ZENZAIMU(全財務公式ブログ)

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人間五十年

2012-01-06 23:12:55 | 日記

明けまして、おめでとうございます。

まだ松の内ということで、まずは、新年の挨拶から始めさせていただきます。ところで、「明けまして、おめでとう」は年始の挨拶の定番ですけれども、新年を迎えることが、なぜ、そんなにめでたいのでしょうか。

第2次世界大戦前まで、わが国での年齢の数え方は東洋独特の「数え年」が一般的でした。数え年とは生れた年を1歳とカウントする年齢計算方法ですが、なぜ、生れた年を1歳としているのかについては、「母親の胎内にいる期間(いわゆる十月十日)を加算しているから」等の説があるようです。そして、数え年において年齢が加算されるのは毎年の元日でした。年明けとともに全国民が同時に1つ歳をとっていたわけです。

つまり、元日を迎えられるということは、「無事に歳を重ねることができた」ことを意味し、「めでたい」ということに繋がるわけです(ちなみに、「元旦」とは「元日の朝」を指す言葉です。念のため。)。

さて、その数え年でいくと、私は、今年、50歳ということになります。50歳と聞くと、時代劇ファンの中には、織田信長が桶狭間ノ合戦の前に一差し舞ったと伝えられる幸若舞(こうわかまい。現代の能の源流のひとつ。)の「敦盛」の一節を思い浮かべられる方も多いのではないでしょうか。

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢まぼろしの如くなり

「下天」とは、何でも仏教の世界(天上界)の最下位の世界=煩悩の多い世界で、この世界での1日は「この世」の50年に相当するのだそうです。また、上記の「人間」は正しくは「じんかん」と読み、「人の世」という意味だそうです。したがって、その意味するところは、「人の世の50年間の歳月は、下天のわずか1日にしか相当しない」という、極めて無常観漂うものです。

確かに、わが「50年」を振り返ってみれば、あっという間に過ぎ去ってしまったという感慨もあります。しかしながら、各年には、「仕事で大きなミスを犯してしまった」とか「上司・同僚に多大な迷惑をかけてしまった」、「いい芝居に感動した」、「素晴らしい絵画が観られた」等々の悲喜こもごもの出来事が積み重ねられています。独身の私と異なり、家庭を築かれている方は、それこそ多種多様な出来事が日々起きていることだと思います。ですから、「夢まぼろし」の一言で断じてしまうのも、少し違うなぁという気がします。

この2012年も様々な出来事が起きることと思います。特に、国家公務員労組が難戦を強いられることは想像に難くなく、無常観に浸っている余裕もありません。節目の「50年」に随分と重苦しい課題を突き付けられたなぁという思いはありますが、最善の努力を続けていくしかないと思っています。

本年も、中央本部が提起する取組への御協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

【ふく福】