年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

コムソモリスク

2010-05-21 00:00:00 | Weblog
 17年前頃長男や次男がボーイスカウトに入っていた当時、私は28団のカブスカウトを任されていた。廣島に単身赴任中でもあったので金曜日に帰り土日の休みを利用しての団活動をしていたために、ハードな時間を過していたことが思い出される。そこでますます時間のゆとりがなくなり私の後継者を作らねばならなくなった。私の後継者にお願いした方は、お孫さんをカブスカウトに誘った当時60歳を越えるおじいちゃんである。山本さんであった。山本さんから口癖のように聞かされていたことは戦争のむごさである。敗戦によるシベリア抑留経験での人間の原点とも思えるような話であった。私の自宅にもよく遊びに来てもらってコムソモリスク収容所に抑留されていた体験談を何時間もかけてお話をしていただいた。凍てつく冷地での過酷な労働と人間模様についてである。極限に追いやられた時の人間の持ち合わす非情さ、むごさと汚さ、そして少しの温かさのお話を聞くにあたり、昼ご飯を食べることすら忘れて何時の間にか夜になっていることもあった。戦争が終結し日本に帰る様子、また日本に帰ってからの当時のいじめられた上司との関係などは特に興味を注いで聞いていた。今朝の新聞を広げていると愛大で山本さんがシベリア抑留の講義をしている記事があった。頑張っておる。
 山本さんは四国地区シベリア抑留者会の会長をしておられる。山本さんのお話の中で印象に残っていることの一つに、いじめの問題があった。軍隊という組織の中で、下のものをいじめた上官は何故か毎年行う会には参加されないのは何故だろうか・・がある。特殊な時間だったし、既に戦後何十年も経っているのに、いくら参加を呼びかけても会には出席を拒むのだそうだ。

KさんMさんNさんTさんOさんAさんHさん

2010-05-20 00:00:00 | Weblog
 社会的な引きこもりが段々と明るみに出ている話を耳にする機会が増えた。少年や青年ばかりでなく中年や中高年者、はたまた高年齢者に至るまで一般社会と隔絶した空間で生活している人たちが問題視されている。いつもそのような話を聞くたびに私の頭に降って湧いてくる疑問は、問題視している人たちの問題の中味は具体的にどのようになっているんだろうか・・という疑問である。多いのは、経済的に自立した生活をするには、働かないといけない、という答えがある。でも、毎日私の目の前にやってこられる人は、働きたい強い意思があるものの働く場所を与えられないでいる。企業側から見ると職業能力的に不足している理由によるものなんだろう。でも今朝来たFAXのOさんの採否通知書には不採用理由に書かれていた事業所側の言葉は、協力する姿勢がない為、と書かれていた。Oさんは引きこもり者ではなく、数ヶ月前から就活をしていられて面接に行った事業所は20社を軽く超える。Oさんに対して職業訓練やまた採用に至るまでのテクニックを教える方法があるけれど、全て拒否するOさんに、なぜ働きたいのか・・と聞いてみると、答えが帰って来なかった。Oさん55歳。フト思った。Oさんは、誰か人と人との交わりを得るためだけに就活をしていられるのでないだろうか、収入を得ることは次の問題として自分の中にあるのではないだろうか・・などと。
 私の人との交わりについて思い浮かべてみた。KOMNTHさんに偏っておるなぁ。

来客あり

2010-05-19 00:00:00 | Weblog
 昨夜遅く33歳になるK君から相談にのって欲しいと電話があった。今日会議があるのでこちらに来るのだそうだ。それで夕方私も早めに仕事を終えて帰ることにした。K君は南の県境に住んでおり、数年前まで現パナソニック関連の工場でPCに関する仕事をしていたけれど、その工場が閉鎖したのを機に仕事を辞めた。その時以来遠い所から私に就職相談をするためにやって来るようになった。彼の自宅からだと車で3時間はゆうにかかる。K君は今のところ正社員以外の雇用形態で郵便事業会社に職を得ている。本人はアルバイトだと言っているものの仕事の内容についてPCに関することは同僚に比べるとかなりのスキルを持っているらしい。南予地区全体のPC関係のトラブルは彼が正社員でもないにもかかわらず要請により各所に1人で出張って直しているんだとか話していた。自宅は8高齢の父親と身体障害者の母親、兄と弟の5人で暮らしている。しかし私と同じ糖尿病を患う母親の病院への通院やら入退院の世話などで彼の話によれば、上の兄も下の弟も何も家のことは手伝うことなく経済的にもほとんどK君が親の面倒をみているのだそうだ。
 で、夕方自宅で受けた相談は、郵便事業会社において新しいシステムを開発するので転勤してくれ、ということと新しい開発の概要説明であったと話してくれた。早めに自宅に帰った妻も交えて3人で話をした。親の面倒見をどうするか、新しい仕事のメンバーを見てもやたらPCに関して詳しい人は見当たらないから全て自分がやらなければならないようで、つまり公私両面でどうしようか・・・などと悩んでいるよ様子である。
 私も40歳の時にまったく同じ経験をしていて、透析の弟、足が動かなくなった父親、また私の子供4人と妻を置いての転勤があった際に、今夜のK君同様悩んだことが思い出された。
 何もアドバイスらしきものはしなかったが、さて、K君はどのように結論を出すであろうかと思う。

麦秋

2010-05-18 00:00:00 | Weblog
 今の新緑は、こころからきれいなものだと感じている。新芽とか新緑は新しい生命の息吹を連想するためであろうか。夕方自宅に戻ると郵便受けに札幌の次男夫婦の写真が印刷された葉書が届いていた。お嫁さんのM子さんのお腹が随分大きくなっていて旦那の次男が大きくなったお腹に耳をあてている絵であった。文面によると日増しにお腹の中で足を蹴る力が強くなっているのだそうだ。次男ちの出産予定は8月の予定だとか。このまま母子共々健康で育って欲しいと思う。一方長男ちのW君の最新の写真も一昨日届けられていて、写真を見ながらジイバア二人でニヤニヤしながら眺めておる。W君の写真の中では、ケチャップか何かが赤くついた鼻の頭で大きく口を開けて、なにやら叫んでいるような写真を眺めながら妻と一緒に大笑い、これが一番。
 駅に向かう通勤途中にある麦畑は今麦が熟れておる。麦の熟れる時期に野苺も熟れる。今度の休みには野いちごジャムにチャレンジ。

今日は間違いなく

2010-05-17 00:00:00 | Weblog
 先日、少年院への面接日をすっかり忘れていたことがあるので、今朝は呪文を唱えるようにケサイクケサイクとつぶやいていた。ところが、フッと不安になり、今朝だったんだろうか明日の朝ではなかったんだろうか・・と思い始めた。それで、確かめるために先方に電話を入れた。確か今日の○○時にお伺いすることになってますよね、と確認した。すると先方の方から、ハイお待ちしております、と答えが返ってきた。それでちょっと安心した。このようなことがあったので友人Tに電話で話をすると、そりゃ立派な老人性痴呆症の始まりじゃ・・などと勝ち誇ったような声で喋っておった。
 17歳の少年と向き合う。カギのかかっている個室での面接。まずワタシが少年に出来る、就職するための支援方法から説明しはじめる。そしてありきたりではあるが。仕事への興味ややりがいを感じることの話を聞いたり将来はどんなことしたいのか、などと教官目線ではなくあくまでも少年目線で話を聞いていく。無論傍らにはメモをとる職員が立ち会っているものの二人だけの時間につき、少年の考えを聞いていくことが中心になる。面接が終わり少年が職員に連れられて部屋を出る時に、少年の後姿を見送りながら思ったことは、確実にこのA少年は失敗をした社会的経験の履歴があるものの、今後自分の意思でどのように生きてゆくんだろうか、ということであった。事件を起こした少年の成育状況や事件の背景などは自分に知らされていない。人は失敗しながら生きてゆんだろう、例え大きな失敗にせよ小さな目に見えないような失敗にせよ、経験しながら生きていくのだろう。反面、成功などと晴れがましい経験は大きな成功であれ小さな成功であれ自分の気持ちを落ちつかせるものなんだろう。サテ、どのように小さな成功から経験してもらおうかと、自分は考えた。

パトカー

2010-05-16 00:00:00 | Weblog
 用事が終わり次第温泉へ連れてって欲しいと言ったので母親を久米之湯へ入れての帰り道、車2台がやっとすれ違うことができる幅の町道の四辻を過ぎたところで、急に後ろからけたたましくサイレンを鳴らして赤色灯をチカチカさせながら私の車の後ろをパトカーが追いかけて来るではないか。私の前には車も走っていなくて、どこか今しがた事件があり現場に急行するんだろうと思った・・・ところが私のすぐ後ろについてきて、トマレと命令するではないか、トホホ、助手席に座っている母親のシートベルトかな?と思いきや、若いおまわりさんが、ニコッともせず、「そこの角で一時停車しなかったでしょ」と言った。アレレ、「目の前のパトカーに気がつかなかったですか」などと言った。実際見通しの良いところではあるが、まったく目につかなかった。ちょうどその時、隣りに座る89の母親から、62の私に対して、なんだかんだと怒られていた最中であったのだ。オマエは文句ばかり言っておる、と叱られていたので、自分もカ~ッと頭に血が上っていた最中に一時停車するところを左から走ってきているパトカーが目に入らなかったのである。ア~ア2点減点の罰金7000円か・・・親からは叱られるし、おまけに罰金は取られるし、最最悪の夕方。
 午後は雇用能力開発機構にてECCの総会と研修会があった。久し振りに会うメンバーと楽しく会話をし、今年の研修計画などを決めた。午前は妻と二人で雑談、夕方の悪夢の時間のあとは夜の散歩を二人でしているときに、妻からも「実は先月ワタシもバイクで一時停止をしなくて罰金取られた」と苦笑いをしておった。ア~ア

2周年式典あり

2010-05-15 00:00:00 | Weblog
 沖縄協同病院から蟻塚先生、元愛大医学部教授の金澤先生をお招きして「こころ塾」の2周年記念式典を催した。蟻塚先生のお話は、薬に頼る部分と頼らないで治療する部分があり、投薬治療には限界がある。と話されたあと、当塾のようなNPO団体が市民レベルで当事者同士話し合いを持ち、考え方や生き方そして生活のありようを考える必要がある・・などと話をされた。金澤先生とはいつもお話をお聞きすることが多く、診察室の現場を通しての傾聴することの有効性をいつも教えてくれている。
 午前中は総会、そのあとは「誰ステ」、午後には一般参加者も来ていただいての講演会としたので塾長共々和やかな雰囲気の会になったことに満足。夜は蟻塚先生ご夫婦と金澤先生と塾長夫婦とご長女さんとで愉快な話を真中にして街中のお店でおしゃべりする時間を持った。ちょっと疲れたけれど充実した一日となったことに感謝。

焦点

2010-05-14 00:00:00 | Weblog
 近頃集中力がないようだ。計画した遠望視する過程の中で行うような取りあえず手始めのやらねば仕事と違い、あっち行ったりこっち行ったりするばかりで、目標に向かっての出発点のないところをうろついておる。中心点のない浮遊感覚を持つ思い。それで、集中力をつけようと考えた。で、短編を読もうなどと考えた時、グワッと読むのに選択したものは、やっぱり藤沢周平本「静かな木」である。この木はケヤキを描いている。ハッと思ったのは、木の真実は、葉が生い茂るケヤキではなく、丸裸の幹と枝だけの冬のケヤキがケヤキの真実である・・・などと書かれていることに思いを寄せた。
 表面を飾りつけた景色に飽き飽きしているこの頃、何あともあれ骨格だけをたよりに相手と会話をして、色即是空で言うならば、色のところを排除して会話をする時間を増やしたいと・・・
 目標を持ちなさいと人は言う。そして目標に向かって突き進みなさいと人様は言ってくれる。でも、目標を表すことが出来ないでいる時、どうしようか、取りあえずご丁寧に目標を持ちなさいと言ってくれる人の目標をきちんと聞きたい方が先立つ思いが強い。あなた様の目標をお聞かせくださいませんか・・・と。

主人公?

2010-05-13 22:19:11 | Weblog
 近頃ぼんやりしながら頭の中にフワッと浮かんでくることの1つに、自分の主人公っていったい誰何やろか?がある。自分の主人公は自分自身に違いないだろうけれど、でも何かが違う、何かに仕えながら、誰かに仕えながら今が在る・・・とすれば、その何かとは具体的に何か、その誰かとは具体的に誰のことなんだろうと頭の中がぐるぐると回り始める。自分は脇役であるなどの名文を書いた遠藤周作さんの言葉を借りれば、ボクは奥さんの脇役ワキヤクとジュモンをかけることが家庭の中ではうまくいく秘訣である・・などと書かれていたのを思い出すが・・また、確かに教会に行けば礼拝の中で厳粛な気持ちになり主を示してくれる。けれど今、私の目の前にいる人、こころの病を携えながらも自立した生活を願っている人、罪により数年間服役されて、なんとか迷惑をかけないで自立した生活を守りたいと目標にしている人、DVなどで家族から追いやられている人、何度も何度も面接に行けども不採用になり道が塞がれていると考えている人、60歳の定年後も自分に向いている仕事を嘱望する人、自分が何者か分からずに苦労している人、はたまたお金儲けをしたいと欲張っている人、月4~5万円の収入がないと食っていけないと嘆く73歳の男性、先月会社が倒産して2か月分の給料を貰っていないと愚痴る青年、まだ他にも居る。もうあきらめたです、と私の前で宣言した人。毎日毎日私の前を通過しながら、また舞い戻るこれらの人たちが、現在の自分の主人公だとすれば、その主人に仕えながら悪戦苦闘しております。トホホと思いながらネ。
 つい5ヶ月前の山の木も今では緑の葉っぱを携えているはず(写)

突然に

2010-05-11 00:00:00 | Weblog
 仕事の終了時間になって、机の整理をはじめた時、突然にKさんから電話があった。チョット出てオイデヨ、といった内容である。イクヨ、とすかさずに返事をする。遊び関係のお誘いに対しては、まず断ることをしないように決めているのだ。Kさんとは、8年前にできた県就職支援センターの時にいっしょになり、次にジョブカフェ愛ワークの時にもキャリアコンサルタントとしていっしょに仕事をした人である。待ち合わせの茶店にいくとKさんの隣りにOさんもいた。Oさんとも県就職支援センターでいっしょに仕事をしていたので今日は昔話に花が咲くだろうと、私にもお誘いがあったのだ。で、Kさんは定年後も引き続き愛ワークのお仕事をされており、Oさんは、現在東予若者サポートステ-ションを切り回していて、引きこもりの人やニートの人などの就労支援をしていられる。話を聞いていると昨年立ち上げて以来、今日で1周年を迎えるのだそうだ。こりゃあ、本日はそのお祝い会だ・・などと店をかえてビールで乾杯となった。1年も辞めずによくがんばったよなぁ、毎日1時間以上もかけて通勤したよなぁ、などとねぎらいの言葉あり。すると、すかさず私に対しても、難しい仕事を放り出さずにがんばってるよなぁ・・・などのエールのお返しもあったりした。引きこもりの青年の話を中心に対応方法や成功例などの報告があったりする反面、相談者の中から自死者が出る話などは、いたたまれない気持ちにもなってくる。自分達は社会の隅にいる人、弱者などに対していかに向き合うのか、をいつも自問自答している。今夜も男3人で肉鍋を突っつきながらそのようなお喋りをした。3人での今夜の合意では、県就職支援センター時の仲間で同窓会をやろうと決めたのが最も前向きな話であった。また、みんなで遊べるぞ・・