暘州通信

日本の山車

◆左甚五郎 伯耆の甚五郎恵比寿

2011年04月06日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 伯耆の甚五郎恵比寿

 伯耆の國をを旅していた左甚五郎。さて日も暮れかけたが今夜はどこで宿を借りるかな。秀麗な大山が長く裾を引き、美しい海岸線が続いている。今日はこの海岸線を歩いてきたのだが、美しい景色に見とれてわれを忘れ、ふと気がつくとあたりには人家のある様子がうかがえない。
 まあ、何とかなるだろうとしばらく歩いていると、浜辺近くに一軒の大きな家が見えた。甚五郎、その家の近くまできてみて驚いた。屋根はほとんど落ち、残った部分の周りに茣蓙をつるした粗末な家である。しかし、人は住んでいるらしくわずかに焚き火の煙が上がっている。甚五郎は近づいて声を掛けた。中から六十すぎと思われる老人が出てきて、「なんじゃな」と応じた。
 甚五郎は、今夜一夜の宿をお借りしたいと頼むと、老人は、飯と蒲団はござらぬはそれでもよろしかったらどうぞと応じてくれた。囲炉裏の前に座ると、昼から何も口にしていない甚五郎はさすがに腹が減ってきた。ひもじい思いに耐えてじっと我慢をしていると、その様子を見ていた妻女が見かねて「おなかがおすきでしょう」と声をかけてくれた、「ああ、ひだるい(ひもじい)」と応じると、何もございませんが……といいながら雑炊を出してくれた。早速よばれることにしたが、薄い塩味にわかめが入っただけの汁である。「これが雑炊?」、甚五郎がいぶかしんでいると老人が苦笑しながら答えてくれた、「確か十粒くらいの米が入っていたはずじゃが……、これが最期の米ですわい」。
 海の水でわかめを煮ただけのものであった。
 囲炉裏の前でごろ寝しながら甚五郎が聞いた話は次のようなものであった。
 二十年前までは、裕福な漁師の網元で、周りには漁師の家も百軒以上あったが、次第に不漁となり、近年は舟を出しても、網を曳いても何もかからなくなってしまったという。このため、見限った漁師らは土地を離れ、いまはわずかに三件にまで減ってしまったのだそうである。その家々の暮らしもこの老人らの暮らしと変わらないらしい。
 村には事代主之命をまつる神社があるということだったが、祭などいつしたか思い出せないくらい昔のことだったという。
 翌朝甚五郎は村の鎮守に行ってみた。草ぼうぼうと生い茂るあいだに壊れかけた石段が続き、傾いた鳥居、倒れた燈籠、それでもようやく拝殿に近づき一歩足を踏み入れたら床が抜けた。
 それでも古色をたたえる社殿は奥に長い、大社造である。甚五郎は考え込んでしまった。
 網元の家に帰り老人に話を聞くと、「御祭神様は越後のほうにカノジョができて以来すっかりそちらに居続けですっかりお見限りで……」と悔しそうな様子である。
「昔から恵比寿で鯛を釣ると申すではないか」
「申し…ひだるいの甚五郎さま」、
「……なんじゃな……?
「それを言うなら、海老で鯛を釣るでごっざいます」
「ははは、そうか、そうか……」
  それから三ヶ日、甚五郎は一体の恵比寿神像と、麒麟獅子頭を二頭を彫り上げ、老人これから祭をいたそうと言った。
「ひだるいの甚五郎さま、獅子舞をしますんで……?」
「そうじゃ」
「……しかし、かぶりものがありません」
「そうか、油単がないか……。それならお前さんの娘の緋色の腰巻はどうかな、紐もついていて獅子の頭と結ぶのにちょうど具合がいいぞ」
「……じつは……腰巻の舌はすっぽんポンでして……」
 さて、祭日になると、事代主之命(恵比寿神)を神殿に納め、祝詞をあげると、浜辺に降り、砂浜で漁師二人による獅子舞が行われた。油単は、伯耆丸と書かれた古い大漁旗を二つに割いて作られていた。近所の漁師ふたりで舞われたが、笛も太鼓も無く、漁師はまったく所作など知らないにもかかわらず、獅子が勝手に動いてついて動くだけで舞いができたのだった。
 獅子舞が終わろうというころ、沖の海の色が変わり、近づくにしたがって次第に波立ち、汀に押し寄せると、銀輪が躍り、鯛、ひらめ、すずき、いわし、さば、ふくらぎ、かれい、蛸、蟹、するめ? かまぼこ? 薩摩揚げ? 鰹節? などの海の幸が砂浜に打ち上げられた。
 村には昔のような賑わいが戻ってきた。
 人にとは恵比寿さま、ひだるいの甚五郎様をお祭し、大漁祈願のまつりをするようになったのであった。

 へい、御退屈さまで、御存知伯耆の左甚五郎の一説でございます。

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「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
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◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇蛸御殿 1
2007/6/4(月) 午前 6:14
この物語は、蛸が悪魔の魚と、恐れられていた頃の話です。 漁師の冶五郎は、人里は慣れた、少し突き出た岩の上に座っ ... というのは建前で、隣の甚五郎が、見ていなければ、本当は隠して、帰って ... と思いましたが、声は低く、老人の男の声です。 どこかで ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/shigeo582000/33270421.html

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