暘州通信

日本の山車

◆01747 福知山の播州歌舞伎

2011年04月26日 | 日本の山車
◆01747 福知山の播州歌舞伎

 福知山市の北部を流れる由良川は、さらに北に流れて丹後半島の由良で、若狭湾に入る日本海に注ぐ川であるが。研究者によると、太古の地質時代には、由良川は現在の綾部市から長田野を通り、兵庫県の竹田石生(いそう)を経て加古川にいたり、播州で瀬戸内に流れる川だったという。地殻の変動により、丹波山地が隆起し、大江町あたりが沈降して流れが変わったということのようである。加古川の堆積積土壌には由良川と同質の成分が層をなしているのが見られるとのことである。
 石生は分水嶺となっていて、ここでは一本の川が中央で二つに分岐し、分かれた水は日本海と瀬戸内海に流れる水流に分かれるのである。このあたりの海抜は百メートルにも見たないらしい。氷上郡の青垣町に古い友人がいて、案内してもらったことがある。
 古代から、中世、さらに近世にいたる歴史には、河川の流域文化が一体となっている例がよく見られる。福知山の播州歌舞伎はその好例といえないだろうか。
 【播州歌舞伎】は、その名称でもわかるとおり播州起源である。元禄時代(一六八八-
一七〇四)に、加西市の北条で始められたとする高室歌舞伎(農村歌舞伎)をその淵源とし、高室の座は昭和十二年頃までは続いたといわれるが、このころに消滅した。
 しかし、兵庫県多可郡多可町中区の【嵐獅山一座】が、その伝統を今も継承している。
高室には、化政期といわれる江戸時代でも華やかな一時代であった文化・文政時代には、高室にもこの時代の役者の碑が残される。
 福知山市でも宝暦年間にはすでに歌舞伎村があったと伝わり、福知山の【嵐玉若座】が御霊神社の祭礼などで歌舞伎を上演していたといわれる。
このように庶民の人気を集めたびたび興行されたようであるが、奢侈を禁じる幕府の度々の禁令により中止となっている。しかし、この程度では庶民は屈することなく、万歳狂言だとの口実で取締りを逃れている。

 藝題(外題)には、
壽三番叟
源平咲分牡丹の曲
繪本太功記
壺坂雲験記
假名手本忠臣蔵
加賀見山旧錦繪通
一ノ谷嫩軍記
義經千本櫻吉野山道行ノ場
傾城阿波鳴門 どんどろ大師の場
御所櫻堀川夜討 三段目弁慶上使の段

など、播州と共通する演目がある。
 また、丹後方面の舞鶴、宮津、加悦谷(かやだに)などからも依頼を受けて出向き山車の上でも歌舞伎を上演したことがあったようである。

□典拠
・播磨鑑
・京都府の地名 1981年(昭和56年)3月 ㈱平凡社
・福知山市史 平成4年3月 福知山市役所
・御霊神社 ご鎮座三百年 新発見社宝図録 平成18年9月14日 御霊神社三百年祭奉祝事業委員会
・農村舞台と播州歌舞伎(昭和四十八年)
・芸能史研究