mat**aneh*raさん ご来訪ありがとうございます。
貴方のブログを興味を持って拝見しました。なかなかの卓見だと感心しています。陳壽の『三國志、魏書・東夷傳(通称、魏志倭人伝)は、現在における日本についての最古の記述であり、非常に貴重ですが、その記述をめぐっては謎が多く、研究者の解釈は【百人百説】で、そのいずれの説も大変興味があります。
中国から倭にいたる経路である、当時の朝鮮半島の帯方、樂浪は、中国から長官が派遣されて治められていたといいます。また同書に拠れば、
對馬は對馬國。
壹岐は壹岐國。
であり、三世紀には邪馬壹國と等格に扱われる國として中国に認識されていたことがわかる【倭の國】すなわち【日本の國】だったといえるでしょう。
ところが、それよりもはるかに時代の下がる平安時代、十一世紀に完成した『延喜式神名帳』は
謂うまでもなく大和朝廷によって編纂された書ですが、こちらには【對馬】、【壹岐】であり、隠岐島、佐渡島がいずれも【隠岐國、【佐渡國】で一国として扱われているのに國として扱われていません。
これはどう考えるべきでしょうか?
では、どこに帰属する島だったのでしょうか?
貴方のブログを興味を持って拝見しました。なかなかの卓見だと感心しています。陳壽の『三國志、魏書・東夷傳(通称、魏志倭人伝)は、現在における日本についての最古の記述であり、非常に貴重ですが、その記述をめぐっては謎が多く、研究者の解釈は【百人百説】で、そのいずれの説も大変興味があります。
中国から倭にいたる経路である、当時の朝鮮半島の帯方、樂浪は、中国から長官が派遣されて治められていたといいます。また同書に拠れば、
對馬は對馬國。
壹岐は壹岐國。
であり、三世紀には邪馬壹國と等格に扱われる國として中国に認識されていたことがわかる【倭の國】すなわち【日本の國】だったといえるでしょう。
ところが、それよりもはるかに時代の下がる平安時代、十一世紀に完成した『延喜式神名帳』は
謂うまでもなく大和朝廷によって編纂された書ですが、こちらには【對馬】、【壹岐】であり、隠岐島、佐渡島がいずれも【隠岐國、【佐渡國】で一国として扱われているのに國として扱われていません。
これはどう考えるべきでしょうか?
では、どこに帰属する島だったのでしょうか?