徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「クライマーズ・ハイ」ー命を追った、あの夏ー

2008-07-13 19:00:49 | 映画

1985年8月12日、群馬県の御巣鷹山に、日本航空123便が墜落した。
乗客乗員524名、うち生存者4名、死者520名という、世界最大で最悪の単独航空機事故が発生したのだった・・・。

当時、地元紙上毛新聞の社会部記者として、この大事故を取材した作家・横山秀(「半落ち」)が、自らの壮絶な体験をもとに、17年の歳月をかけて書き上げたベストセラー「クライマーズ・ハイ」が、映画になった。

事故当時の、一地方新聞社の記者たちが、渾身の取材にあたった、生々しい姿が浮き彫りにされる。
23年という時を経て、あの夏、命を追った記者たちの、それは壮絶な一週間であった。

原田眞人監督のこの作品は、横山秀夫の原作を得て、事件の取材活動を中心に、文字通り、走り、叫び、書いた彼らの激動の日々を描いたものだ。

群馬県、北関東新聞社・・・。
この大事故の全権デスクを任命されたのは、組織から一線を画した遊軍記者の悠木和雄(堤真一)だった。
<新聞>は、命の重さを問えるのか・・・?
大きな命題に立ち尽くす悠木は、更なる壁にぶち当たる。
混乱する現場、妬みや苛立ちに激昂する社内、全国紙と地方紙の加熱する報道合戦、壊れてゆく家族や友人との絆・・・。
社内は異様な熱気に包まれていた。
悠木は、もがいていた。
必死に、自分の信念を貫き通そうとする彼は、あるスクープをめぐって、極限の決断を迫られていた。

未曾有の大事故を横糸に、浮き彫りになる生々しい人間関係の中で、悠木は報道人としての使命感を奮い立たせて、あくまでも正義を貫こうとする。
その姿勢は、「新聞社」という枠を超えて、働く人たち或いは働いてきた人たちに、仕事とは、家庭とは、さらに生きる意味とは何かを問いかける。

四方八方からのプレッシャーに、押し潰されそうになりながら、確固たる信念で、全権デスクの任務を遂行する主人公を演じる堤真一の動きがひときわ光っている。
そして、悠木に憧れつつも反発する県警キャップを堺雅人が、男社会の中で奮戦する新人女性記者を尾野真千子(「殯の森」)が演じ、記者魂をかけた熱いスクープ合戦が繰り広げられる。
また、鬱屈した悠木を、谷川岳衝立岩の登攀に誘い出す販売部の同僚を高島政宏が、さらには車椅子に乗ったワンマン社長を山崎努が印象深く演じ、ひとくせもふたくせもある、新聞社内の人間模様に厚みを持たせている。

原田監督は、社会派エンターテイメントから超娯楽作品まで、数々の作品を手がけている。
この作品では、自身でも最高記録となる2541カットを重ね、登場人物たちのあふれるばかりの緊張感や、感情の機微を、スリリングに、情感たっぷりに、見事なまでの緩急をつけて立体的に描き出している。
どの画面も、活き活きとしていて、躍動的だ。
観ている者は、主人公たちと一緒になって、臨場感溢れる取材現場を共有し、体感させられる。
迫力ある、人間群像劇ではある・・・。

ただし、この映画は、日航機事故に深く言及しているわけではない。
勿論、あの時の事故の再現シーンはリアルだし、圧倒される。
今でも忘れもしない。
あの時、日航機はダッチロール(蛇行)をしながら、機はむしろゆっくりと墜落していった。
だから、パニックに陥った機内の乗客の中には、「遺書」をメモに残す人もいたのだった。

物語は、大きなうねりを描きつつ進行するが、社長のセクハラとか、主人公の家庭の確執(?)とかいった挿話は、一体どういう意味があるというのだろう。
感ずるに、むしろわずらわしいだけだ。
岩登りのシーンが、幾度も幾度も、短い回想シーンとして出てくるのも鬱陶しい。
タイトルと、無理やりにこじつけることもあるまい。
観ていても、ああ、またかと、苛々してくる。減点だ。

人間関係も、複雑に込み入っている。
それを、いちいち説明していてはきりがない。
上映時間も長い。もっと削れる場面もないことはない。
最後の、ニュージランドかどこか外国に、主人公が孫に会いに行くシーンは、本当に必要なシーンかどうか。
蛇足ではないのか。

・・・そして、結局この映画は何を一番言いたかったのか。
幾つもの要素が混入されていて、そのどれもが未消化みたいで、完全に描ききれていない。
日航機墜落の原因を究明するでもなし、新聞記者である主人公の家庭での相克に目を向けるでもなし、地方新聞社の頑張っている姿を、悲哀を交えて描きたかったのか。
そのどれかとも取れるし、全てともとれる。
何もかも、全部が大事だったのか。

記者同士の口論や議論も納得できるが、少々うるさい。
社内での、ニュースのトップ、一面に何をもってくるかという判断は、日々編集部で議論されることだろう。
その辺の描き方は、なるほどと思わせるものがある。
この作品では、50人近い記者たちが登場するのだが、全員を俳優のオーディションで決めたそうだ。
しかも、彼ら登場人物の一人一人の役者としてのキャラクターにこだわり、各人の趣味、性格、ニックネームまで細かく決めたのはさすがである。
かつて、黒澤明監督は、「七人の侍」を撮ったとき、村人の一人一人の戸籍まで作ったと言われる。
シナリオ作家は、脚本を書くときは、登場人物全員の「履歴書」を克明に書けなければならないのだから・・・。

<クライマーズ・ハイ>とは、岩登りの際、興奮状態の極限にまで達して、恐怖心のなくなることを言うのだそうだ。
岸壁を登りきることができればいいが、途中でクライマーズ・ハイが解けると、恐怖のあまり、人間は一歩も動くことが出来なくなるというわけだ。
報道スクープという社命にかけて、編集部が渾身の記事を立ち上げようとしている中で、彼らの興奮状態はヒートアップしていって、極限に達するのだ・・・。

人が愚直なまでに働く姿を描くとき、その職場はスペクタクルだ。
50人という人間の集団がいて、彼ら一人一人の、生き生きとした濃密な芝居を、一見の価値がないとはむろん思わない。
原田眞人監督
映画「クライマーズ・ハイは監督の力量は認めても、欠点も目立つ。
人気度が高い作品だが、いろいろ欲張りすぎたのか、テーマはやや散漫だ。
ただ、この映画を観ていると、社会の様々な出来事を含めて、あの当時のことが、昨日のことのようにフラッシュバックして、それは忘れることの出来ない夏であった・・・。