年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

今日は

2011-08-15 00:00:00 | Weblog
 お盆休みの日は、毎年国道が渋滞する。西へ南へ帰省する人たちのお墓参りであろう。今日午後1時に仏壇を置いてある実家にお坊さんが来られることになっている。それまでに準備をしなければならないことがあるために、朝の内に実家に母親と二人で帰ることにした。
 車に乗っている母親からの8月15日の話は、年寄りだからそうなのかもしれないが、毎年同じ話を聞かされる。今の仁川国際空港があるところの近くに日本人街があり、そこで娘時代を過ごした母親は、66年前の今日、チョウセンカッタ・チョウセンカッタ・ニッポンマケタ・ニッポンマケタ・・・の提灯行列を閉切った雨戸の隙間から覗いて見ていたそうだ。仁川港の沖には米軍の戦艦が浮き、街角には用意周到に米軍の兵士がいたるところ要所要所に立っていたところを見ると、早くから負けがわかっていたのだろう・・・などと話しておる。早々に内地に引き上げざるを得なくなった祖父祖母や叔父叔母がいっせいに身づくろいをし帰途につくことになる。祖父はそこで事業を営んでいたけれど、敗戦により資産をおっぽり出して内地に帰らざるを得なかった。しかし祖父は従業員を大切にしていたためか、使用人の人たちの多くは、大将と呼ばれていた祖父に残って欲しいと懇願されていたとか。そのような昔の話を毎年、敗戦記念日の今日、車の中で繰り返し話し掛けてくるのが常である。ただ違うのは、昨年のお盆には、終戦ではなく敗戦後65年であったのが、今年は敗戦後66年という数字だけが違う。負ければ引き下がり勝てば進んでいく公式の中では、負ければ当然内地に引き下がることになる。だからテレビニュースで流れてくる言葉には、終戦であって敗戦ではないところに特長があるように思えてならない。
 昨日迎え火を焚いて、仏を迎えたかと思うと今日の夕方、早くも送り火を焚いて見送る。毎年同じ浜辺の隅っこで送り火を焚いた。