暘州通信

日本の山車

◆25885 大山咋神と大山祇神は同一神

2011年04月08日 | 日本の山車
◆25885 大山咋神と大山祇神は同一神
 山王宮、日枝神社などに祀られるオオヤマクイノカミ(大山咋神)、大山積神社、三島神社などに祀られるオオヤマツミノカミ(大山祗神)は、【咋】、【祗】がほぼ同義であり、これらの祭神を祀る氏族による呼称の異義から別の表記になったもので元は同一神と思考される。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇出雲~伯耆  神社紀行
2011/4/4(月) 午後 11:30
... (拝殿にて) ちなみに大神山神社の御祭神 『大己貴神』 とは 出雲大社の大国主命と同一神です。( ..)φメモメモ (伯耆 大山) 以上で  【22時間  800km】  の "日帰り、超・ロングドライブ(神社参拝)"は無事、終えたんだけど さすがに ...
  http://blogs.yahoo.co.jp/love1011cute/44899805.html

◇月山神社本宮
2011/3/25(金) 午後 6:07
... 湯殿山(同一五〇四 )、 羽黒山(同四一四 )の ... 出羽神社は出羽国の国魂(くにたま) であります伊 波神(いではのかみ)と 稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、 湯殿山神社は大山祇命(おほやまつみのみこと)、 大己貴命(おおなむちのみこと) ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/anaterasuoukami_76/2827659.html

d日枝神社流鏑馬まつり
2008/4/6(日) 午後 8:50
... 4月6日(日)同所の日枝神社で行われました。同神社の流鏑馬は滋賀県の日吉神社を総社とする全国の山王大権現(日枝神社)に伝わる神事で、日本三大山王流鏑馬に数えられる。 ... 仏教の山王権現と同一視され、長く信仰されてきた。明治になって日枝神社と改められたが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/isituka_mitiko/55685328.html

◇落語「大山詣り」
2008/3/11(火) 午前 0:15
... 現在は山頂の阿夫利(あぶり)神社と中腹の大山寺(だいさんじ)とが別ですが明治の神仏分離前は同一の山岳霊場。「あぶり」とは「雨降り」で、古くから雨乞い山で有名という。  大山詣りは、宝暦年間(1751‐64)から盛んになった。博打と商売にご利益があっ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/seizoh529/31131901.html

◇大山神門
2007/6/24(日) 午前 11:50
... 元々は遥拝のための鳥居自体を御神体とした神社だと思われる。 ところで、扁額に書かれた「大祇山」神社の文字を「大山祇」と勘違いし、古くは大山大智明権現が大山祇神(おおやまずみのかみ)と同一視されたことがあるのかと少し悩んでしまった。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kannon1011/33986369.html

◆00550 竹大与杼神社祭

2011年04月08日 | 日本の山車
◆00550 竹大与杼神社祭
□所在地 三重県多気郡明和町大字大淀乙
□旧国名 伊勢國
□現社名 竹大与杼神社(たけおおよどじんじゃ)
□旧社名 
□祭神
タケスサノオノミコト 建速須佐之男命
合祀
大山祗命
蛭子命
春日神
住吉神
誉田別命
菅原神
綿津見命
靈符神
白峯神
□祭は六月中旬。
□山車
山車を曳く。
・東区
・三世古区 北区、中区、西区
(順不同)
□汎論
 竹大与杼神社は、延喜式神名帳伊勢國多氣郡に記載される、伊勢國二五三座のうちの一座。祭神のタケスサノオノミコト(建速須佐之男命)をはじめ、オオヤマツミノミコト(大山祗命)、ワタツミノミコト(綿津見命)の海神族(綿津美氏)から出雲系の神々が祀られる。皇室神は後祀であろう。

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◇静岡・静岡 / 久能山東照宮(くのうざん とうしょうぐう) 3・日枝神社
2011/4/4(月) 午前 8:20
... 棟名:末社日枝神社本殿(旧本地堂) まっしゃひえじんじゃほんでん(きゅうほんち ... 梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、銅瓦葺 御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。 元は薬師如来像を安置する薬師堂として扱われてきましたが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kmy22jp/34423273.html

◇氷室神社 氷献灯
2011/4/3(日) 午後 10:05
... 氷室神社のしだれ桜について 氷室神社の主祭神は、闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎぬしのみこと)と申し上げる奈良の東山一帯の山の神でございます。まさにこの桜は山の神様からの春を告げるしるべでございます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/a02221370209/63011782.html

◇豊城入彦命を主祭神に祀る蓮神社
2011/1/12(水) 午後 6:16
... 所に位置している八寸権現山の東側面に鎮座する蓮神社、伊勢崎市豊城町1988-1です。 主祭神 は 櫛御気野命 豊城入彦命 配神 は  菅原道真公 八坂刀売命 健御名方命 火雷命 建速素盞鳴命 大山祇命  むかしむかし山頂に熊野権現が祀ら ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/npcsk058/18743921.html

◇追加・鷲宮神社の祭神など
2008/9/8(月) 午前 10:59
【鷲宮神社の境内風景より、摂社・本殿など】  鷲宮神社の祭神は、天穂日命・武夷鳥命・大己貴命・建御名方神・大山祗神・天照大神・菅原道真など、多数を祀る。また文化財も多く保存されている。  何と言っても土師・一流催馬楽神楽は有名である。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rwhpn707/55825831.html

◇安仁神社の祭神は?再考してみます。
2008/1/5(土) 午後 7:01
藤井村にある、「安仁神社」は、祭神が明らかではありません。 現在は、 祭神一座五瀬命、相殿三座稲永命・御毛沼命・大山砥命 と、謂うことになっておりますので、めったなことを謂うと、氏子衆に嫌われそうですが。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/fujii_yamane/19827534.html

◇鴨都波神社 春祭
2011/4/6(水) 午後 11:39
... yahoo.co.jp/skyhigh1225/44047659.html http://blogs.yahoo.co.jp/skyhigh1225/41989018.html 鴨都波神社(かもつばじんじゃ)は、奈良県御所市にある神社である。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。 祭神 積羽八重事代主命(事代主)と下照姫命を主祭神 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/skyhigh1225/44795894.html

◇【都心】駒込の富士に登る(富士神社)
2011/4/6(水) 午後 7:58
... 枝垂れ桜 を堪能した後は…   http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/44788725.html      近くの、 富士神社 へ。    何も知らないと、普通の神社ですが…    元々は、本郷の名主2人が夢 ... 登頂!(笑)    ご祭神は、 木花咲耶姫命 。桜の季節にぴったり ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/44795029.html

◇前田利家とまつをご祭神とする尾山神社のご利益とは・・・(その1)
2010/8/30(月) 午後 5:07
[尾山神社 ] ブログ村キーワード 前田利家公とその妻まつ様をご祭神とする、 金沢の尾山神社を参拝しました♪ 数多い戦国武将の中でも特にご利益 ... 跡を歩く・・・ ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/yjnd3399/25761569.html ・尾山神社公式サイト ⇒ http://www ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yjnd3399/25830802.html

◇大嶽神社 小嶽神社 風土記逸文の志賀島と大嶽.小嶽社祭神
2008/12/13(土) 午前 6:46
... 近く相連接(あひつづ)けり。  殆(ほとほと)同じき地(ところ)と謂ふべし」といひき。  因りて近嶋(ちかしま)と日ひき。  今、訛(よこなま)りて資珂嶋と謂ふ。 大嶽神社表紙へ  私記 筑紫國 平成格式 神明帳 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/taro_do/5292305.html

◇安仁神社の祭神① → 和仁古(わにこ)??まさか!!
2008/1/12(土) 午前 9:04
邑久郡誌 第二編 第四章 神社及神道  P549~568 には、 安仁神社について述べられており、其の祭神に関しても独自の解釈を展開しています。 まず、最初の解説は、 「神名帳考證」には大國主命六世の孫「阿太賀多須命」之後 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/fujii_yamane/20001776.html



◆21772 嬉野のでこさん

2011年04月08日 | 日本の山車
◆21772 嬉野のでこさん
□三重県松阪市(旧嬉野町)津屋城町
□祭は旧暦の十月。
□山車
山車は無い。
□汎論
 松阪市(旧嬉野町)の津屋城町で行われる民俗行事。【でこさん】とは木偶のことで、旧暦の仲秋十五夜に少年らが紺絣の着物、袴、黒足袋、草履、白鉢巻、白たすき姿で【やかた】を担いで町内を巡る。江戸時代元禄の頃に始められたと伝わる。
 【でこさん】は二尺足らず(約五〇センチメートル)の武士の形をした人形で
当年で一番早い誕生の男児の着物が着せられる。
 【でこさんのやかた】は青竹を組み菊の花であしらった柱に南天の葉で屋根を葺いた簡素な神輿状である。

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◇近所の秋祭りpart2♪
2010/11/20(土) 午前 8:34
... 可愛い着物を着たお稚児さんたち。 練り歩くときには花万灯 ... 日は午前中、仕事が合ったので歩行者天国の商店街を避けて帰ったんですけど 途中でこのおみこしの一団に会いました。 その時は本当に間近でこの華やかな山車を見ることが出来たんですよ。。
 http://blogs.yahoo.co.jp/satoru0715_2001/27998866.html

◇夏休み最後の日。
2007/9/3(月) 午後 2:18
... 敦賀の山車は踊りではなくお囃子みたいで、綺麗にお化粧をして着物を着た女の子が         たくさんいました。山車も綺麗ですね。        初めて夏に水ようかんを買いました。 ... 3 最寄り駅: 三方 Yahoo!グルメでこの店舗のクチコミを見る ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ryon_ryon1998/35975864.html

◆00169 南御見束神社祭

2011年04月07日 | 日本の山車
◆00169 南御見束神社祭
□社名 南御見束神社
□所在地 三重県楠町南五味塚
□祭神
オオワタツミノカミ 大綿津見神
□祭は十月上旬。
□山車
山車(鯨舟)がでる。
□汎論
 南御見束神社では、祭に鯨舟と呼ぶ山車が曳かれる。四日市市南納屋の鯨舟と同じ形式で、大きな船の上に入母屋造の本座を置き選手には大きな結び房が下がる。舷側は緋羅紗地に金糸で刺繍した龍がつく。
 祭礼は二日にわたって行われ氏子の町内を神幸する。初日は「出船」、二日目は「入船」とよばれる。鯨舟の上には日の丸が描かれた金扇をもった「踊り子」が乗り込み張り綱で身体を固定させ、おおきく身体をそらして所作を行い、鯨を見つけると手にした銛を鯨に向かって投げる。鯨は身体を左右にくねらせ、ときに立ち上がり、銛を避けて逃げる。
 鯨舟は従来女性の参加は無かったが、近年は桃色のリボンをつけた女性の鯨が登場して人気を集めている。踊り子を女子が勤めることも行われている。
 二日目は入船の日で宵闇の中堤燈に火が入り、宮入りするが、ここで鯨は転がりまわって暴れる。神移しが終わると、鯨舟は境内を掛け声とともに七回半廻り、拍手の中、祝い歌が唄われる。
 鯨に繋る神事は太平洋側の沿岸部の各地にあるが、三重県は特に多く、 
 
 鳥出神社祭礼 富田鯨祭 三重県四日市市富田地区
 大四日市祭 三重県四日市市南納屋
 鯨捕船神事 諏訪神社祭礼
 御薗神社祭礼 鯨船神事 三重県四日市市七ツ屋 休止
 諏訪神社祭礼 鯨船神事 三重県四日市市北納屋町 休止
 塩崎神社祭礼 鯨船神事 三重県四日市市磯津
 南御見束神社 鯨船神事 三重県四日市市楠町
 飯野神社祭礼 鯨船行事 天王祭 三重県鈴鹿市北長太町馬場
 阿古師神社 二木島祭 三重県熊野市二木島町室古
 相差天王くじら祭 三重県鳥羽市相差町
 飛鳥神社 梶賀ハラソ祭 三重県尾鷲市梶賀町
 大白祭礼 三重県北牟婁郡紀北町海山区 近年復活 

 などがある。

□外部リンク
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◆多屋祭礼初日~午前編
2011/4/4(月) 午後 7:23
... 今日は一昨日の多屋祭礼初日から、午前編をお送りします。    朝7時頃、海椙車が鞘蔵から曳き出されて海椙神社鳥居前へと向かいます。 ... 拝殿では例大祭神事が始まりました。  例大祭神事が終わると、神事に出席した役員・来賓達が参道を下って行き ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ukokkei_taya/3426855.html

◆羽鳥八幡神社祭礼
2010/9/28(火) 午後 1:43
... ブロック 服織 ( はとり ) 学区の 『 羽鳥八幡神社祭礼 』 に行ってきました!!    羽鳥久住谷川の近くにある羽鳥八幡神社では毎年、成人男子によって " 神輿渡し " が行われます。 ... しめやかに神事が行われます。    大勢の地域のみなさんも見守り ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/aoi_shizuokacity/26789681.html

◆「川渡し神事」若衆勇壮 羽咋神社の秋季祭礼
2010/9/19(日) 午前 6:21
... 北国新聞 神輿を乗せて長者川を進む御座舟=羽咋市川原町  羽咋市の羽咋神社の秋季祭礼は18日始まり、初日は川原町の長者川で呼び物の「川渡し神事」が営まれた。松明(たいまつ)が川面を照らす中、神輿(みこし)を乗せた御座舟が若衆の威勢の ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/all_or_nothing1818/26750805.html

◆砥鹿神社祭礼2
2009/5/14(木) 午後 9:27
5月4日の砥鹿神社祭礼の時の写真に戻ります。。(^_^;) 写真1 おみこしの頂点にキラキラ輝く、鳳凰が目にとまりました。。 ... いい加減な事、書けないけど神事には欠かせないものですね。!(^^)! 写真2 お祭りの行列から ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/jbqtk645/26899594.html

◆七夕神社(福岡県小郡市) 夏の祭礼
2007/8/8(水) 午後 2:20
七夕神社は本名では 姫社神社<ヒメコソ>といいます。この神社の由来は古く  肥前風土記(730年頃)の記述によれば 既にこの場にあった事があります。 ... 祭礼終了後は神主の御祓いなど神事を経て 焼却されます。  5年ほど前の 七夕祭り ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/taketake5295/15347041.html

◆左甚五郎 伯耆の甚五郎恵比寿

2011年04月06日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 伯耆の甚五郎恵比寿

 伯耆の國をを旅していた左甚五郎。さて日も暮れかけたが今夜はどこで宿を借りるかな。秀麗な大山が長く裾を引き、美しい海岸線が続いている。今日はこの海岸線を歩いてきたのだが、美しい景色に見とれてわれを忘れ、ふと気がつくとあたりには人家のある様子がうかがえない。
 まあ、何とかなるだろうとしばらく歩いていると、浜辺近くに一軒の大きな家が見えた。甚五郎、その家の近くまできてみて驚いた。屋根はほとんど落ち、残った部分の周りに茣蓙をつるした粗末な家である。しかし、人は住んでいるらしくわずかに焚き火の煙が上がっている。甚五郎は近づいて声を掛けた。中から六十すぎと思われる老人が出てきて、「なんじゃな」と応じた。
 甚五郎は、今夜一夜の宿をお借りしたいと頼むと、老人は、飯と蒲団はござらぬはそれでもよろしかったらどうぞと応じてくれた。囲炉裏の前に座ると、昼から何も口にしていない甚五郎はさすがに腹が減ってきた。ひもじい思いに耐えてじっと我慢をしていると、その様子を見ていた妻女が見かねて「おなかがおすきでしょう」と声をかけてくれた、「ああ、ひだるい(ひもじい)」と応じると、何もございませんが……といいながら雑炊を出してくれた。早速よばれることにしたが、薄い塩味にわかめが入っただけの汁である。「これが雑炊?」、甚五郎がいぶかしんでいると老人が苦笑しながら答えてくれた、「確か十粒くらいの米が入っていたはずじゃが……、これが最期の米ですわい」。
 海の水でわかめを煮ただけのものであった。
 囲炉裏の前でごろ寝しながら甚五郎が聞いた話は次のようなものであった。
 二十年前までは、裕福な漁師の網元で、周りには漁師の家も百軒以上あったが、次第に不漁となり、近年は舟を出しても、網を曳いても何もかからなくなってしまったという。このため、見限った漁師らは土地を離れ、いまはわずかに三件にまで減ってしまったのだそうである。その家々の暮らしもこの老人らの暮らしと変わらないらしい。
 村には事代主之命をまつる神社があるということだったが、祭などいつしたか思い出せないくらい昔のことだったという。
 翌朝甚五郎は村の鎮守に行ってみた。草ぼうぼうと生い茂るあいだに壊れかけた石段が続き、傾いた鳥居、倒れた燈籠、それでもようやく拝殿に近づき一歩足を踏み入れたら床が抜けた。
 それでも古色をたたえる社殿は奥に長い、大社造である。甚五郎は考え込んでしまった。
 網元の家に帰り老人に話を聞くと、「御祭神様は越後のほうにカノジョができて以来すっかりそちらに居続けですっかりお見限りで……」と悔しそうな様子である。
「昔から恵比寿で鯛を釣ると申すではないか」
「申し…ひだるいの甚五郎さま」、
「……なんじゃな……?
「それを言うなら、海老で鯛を釣るでごっざいます」
「ははは、そうか、そうか……」
  それから三ヶ日、甚五郎は一体の恵比寿神像と、麒麟獅子頭を二頭を彫り上げ、老人これから祭をいたそうと言った。
「ひだるいの甚五郎さま、獅子舞をしますんで……?」
「そうじゃ」
「……しかし、かぶりものがありません」
「そうか、油単がないか……。それならお前さんの娘の緋色の腰巻はどうかな、紐もついていて獅子の頭と結ぶのにちょうど具合がいいぞ」
「……じつは……腰巻の舌はすっぽんポンでして……」
 さて、祭日になると、事代主之命(恵比寿神)を神殿に納め、祝詞をあげると、浜辺に降り、砂浜で漁師二人による獅子舞が行われた。油単は、伯耆丸と書かれた古い大漁旗を二つに割いて作られていた。近所の漁師ふたりで舞われたが、笛も太鼓も無く、漁師はまったく所作など知らないにもかかわらず、獅子が勝手に動いてついて動くだけで舞いができたのだった。
 獅子舞が終わろうというころ、沖の海の色が変わり、近づくにしたがって次第に波立ち、汀に押し寄せると、銀輪が躍り、鯛、ひらめ、すずき、いわし、さば、ふくらぎ、かれい、蛸、蟹、するめ? かまぼこ? 薩摩揚げ? 鰹節? などの海の幸が砂浜に打ち上げられた。
 村には昔のような賑わいが戻ってきた。
 人にとは恵比寿さま、ひだるいの甚五郎様をお祭し、大漁祈願のまつりをするようになったのであった。

 へい、御退屈さまで、御存知伯耆の左甚五郎の一説でございます。

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◇蛸御殿 1
2007/6/4(月) 午前 6:14
この物語は、蛸が悪魔の魚と、恐れられていた頃の話です。 漁師の冶五郎は、人里は慣れた、少し突き出た岩の上に座っ ... というのは建前で、隣の甚五郎が、見ていなければ、本当は隠して、帰って ... と思いましたが、声は低く、老人の男の声です。 どこかで ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/shigeo582000/33270421.html

◆左甚五郎 稲喰いの馬

2011年04月06日 | 日本の山車
◆左甚五郎 稲喰いの馬
 飛騨高山(岐阜県高山市)の南部に飛騨一之宮・水無神社がある。古い創祀の神社で、名山位山を御神体山、つまり神南備山とし、その麓に祀られた里宮と考えられる。主祭神は不明とされるが、祭神の一神に大歳神が祀られている。この水無神社に、斐太の工の作とされる【稲喰いの馬】が奉納されている。
 このような伝説が伝わる。
「収穫期になると水無神社の近くにある水田の稲がしばしな食い荒らされる被害が頻発し、日夜苦心して栽培した農家の人たちを悩ませていた。ついに村人は相談しあって交代で見張りを立てたのだったが、ほどなくその正体がわかった。一等の馬が田んぼに入って稲を食っていたのである。村人は総出でこの馬を追いかけたたところ、ついにこの馬は水無神社の境内に逃げ込んだ。勢いづいた村人はついに追い詰めたが、馬はふとその影を消してしまったのだった。怪訝な有様に首をかしげた村人がようやく見出したのは神馬殿に奉納された斐太の工の作とされる黒い馬だった。なんとその黒馬の四足は泥で汚れ、口の端には今まで食っていた稲が残っていたのだった」
 村人は唖然としたが、放ってもおけないので神官に相談したところ、神官は、馬の眼を刳り貫いて動けないようにしてくれたのだった。これで田んぼが荒らされることは無くなった。
 この神官は『夜明け前』の作者で知られる、木曾の島崎藤村の父であった。
 おもしろい話だが、この黒い神馬は、斐太の工が祖神の「いなくいのかみ」である大歳神に奉納した【稲咋の馬】である。
 長崎県対馬の上県町伊奈地区は稲の伝来の地と考えられるが、ここには【伊奈久比神社(いなぐいじんじゃ)】があり、稲の神であり、また斐太ノ工の祖神でもある大歳神を祀られている。
 飛騨一之宮・水無神社の稲喰いの馬は、永らく斐太の工の作と伝えられてきたが、近年はこれも左甚五郎の作だといわれるようになってきている。

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◇小倉名水続4菖蒲前って?
2011/4/4(月) 午前 2:07
... 自作の木像と所持の宝物品を奉納され、また寺務職として三永村を ... は72歳 年齢的に数字がつじつまがあう 小倉神社の後が墓所ならば 神社横の従者の墓もうなずける。 また、頼朝が賀茂一帯を治める ... この光景に驚いた村人たちは、御前を家に招き歓待した。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/fpqpp510/64242968.html

◇九品寺のしだれ桜
2011/4/2(土) 午後 11:39
... 他の桜はもう少し先ですね。  九品寺は駒形大重神社のすぐ南にあり、聖武天皇の詔り(みことのり)に ... とき、地元の人たちが味方の身代わりとして奉納したものや、『集落内にあった石仏をある時期 ... お顔はなく、今も、村人の厚い信仰心によって守られています。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/skyhigh1225/44782777.html

◇多武峰 談山神社 「八講祭」
2011/3/21(月) 午前 10:49
3メートル程の藤原鎌足公のお掛軸かけていとなむ室町時代依来の祭 事です  毎年 3月に行います   地域の村人がお掛軸をかけます  この日は謡曲を奉納します
 http://blogs.yahoo.co.jp/yumesaka0721/37805686.html

◇JR姫路駅南側神社探訪その1(北条天満宮・春日神社)
2011/3/13(日) 午後 10:56
... 虚無僧が一匹の大イタチを退治して村人を救った。そのイタチは八つ目で ... 刀の宮地蔵尊と孫太郎稲荷神社が並んで鎮座している。  由緒は以下の通り。  平安末期の頃、京三条の刀匠宗近が豊前の宇佐八幡に神剣奉納のため下向の途中此の地で病(歯痛)に ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hotsumairu2003/28242210.html

◇獅子舞奉納 四社神社(奈良県宇陀市御杖)
2007/3/31(土) 午後 7:37
... 太神楽の影響で 秋祭りには 村人による獅子舞が奉納されます ここ四所神社では 衣装も新調され 子供たちの舞いもしっかりしていて 見事! そして 私達t見物人にも 親切 秋の一日 祭りが楽しめた 御杖四社神社獅子舞奉納 祭好人http://www.geocities.jp ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mimatyu2000/45868569.html

◆18605 八十積椋神社

2011年04月05日 | 日本の山車
◆18605 八十積椋神社
□所在地 
□旧国名 國
□現社名 八十積椋神社(やそつみくらじんじゃ)
□旧社名 
□祭神
トヨウケヒメノミコト 豊宇気毘賣命
配祀
天津児屋根命
□汎論
 八十積椋神社は、延喜式神名帳伊勢國朝明郡に記載される、伊勢國二五三座のうちの一座。


◆04590 廣幡神社祭

2011年04月05日 | 日本の山車
◆04590 廣幡神社祭
□社名 廣幡神社  
□所在地 三重県三重郡菰野町菰野
□祭神
オウジンテンノウ 應天皇
タケミナカタノカミ 建御名方命
コトシロヌシノミコト 事代主神
□祭は十月
□山車
山車(石取祭車)を曳く。
・庄部
・東
(順不同)
□汎論
 廣幡神社の創祀は菰野藩主だった土方雄氏が寛永七年(一六三〇)に、京都の石清水八幡宮を勧請して鎮守としたのに始まるとされる。

◆18604 耳常神社

2011年04月05日 | 延喜式神名帳
◆18604 耳常神社
□所在地 三重県三重郡菰野町小島
□旧国名 伊勢國
□現社名 八幡宮耳常神社
□旧社名 耳常神社(みみつねじんじゃ)
□祭神
オウジンテンノウ 應天皇
合祀
アマテラスオオミカミ 天照大御神
ウケモチノカミ 保食神
タケハヤスサノオノミコト 建速須佐之男命
イチキシマヒメノミコト 市杵島姫命
オオヤマツミノカミ 大山祗神
□汎論
 耳常神社は、延喜式神名帳伊勢國朝明郡に記載される、伊勢國二五三座のうちの一座。創祀は不詳である。だが、祭神のウケモチノカミ(保食神)、タケハヤスサノオノミコト(建速須佐之男命)、イチキシマヒメノミコト(市杵島姫命)、オオヤマツミノカミ(大山祗神)など、海神系(綿津美氏、安曇氏)、宗像系、あるいは出雲系の皇室系神以前の古い神々が祀られているのは、伊勢神宮より以前から祀られた神社と考えられる。オウジンテンノウ(應天皇)の祭祀は戦国時代に織田信長が勢州方面を攻めたとき、累を避けるために祀られたと伝わる。アマテラスオオミカミ(天照大御神)の祭祀も伊勢神宮への恭順をしめすため後祀されたものであろう。

◆18603 多奈閇神社

2011年04月04日 | 論攷 延喜式神名帳
◆18603 多奈閇神社
□所在地 三重県員弁郡東員町中上
□旧国名 伊勢國
□現社名 久米神社
□旧社名 多奈閇神社(たなべじんじゃ)
□祭神
アマノヒワシノミコト 天日鷲命
合祀
天照大御神
天児屋根命
宇迦之御魂神
大山津見命
須佐之男命
保食神
菅原道真
品陀和気命
大市比売命
大己貴命
大山咋命
□汎論
 多奈閇神社は、延喜式神名帳伊勢國員弁郡に記載される、伊勢國二五三座のうちの一座。祭神のアメノヒワシノミコト(天日鷲命)は、日本神話のアマテラスオオミカミ(天照大神)がスサノオノミコトの乱暴な行いに愛想をつかして天岩戸におかくれになったとき、その岩戸前に神々が集い、歌や踊の宴を催したとき、弦楽器を演奏していた神の楽器の上に大鷲が止まったのを奇瑞とし、このことから神の名をアメノヒワシノミコト(天日鷲命)とよぶようになったとある。
 『古語拾遺』には、アメノヒワシノミコトはフトダマノミコト(太玉命)に従った四柱の神の一柱だとされている。
 阿波國(徳島県)では、阿波の忌部氏(いんべし)の祖神とされるが、日氏につながる一族としての事蹟がうかがえる。高魂命、その裔神である天日鷲翔矢命、天加奈止美命がある。
 田邊氏の祖先とされる。

◆18602 鴨神社

2011年04月04日 | 論攷 延喜式神名帳
◆18602 鴨神社
□所在地 三重県いなべ市大安町丹生川上
□旧国名 伊勢國
□現社名 鴨神社
□旧社名 
□祭神
カモワケイカヅチノミコト 鴨別雷命
配祀
玉依姫命
合祀
伊邪那岐命
誉田別命
須佐之男命
市寸島姫命
天照大御神
火産霊神
大山祇神
菅原道真
□汎論
 鴨神社は、延喜式神名帳伊勢國員弁郡に記載される、伊勢國二五三座のうちの一座。祭神のカモワケイカヅチノミコト(鴨別雷命)は京都上賀茂神社の祭神と同じである。

◆左甚五郎 甚五郎稲荷

2011年04月03日 | 日本の山車
◆左甚五郎 甚五郎稲荷

 陸奥の國、津軽の細道を旅していた左甚五郎、黄昏も迫るというのにまだ宿に行き着けなかった。宿どころかあたりには一軒の民家すら見当たらない。これは困ったぞと思いながらしばらく歩いていると、ふと古ぼけた赤い鳥居が眼についた。どうやらお稲荷さんが祀ってあるらしい。しめた、今夜はここで泊まることしよう。御堂の中に入ると正面にはへたくそな字で「倉稲魂ノ命」と書いた神符が張られており、床には古びた筵(むしろ)が二枚敷かれている。「やれやれ……」ほっとするとこんどは無性に腹が減ってきた。
 困ったときというのは何とかなるもので、気がつくと薄暗い御堂のまえに御神酒と稲荷寿司が供えてある。どうやらこのような辺鄙な田舎にもお参りする人はあるらしい。
 これはこれは、お稲荷さま、どうか眼を瞑っていてくださいよ。左甚五郎、御神酒すずに口をつけるとぐいぐいと呑み、稲荷寿司を口に運んだ、あっというまに平らげると昼間の疲れが出てそのまま寝入りこんでしまった。
 翌日、外に人の気配を感じて甚五郎は眼を覚ました。ぼそぼそとなにやらお祈りをしているらしい。「……これはこれは、お稲荷さま、お供えを召し上がってくださりありがとうございます。どうか爺の願いをお聞き届けになり、娘に良い婿が迎えられますように……」。どうやら一心に拝んでいる様子。御堂の中でこれを聞いていた甚五郎黙っていては悪かろうと思い鼻をつまむと「そちの願いを聞き届けてつかわそう」と言ったから、外にいた爺さんはこれを聞いて腰を抜かさんばかりに驚いた。「へへえ、ありがたいことで……」。中にいた甚五郎「今日夕方にもう一度、娘を連れてここに来るように、そのとき必ず稲荷寿司と御神酒を持ってくるように。とくに酒は多ければ多いほうが良いぞ」言い終わったとき、爺さんの禿頭に日が射し、甚五郎は思わず大きなくしゃみをしたが、このときいっぱつ大きな音のおならまで洩らしてしまった。そとに異臭が洩れてくると、御堂の外にいた爺さんはこれを聞いて首をかしげていたが、首をかしげながらも、何度も頭を下げて帰っていった。
 しばらくして、爺さんの姿が見えなくなると、甚五郎は、外に出て、岩木川の河畔まで行って曲がりくねった流木を拾って帰ってきた。夕方までにかわうそとも泥鰌(どじょう)ともつかぬ彫り物を彫り上げ待っていると、両手にいっぱいお供えを下げ、娘を連れた爺さんがやってきた。爺さんと娘は神妙にお祈りをしたがそれも済むと甚五郎は声を掛けた。ここに賽銭箱を作っておいたからこれで、堂守りをするように。言い残すといずこえとも瓢然と立ち去ったのだった。
 賽銭箱に賽銭を投げ込むと、なぜか狐が嬉しそうに「コン」となくのである。
 それから三日後のことだった。昼前はよい天気だったのに午後から急に雨になった。と、そこへひとりの若い侍が飛び込んできた。「しばらく雨宿りさせてくれ」。娘はぬれた衣服を乾かし、御茶の接待をしているとやがて雨も上がり侍は礼を述べて立ち去った。
 さらに数日すると今度は騎馬姿の身なりのよい老人が、供をしたがえて訪ねてきた。用件は、津軽の若殿がこちらの娘御をたいへんお気に召され、ぜひ室に迎えたいと申されているというものだった。
 爺さんと娘はひたすら恐縮したが、所望されたものを断る理由は無かった
 津軽のお殿様からは良縁を感謝して立派な鰐口一口の奉納があった。
これが評判となり稲荷良縁を願う参詣人があとからあとから押しかけた。この稲荷堂の隣には爺さんが越してきて茶店をひらいたが、稲荷うどんが名物になった。
 ここに、裕福だが強欲な太兵衛という大地主がいた。縹料の良い一人娘がいたが、人々は関わりあいになるのを嫌がって避けるので、適齢期になったのに婿の来手がなかった。
 かみさんにせきたてられて太兵衛も参詣にやってきた。稲荷堂の前に立って、「どうか、うちの娘に良い婿が来てくれますように」と祈ると、お堂の中から、
 「来ん、コン!」
 とお告げがあった。
 人々は尾の稲荷を「甚五郎稲荷」とよんだ。

 「甚五郎稲荷」は、現在の五所川原のあたりだそうでございます。
 ご存知、「甚五郎稲荷」の一説はこれにて読み切りとさせていただきます。お粗末でございました。

□外部リンク
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◇癌封じの寺(鎌倉名越の上行寺)
2007/7/11(水) 午前 9:47
... (写真は七福神にお祈りされるお爺さん)           (写真はお雛様のような七福神)           (写真は病気除け ... 総ての病を治すという「疱守稲荷/かさもりいなり」と鬼子母神が祀られています。 ... 左甚五郎の作と云われているそうです。 ...


論攷 斐太ノ工 六五

2011年04月03日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 六五
 巷説に、【飛騨は古来下下の下の国といわれる貧しい国で、律令が定められたときには、貢租三項目、つまり、「租、庸、丁」のうち租、庸の二項目を免じ、「丁」のみ適用され人足が徴用された。これらの人足は都に集められ、その造営に関わった。これが斐太の工のはじまりである」とあり、いろいろな文献芋引用されている。
 しかし、この説には誤りがある。
 斐太の工は日氏を構成する氏族で、大和朝廷成立以前、すでにに海神族(綿津美氏)、出雲氏らとともに前世紀から各地に進出し、スサノオノミコト、オオナムチノミコトなどの祖神を祀る神社の造営に関わっている。これらの普請が無い平時は農耕に従事していた。これらの伝統は近年まで続いている。日本を代表するような建設会社の系譜の中には斐太の工を祖先とする会社がいくつもあり、その代表を務めるような人物も、若いときは飛騨で修行していて、田植えから稲刈りまで従事するのは普通のことであった。
 都を遠く離れた鄙びた土地を、「いなか(田舎)」というが、これは、もともと斐太の工の一氏族である「イナ(伊奈)氏」の住む土地のことである。飛騨地方には「稲」の姓がつく旧家があるが、それらぼなかには斐太の工の末裔である家計である例がしばしば見られる。
 つまり、飛騨は誇り高い田舎なのである。

◆04567 大谷神社祭

2011年04月02日 | 日本の山車
◆04567 大谷神社祭
□社名 大谷神社
□所在地 三重県いなべ市員弁町大泉
□祭神
ミクマリノカミ 水分神
アメノコヤネノミコト 天児屋根命
合祀
ウケモチノカミ 宇気母智神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
□祭は八月中旬。
□山車
山車(石取祭車)を曳く。
□汎論
 大谷神社は、延喜式神名帳伊勢國員弁郡に記載される、伊勢國二五三座のうちの一座。祭神のミクマリノカミ(水分神)が本来の祭神である。元は梅戸に鎮座
いていたが、員弁川の大氾濫により大谷村は神社とも流失したため、現在の社地にある春日神社に合祀された。春日神社は広大な境内に数百メートルに及ぶ参道があることから、長宮さんとよんで親しまれる。平成十一年に、山車が復元されたが、工匠は飛騨高山の飛騨の匠による。意思と理山車の形態を踏襲しつつ、全体を黒漆塗りとし、上臺は、飛騨高山の山車と同じような本座とするが、屋根は
唐破風である。 員弁(いなべ)は、斐太の工、猪名部氏の旧地である。

□外部リンク
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◆廿六日町山車組 「鹿島神宮祭神建御雷之男神(鹿島大明神)伝説」
2006/8/9(水) 午前 5:51
廿六日町山車組 「鹿島神宮祭神建御雷之男神(鹿島大明神)伝説」          (かしまじんぐうさいじんたけみかずちのおのかみ ... 廿六日町は神明宮という神社に所属する組。神明宮の祭神は天照大明神さま。なので題材は天照大明神さまが登場 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/st99gateway/39998030.html

◆35117 論攷 斐太ノ工 六四

2011年04月01日 | 日本の山車
◆35117 論攷 斐太ノ工 六四

 これは仮説である。
 長崎県長崎県対馬市のやや西より南北につけられた国道三八二号線を北上すると、上県町伊奈地区に入り、東に御嶽があり道路を挟んで延喜式神名帳に記載される伊奈久比神社(いなぐいじんじゃ)がある。イナ氏の祖神を祀る神社と考えられるが、祭神はオオトシノカミ(大歳神)である。「久比」は「咋(くい)」で、【イナノカミを祀る神社】の意であろう。
 イナ氏(日氏)は、海神族のワタツミ氏(海人氏、綿津美氏)、さらには出雲氏
ニしたがって北上しながら稲作を伝え、神社を建造した。古代のウミ(海)、ワタツミ(綿津見)、オオナムチ(大己貴)、イタケル(五十猛)などを祀る神社はこのイナ氏により建造されたと考えられる。
 島根県の「ネ」、兵庫県の「イナノ」、京都府丹後半島の「イネ」、三重県の「イナベ」、愛知県知多半島の「イナ」、長野県の「イナ」、おなじく小海町の「イナベコ」、埼玉県の「イナ」、茨城県の「イナシキ」などは、「イナ氏」の定住した地と考えられる。
 やがて大和政権の誕生とともに造営された【藤原京】をはじめ、【法隆寺】、【東大寺大佛殿】を建立したイナ氏は【斐太ノ工】と考えられる。
 こうしてみてくると、長崎県長崎県対馬市上県町伊奈地区は、【稲作】、および【斐太ノ工】発祥の地といえるかもしれない。

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◇ときがわ町の荼枳尼天(だきにてん)
2007/5/21(月) 午後 4:05
... 稲含という名は、神社を創建した 南天竺(インド)の女王、豊稲田姫が国を追われる際、 密かに稲穂を口に含み、我国に稲作を伝えたことに 由来するという。イナフク様は、いつの世かに稲含神社 から、ここ黒岩の五大尊境内に分祀分霊されたものと 考え ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sakado_iwasaki/32406105.html

◇関東大震災にならえ
2011/3/17(木) 午前 0:45
... 地熱の影響か? イネがいつもの年より草丈が伸びず、10日も早く黄金色に実っていた。 伊東市で漁具がまったく売れなくなった。 ... 夕方5時ごろ帷子(かたびら)川の上流今井川でイナの大群が水面に口だけ出して上流へ上がっていった。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/15992219.html