暘州通信

日本の山車

◆18605 八十積椋神社

2011年04月05日 | 日本の山車
◆18605 八十積椋神社
□所在地 
□旧国名 國
□現社名 八十積椋神社(やそつみくらじんじゃ)
□旧社名 
□祭神
トヨウケヒメノミコト 豊宇気毘賣命
配祀
天津児屋根命
□汎論
 八十積椋神社は、延喜式神名帳伊勢國朝明郡に記載される、伊勢國二五三座のうちの一座。


◆04590 廣幡神社祭

2011年04月05日 | 日本の山車
◆04590 廣幡神社祭
□社名 廣幡神社  
□所在地 三重県三重郡菰野町菰野
□祭神
オウジンテンノウ 應天皇
タケミナカタノカミ 建御名方命
コトシロヌシノミコト 事代主神
□祭は十月
□山車
山車(石取祭車)を曳く。
・庄部
・東
(順不同)
□汎論
 廣幡神社の創祀は菰野藩主だった土方雄氏が寛永七年(一六三〇)に、京都の石清水八幡宮を勧請して鎮守としたのに始まるとされる。

◆18604 耳常神社

2011年04月05日 | 延喜式神名帳
◆18604 耳常神社
□所在地 三重県三重郡菰野町小島
□旧国名 伊勢國
□現社名 八幡宮耳常神社
□旧社名 耳常神社(みみつねじんじゃ)
□祭神
オウジンテンノウ 應天皇
合祀
アマテラスオオミカミ 天照大御神
ウケモチノカミ 保食神
タケハヤスサノオノミコト 建速須佐之男命
イチキシマヒメノミコト 市杵島姫命
オオヤマツミノカミ 大山祗神
□汎論
 耳常神社は、延喜式神名帳伊勢國朝明郡に記載される、伊勢國二五三座のうちの一座。創祀は不詳である。だが、祭神のウケモチノカミ(保食神)、タケハヤスサノオノミコト(建速須佐之男命)、イチキシマヒメノミコト(市杵島姫命)、オオヤマツミノカミ(大山祗神)など、海神系(綿津美氏、安曇氏)、宗像系、あるいは出雲系の皇室系神以前の古い神々が祀られているのは、伊勢神宮より以前から祀られた神社と考えられる。オウジンテンノウ(應天皇)の祭祀は戦国時代に織田信長が勢州方面を攻めたとき、累を避けるために祀られたと伝わる。アマテラスオオミカミ(天照大御神)の祭祀も伊勢神宮への恭順をしめすため後祀されたものであろう。