目撃するのは、90年代から今世紀初頭にかけて起きた、実際の事件とその犯罪者たちだ。
これらの法廷シーンも、見所のひとつなのだが、どうも迫力はいまひとつといったところだ。
‘重苦しい’時代の空気を受け止めながら、“二人でいることの幸せ”を見つけ出そうとする翔子カナオであった。

他に、倍賞美津子柄本明寺田農といったベテランが、脇をしっかりと固めている。
そのわりには、作品に不要な(?)会話、不要な(?)シーンが多すぎる。
主役の翔子カナオの話す会話が、声が小さくてよく聴き取れない。
何を言っているのか分からないのだ。
この二人の俳優は、基本的に発声が良くないようだ。
そのあたり、勉強の必要があるのではないか。
演技以前の話だ。

人と人、それも夫と妻という、そばにいることが当たり前の二人を描くのに、夫婦の日常生活を、延々と2時間20分もかけて描くとは、いかにも長い。
いや、長すぎる。
だらだらと続く展開にさしたる波乱があるでなし、いい加減飽きてくる。
これといって、インパクトもない。
終映まで20分もあろうかというのに、客席をたった女性が二人いた。
話のくどいことも一因だ。
二人がふざけあうシーンまでも、コミック漫画みたいに薄っぺらで、安っぽい。
夫婦の入浴シーンとか、二人が見詰め合って涙を流すシーンもあるが、これまた一向に感動が伝わって来ないのだ。
何故だろう。
果たして、本当に必要なシーンだったのか。
本当に必要な台詞だったのか。
削ることの出来ない会話だったのか。
大いに疑問が残る。

どこにでもいそうな、何事もきちんとしなければ気のすまない性分の妻と、真面目一方の模範的な夫の取り合わせで、夫婦仲が悪いわけではない。
夫は、どちらかというと、いい加減に手前勝手に生きてきた男だ。
主役二人の演技は、可もなく不可もないが、映画として見ると面白味に欠ける。

橋口監督は、あれもこれもと伝えたいことが多かったのか、盛りだくさん過ぎて整理できていない。
二人の愛の絆という点に絞れば、1時間30分で足りることだ。
原作、脚本、編集ともに橋口監督だ。
希代の才能とも言われる彼が、6年もかけてたどり着いた新境地というには、やけに力みすぎばかりが目だって、苦心の末に完成した‘意外な’映画に驚きを隠せない。

夫が、妻の膨らみ始めたお腹に手をあてて、幸せそうに微笑んでいる。
そのすぐあとには、もう部屋に位牌が祀られているシーンだ。
これも、唐突と言えば唐突だ。

‘夫婦’を描いた作品と言えば、同じ夫婦の機微を描いた、成瀬巳喜男監督の名作「夫婦」(上原謙・杉葉子・三国連太郎)が想い出されるが、心の沁みる情感があふれていて、いつまでも心に残る傑作だった。

橋口監督は、映画ぐるりのことを、ややドキュメンタリー風なタッチで作品を描いたふしがある。
それはそれでいい。
登場人物たちが自然体だし、妙に構えたりはしていない。
台詞は、しばしばモノログのようで、それはもう呟きとなって聴き取れない。
でもこれには、困った。
彼は、自らの体験をもとにこの作品を作り上げたそうだが、期待していた作品からの“愛おしさ”のようなものは、残念ながらあまり伝わって来なかった。

人生とは、幸も不幸も表裏一体であることを鮮やかに(?)演出したのか。
人生の光と影、まさに、禍福は糾える縄の如しではあるけれど・・・。
人間の内奥に迫る、心の襞を描ききるのは、文学も映画も同じではないだろうか。
映画芸術の険しさを、再認識(?)させる一作だ。
見終わって、さて今日の心に強く残るものがない。
ならば、今日のことは忘れて、明日のことを考えよう。
どうせ短い人生だ。