先日、実家の「床の間」の床が抜けた。
父の電話に急かされ帰って見ると、見事に床下が腐って30センチほど床板が下がっており、ほぼ床が抜けた状態であった。
本職の大工さんに依頼するにしても、床の間だけでは済みそうもなく。本格的な修理は、追って考えることとし(年金暮らしの父母に金を出せと言ったところで、最終的には息子に振られるので、あえて本格的な修理は口にせずに・・・・)
実家の父母と自分の素人3人で、とりあえず修理を行うこととなった。(資金面の話を持ち出されると困るので、労働力は黙って提供・・・)
勢いで買ってきた角材や合板を目の前に、いざ切ろうとしても、本格的なノコは無い
小竹を切る程度の小さなもがあるだけ。角材は何とか切れても、大きな合板を切るには大変である。
ブツブツ言う息子の前に父が持ち出したのは、「チェンソー」・・・そうです、木を切り倒すガソリンエンジン付の機械です。
「切れればいいんだろ!」たじろぐ息子の目の前で、豪快なエンジン音が響き渡り、合板は一辺を切られ、また切られ・・・・・、あっと言う間に、それなりの大きさに・・・・。
まさしく道具は使いよう。
目的は板を切ること。見た目はともかく切れていますので、目的は達しています。
与えられた道具で目的を達するには、どうするか。
結果のレベルはともかく、やれるだけやってみる。実家の父に体現してもらいました。
さて、日曜大工はともかく、私たちが仕事や生活をする際にも、制度という色々な「ツール」を与えられている。
ツールの問題をとやかく言う前に、使えるツールは、どうにか使ってみることが大事なのかも知れません。
ツールに拘りすぎると、大事な機会を失うことになってしまうかも知れません。
まあ、「板を切る」のに、「金づち」しか無かったら、どうしようもありませんが。
熊本 高岡
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