年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

待つ

2010-03-18 18:19:17 | Weblog
 先日のキャリアコンサルタント全国大会で印象に残っていることがある。
この会とは別に以前「千年の森を作る」フォーラムにおいて宗教学者の山折哲雄さんからお聞きした話の1つに、講義のさなか学生にはメモを取ることを禁ずる、というのがあった。メモをとってそのまま書くことだけに集中して、肝心なことを後々まで覚えてはいないという理由による。
だからメモを取るのは寝る前に今日のお話を覚えているところをメモをするくらいが丁度よい、と。それを私も守っておる。だから先日の学習院大での講演についてもメモを取ってはいない。で、今忘れてはいない個所を一つ残しておこう。
 桐村先生が日立製作所のある工場で人事担当として転勤したときのお話。その工場は中卒の工員を多く雇用していて、工場内に寮があった。入口の守衛室の扉は木で出来ており、表面がボコボコになっていたそうな。それで桐村さんが守衛の人に、この扉はどうかしたのかと尋ねたところ、守衛さんが放った言葉がすばらしい。「この木製のドアは集団就職してきた子が、夜あまりにもさびしくなり、酒を飲みぐでんぐでんに酔っぱらい、泣きながらビール瓶でドアを殴った痕跡です。実家に帰りたくて、それでも淋しさを埋めるために酒を飲み、酔いつぶれてドアの前に寝る子も多い。そのようにして子供たちは育っていくのです。」「育つまでこちらは待たなければなりません」と言われた話を私たち参加者に披露してくれた。確かに待つことはこちら側にとっては苦しい時間であるけれど、待たなければ育つ事が出来ない。
 ついでに「覚える」ことについて、昔の新聞記事を見つけた。柳田国男さんの話。「学ぶ」は頭で考える、まねるで、役に立たない。頭の中だけの行為。対して「覚える」は体全体で骨身にしみて体で覚えるので自分のこととして役に立つ。覚えることを続けると、学んでいないのに分かることがある。これを「悟り」となる…と書かれている。
 自分たちは育つことを覚える事が困難だと思ってはいないか、と自分を見て思う。近頃3男や4男から直線的に私に対する意見を言ってくるので手厳しい。間違っていない意見だけに。あたかもビール瓶で殴りつけるように手厳しい言葉を投げつけてくれる。父親として子らが育つのを我慢して待っているが如く。