年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

相生橋からの風景

2011-08-06 21:53:58 | Weblog
 朝早く5時半に妻が出かけた。行き先は京都である。先月、日帰りバスツァーのクジが当たり、久し振りだから・・と言いながら出かけた。行き帰りのバス乗車時間が長い分、ゆっくり寝ることができる・・・などと言って出かけたが、よだれを流しながら寝ちゃ、みっともないぞ、と一応注意をしておいた。4男も、広島へ遠征。代ゼミの2次試験模擬テストを受けに行った。ホテルを予約したところ、ホテル名を見て、アレレ、サッカーの遠征試合で泊まった同じホテルやなぁ、などとつぶやいていたが、今回はサッカーではなく、試験のため。4男を朝、車で送っての帰り道、時刻が8時15分になった時、ラジオから鐘の音が聞こえてきた。思わず、車を脇道に止めて、広島に向かい黙礼をする。今日は広島原爆記念式典の日である。ラジオから聞こえてくる、三篠小の子供が、原爆の恐ろしさ、命の大切さを東北震災を通して、式の中で告げる声、辛かったでしょう、哀しかったでしょう、苦しかったでしょう、恐ろしかったでしょう・・・と畳み掛けてくる言葉に、私も不覚に涙が出てしまった。
   
 現職時代に10年間、廣島の地で単身生活をした。今日の8月6日はいつもと違う雰囲気の中で出勤をした思い出がある。電車が、本川町から原爆ドーム前までの間に渡る相生橋から、目の前に原爆ドームが見えると、乗客がいっせいに静かになり、南側に向いて黙礼をしている光景があった。
 核と生命の議論が、福島原発事故以後、極めて多くなった。もともと相容れない核と生命との同じまな板での論議が、私はおかしいと思っている。制御不可能な代物が、人の生活を脅かす、当たり前のことが、覆い隠されてきた。核は良いとか悪いとか二者択一ではなく、生活を維持するために要るか要らないかではなく、人々が、これからずっと生きていく上で必要か否かのどちらかのことに議論しないと、ぼやけてくる。