年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

憲ちゃん

2011-03-20 00:00:00 | Weblog
 従弟の中でもっとも気の合う憲ちゃんがやって来た。彼は同じ年の生れで、なにせセコセコしていないところが面白い。大学入試では3ヶ所受けて、最も難しいところだけが受かり、滑り止めのために受けた易しいところは全て落ちた。そして卒業後、今ではとんでもなく入社試験さえもエントリーシートで落ちるだろうと思えるような会社に運良く入ったけれど、わずか1ヶ月で辞めた。その後今でいうところのフリーターをしながら沖縄与論島で3年間ブラブラしていた。いい会社をどうして辞めたのか、と聞くと、満員電車に乗りながら一生終えると思うと、自分はやる気が起きなかった、などと今日話してくれた。数ヶ月のアルバイトを転々と繰り返しながら、30歳まで自由気ままな生活を送り、なぜか縁あって、ポテトチップのカルビーに入社した。そして一昨年定年により退社した。その従弟の憲ちゃんは、神戸震災のおり自宅をなくした。両親の経営する店が青木にあり住まいがその近くにあったけれど、二つとも全壊して永年住み慣れた神戸を去った。そして昨年秋に彼の奥さんの実家がある、私の家の近くに引っ越してやってきた。その憲ちゃんが今日午前中から降りだした雨で行き先のない身体を持て余し我が家にやって来た。今日の話の中身は当然地震の話である。神戸震災と今回の地震と比べてどうか、と聞くと、神戸はピンポイントだったから比べるべくもなく、巨大で恐ろしいことだろう、と話していた。
                     
 私は風邪が治りきっていないので、妻が母親を連れて実家に行き仏壇のお料具など準備をした。

ダウン

2011-03-19 00:00:00 | Weblog
 昨日から喉が痛いし声もうまく出ない。身体もなんだか熱っぽい。このような状態のときはいつもうがいをすることにしている。喉に水をためてガラガラするのではなく、私の場合は鼻から温かい塩水を入れて口から流し出す方法である。結構コレでうまくいくことが多い。で、今回も鼻からのうがいで痛みが取れてうまくいくと思っていたが、まだまだである。熱も少し残っている。今日は外に出ることがなくほとんどコタツで足を突っ込んで横になっていた。
                    
 自宅近くの県営住宅に被災地から引越しをされて来られたご家族がいると聞いた。神戸震災の時には、別の団地にたくさんの方が避難されて来られていたことを思い出した。

採用と不採用の明暗

2011-03-18 00:00:00 | Weblog
 職場において私の座るブースのラインには、正職員、つまり公務員さんが3人、相談員と称する有期雇用職員が10人いる。あわせて13人が、相談に来られる人の中でも就職困難者とみなされる求職者の相談にのっている。その相談員さんが、年度年度の終わりには次年度に向けての面接を受けて、その後採否を決められる。 
                   
 今日その結果が出た。相談員が一人不採用になった。前から私は本人とよく話をしていて、本人はてっきり次年度も採用され、仕事をするんだと張り切っていたが…一方来年もお世話になりますので、よろしく・・などと話しかけてくる方のいたりして悲喜こもごもである。さて、来年は私も面接を受ける順番が来る。どうしようかと考えている。

1段白抜き大見出し

2011-03-17 00:00:00 | Weblog
 震災以後中央紙、地方紙各新新聞は、1面1段の5~60行での白抜き大見出しで三陸津波での被災地の様子に続き、今度は福島原発崩壊のニュースを取り上げて危機的状況を刻一刻伝えてくれている。今日などは、駅売店の大阪紙のあるスポーツ紙は、次は富士山も爆発などとセンセーショナルにあおっている活字も見られた。
 風評が怖い、根も葉もない事実がまことのように流れているのではないか。事実ではないこと、本当のことではないことに自分達は翻弄されて揺れ動いている。人は何によって、何をよりどころとして動くことが今求められているのだろうか…
                 

悼む・痛む

2011-03-16 00:00:00 | Weblog
 連日の報道番組は、いつも心痛めて見ているけれど、見つづけることに嫌になったりもする。被災者達にあるいは被災地区とどのように係わることがよいことなのかを問われていると思う。とりあえずテレビ・ラジオはお金による支援が良いだろうと言っている。しかしそれだけで良いのだろうか・・・
 来月から行き先の決まらないのは4男も同様である。2浪しながら自分の目的に向かうようだ。
                       

創意工夫

2011-03-15 00:00:00 | Weblog
 次々と変化している時代にいて、今のままでよかろうなどの超保守的志向頭に変化している60を過ぎた自分でさえ、何をやっとんじゃい、と言いたくなることが続いておる。それは役所仕事のこと、役所勤めをまもなく終えようとしている人の仕事振りである。
 いかに問題が発生しないようにするか、と考えたときの対処方法は、過去にはどのようにやっていたか、のコピーである。よそはどのようにやっているかのコピーアンドペーストである。反対に自分たちはこのようにするんだというポリシーがない。法に基づきこのように自分たちはやる、という文書すら、よそはどうしているか、などのよそ見ばかりで、この仕事は何のためにやっているか、などの視点が見受けられない。問題は、主人は誰かってこと。38年を役所勤めをして、いつの間にか仕事の主人が、直属の上司になっておる。ばか者メ。このような人たちが、来月早々定年退職挨拶状の文面に、つつがなく勤めを終え・・・・などと印刷してくるんだろう。30年以上懸命に新しい仕事に挑戦をし続けている人は、つつがない職業生活などの時間はなかったろう。直属の上司の顔色ばかり伺っていて、誰のために何のためにこの仕事をやっているのかなどの意見はまったくない。このような役人と仕事をしていると、確かに人間が偏ってくる。
                         

悲しみ

2011-03-13 00:00:00 | Weblog
 テレビ画面から留めなく流れてくる大災害の絵を見ていると恐怖を通りこして感情が別の世界に行ってしまうような錯覚を覚える。と同時にテレビ画面の惨事を温かい所で何かしら眺めている自分達の罪悪感すら生れてくる。隣の惨事を横目で見ながら自分達の日常を送ることは、以前の阪神大震災のときにも覚えた感覚である。つまり他人事のようにふるまう多くの人の意見を見せつけられたこと、と若い人たちの自己犠牲を伴う援助活動の差は一体どこから生ずるのだろうか、という疑問。
もしかしてこれがフラッシュバックの原因になりはしないか、もしかしてこれがPTSDとなり障害をもたらさないか、自分達は慎重に対応しなければならないと思っている。
                        
 一日でも早く被災された方々が癒されますように、と祈らざるを得ない。春を告げるシュンラン咲く。

不安障害

2011-03-12 00:00:00 | Weblog
 今朝の「こころ塾」では、土曜日恒例の「誰ステ」がある。参加者は14人。その人たちを二つのグループに分けておしゃべりの時間を持つことにした。会をまわす私の本日の注意点は、昨日の大激甚災害で受けた参加者の、生じているであろう不安感をどのように対応するべきか…にあった。
 でも、やはり参加者の中には不安感が襲っていたたまれず席を立たれる人もいたりして、心の傷が癒されてない現実を見せられた。自宅にいて自分の部屋で一人いるといたたまれず、みんながいる場所、「こころ塾」に這うようにしてやって来たという20才台女性である。ここはたしかに三陸から遠く離れている場所とはいえ巨大地震をテレビを通して見る多くの人たちの思いは、恐怖そのものだろう。自分たちには、これから災害地で被災された方たちに対して何をすることがもっとも良いことなのかを考えなければならない時間が続く。まず祈ることからスタートすることにしよう。
                        

母親からの電話

2011-03-11 00:00:00 | Weblog
 15時半過ぎの、もちろん仕事中にケータイが鳴った。しばらくして席を立ち裏に廻ってケータイ取ると、あわてた声ガ聞こえた。大きな地震が来てる、はやくTVを見ろ、と言ってきた。
 しかし、自宅で見たニュースは地獄絵そのものであった。 こちらは何もなくてよかった・・などの自己利益を考える気持ちはまったくない。早く何とかしなければ、と祈る気持ちのみ。
                       

新渡戸稲造

2011-03-09 00:00:00 | Weblog
 女性の社会進出について、つまり世の中の流れについて異論を唱えるものではない。男女共同参画然り、男女雇用機会均等法然り。「武士道」を読んでいると、アレレと思った箇所があった。…引用(あるアメリカの女性解放運動家が「すべての日本の婦女子は、古い習慣に反逆して立ち上がれ!」と叫んだが、この自己犠牲※の教訓が完全になくならない限り、日本の社会はこうした軽はずみな考え方には賛成しないだろう。だいいち、そのような反対運動は成功するだろうか。あるいはそれによって女性の地位は向上するだろうか。そのような性急な運動で勝ち得た権利は、今日まで日本の女性たちが受け継いできた、あの愛らしい性質や、しとやかな物腰を失うことと引き合うものなのだろうか。なぜなら、古代ローマの女性たちが家庭を顧みなくなった後に、口にするのもおぞましい道徳的荒廃が起こったことは歴史が証明しているのだ。アメリカの改革論者は、日本の女性の反乱が、まことに歴史的発展のとるべき経路だと保証できるのであろうか。これらは重大な問題である。変化は、そのような反対運動がなくても起きるはずであり、また起こるであろう。)※自己犠牲=妻たちが果たした役割は「内助」、すなわち「内側からの助け」として尊ばれた。妻は夫のために自分を捨て、夫は主君のために自分を捨てる。そして主君は天の命に従う奉仕者であった…自分を犠牲にして高い目的に仕えるという精神…
                        
 なにも男子が上位とは思わぬが、なるほどと思いながら読んでいる。本日4男が不合格であったことを知らされた。残念。