暘州通信

日本の山車

06281 八幡若宮神社祭

2009年03月30日 | 日本の山車
06281 八幡若宮神社祭

新潟県佐渡市(旧赤泊村)
八幡若宮神社
□祭は四月中旬。
□汎論
八幡若宮神社の祭で赤泊祭ともいう。
大獅子、小獅子がでて、山車も曳かれる。

□外部関連サイト
◇「獅子狂言梅川」発祥の謂われパート1
2008/12/9(火) 午後 6:48
... 長野県下では木曽の上松町小川の里、若宮神社と村山の 日野諏訪神社の2箇所だけだと思われます。 山梨県では、市川三郷町(山田の獅子)と南アルプス市の(下市之瀬獅子舞)と同市(西南湖獅子舞)だ けです。 山梨県の2箇所は県指定ですが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/fuyukimiya/5099379.html

◇赤泊の八幡若宮神社の例祭 4月18日
2008/4/15(火) 午前 7:46
... 若手連の大きな山車 (平成16年撮影) 神社では10時頃から 上町の獅子 (平成16年撮影) 現在無くなってしまったが 羽茂高校赤泊分校 (平成16年撮影) 荒町の獅子 (平成16年撮影) 新谷の小獅子舞 (平成16年撮影) が石段を上がって来た せまい境内に ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mseisaku382/6298360.html

◇春日若宮神社    
2007/12/18(火) 午後 9:09
... (二の鳥居の手前で) おん祭りは若宮神社の例祭「若宮祭」のことです。 大社のHPによりますと、平安中期(1003年3月3日)に第四殿にご出現され当初は同御殿内や第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られ、水徳の神と仰がれていました。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nekozero54/51001048.html

◇葛の葉 伝説 神社
2006/11/29(水) 午前 6:46
... それも、特に産土神社での春秋の獅子舞と「葛の葉」伝説から工夫こらされて ... 神壱白狐の棲と言い伝えし・・ 清明伝には稲荷神社御命婦神若宮葛葉姫大神を奉るとある。保名物語には葛葉姫子別れの古記段もこの神社と言い伝へる。白狐口に筆をくわえて書き残し ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yukidaruma3332001/24524591.html

◇田子倉の若宮八幡神社 狛犬が違う!
2006/6/2(金) 午前 2:50
... 「若宮八幡神社」 八幡さまを祀る神社は、日本で一番多いそうですね。 ダム建設に伴い水没した集落に、 元々、祀られていた神社ではないかしら。。。 ダム湖の対岸にある ... 正面を向いているのが、獅子なのかどうか判断できませんでした ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nobikit/35741960.html

02569 小峰神社祭

2009年03月30日 | 日本の山車
02569 小峰神社祭

神奈川県相模原市(旧藤野町)藤野町
小峰神社
□祭は八月中旬。
山車が一臺ある。

□外部関連サイト
◇高賀山滝大明神と円空【滝神社・補遺】
2009/3/18(水) 午後 8:22
... 今年の八月中旬より弓矢のお祭りでこれを見れば、高賀宮の記録であった。神社伝来の宝物等を失った事を憂いて今般表紙箱を求めてお宮に奉納した。〔後略〕  ここでは「八月中旬より弓矢のお祭り」とあります。江戸期までのことですが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/12703966.html

00758 根津権現祭

2009年03月30日 | Weblog
00758 根津権現祭

東京都文京区根津一-二八-九
根津神社
□祭神
スサノオノミコト 須佐之男命
オオヤマクイノミコト 大山咋命
モムダワケノミコト 誉田別命
相殿
 オオクニヌシノミコト 大国主命
 スガワラミチザネコウ 菅原道真公
□祭は九月下旬。
□汎論
根津神社の創祀は、日本武尊が千駄木に祀ったのがはじまりと伝えられる。
文明年間に太田道灌が社殿を建立している。

01910 下立松原神社祭礼

2009年03月30日 | 日本の山車
01910 下立松原神社祭礼

千葉県白浜町滝口一七二八
下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)
□祭神
アメノヒワシノミコト 天日鷲命
アメノフトダマノミコト 天太玉命
アメノトミノミコト 天富命
イザナギノミコト 伊弉諾命
イザナミノミコト 伊奘冉命
配祀 
 アワワケヒコノミコト 阿八別彦命
 須佐之男命
 住吉大神
 高倉彦命
 大麻産靈命
 高雷命
 闇雷命
 高皇産靈神
 神皇産靈神
 倭健命
 柿本人丸
 高□命
 闇□命
 天忍日命
 天照皇大神
 磯根御氣姫命
 衣通比賣命
 木花開耶姫命
 金山彦命
 菅原道眞
□祭
□汎論
下立松原神社は延喜式に記載される古社。後年、多くの神が合祀されている。
アメノトミノミコト(天富命)はアメノフトタマノミコト(天太玉命)の孫にあたり、
主神のアメノヒワシノミコト(天日鷲命)を創祀したとされる。
忌部氏を出自とする祭神で、
太玉命神社 奈良県橿原市
大麻比古神社 徳島県鳴門市
安房神社 千葉県館山市
大原神社 千葉県君津市
にも祀られ、徳島県阿波と千葉県の安房は古代には同義だったことを示している。
大杉神社ほか関東各地で演奏される山車囃子、「あんばばやし」も阿波囃子、安房囃子とされる。


05084 羽黒神社祭 

2009年03月29日 | 日本の山車
05084 羽黒神社祭  

茨城下館市大町甲三七
羽黒神社
□祭神
オオナムチノミコト 大己貴命
タマヨリヒメノミコト 玉依姫命
□祭は七月下旬。

□汎論
祭は祇園祭として行われる。文明一三年(一四八一)、下館城主だった水谷将勝は、領内鎮護祈願のため出羽国(山形県)より羽黒神の分祀を受けて、鬼門、風門、病門、天門にそれぞれ五社の羽黒神社を創建した。下館六代城主の政村(蟠龍斉)は、久下田城を築城したとき、久下田城の鬼門、病門に二社を建立し前の五社とともに七羽黒というようになった。神輿は重さが約二トンとおおきく、日本一の大きさだという。


02454 大鏑矢神社例大祭

2009年03月29日 | 日本の山車
02454 大鏑矢神社例大祭

福島県田村市(旧船引町)船引町
大鏑矢神社
□祭神
オオカブラヤノカミ 大鏑矢神
オオヤマクイノカミ 大山昨神
タカミムスビノカミ 高皇産霊神
サカノウエノタムラマロ 坂之上田村麿命
□祭
春は四月下旬。
秋は一一月上旬。

□汎論
社記によると、桓武天皇の延暦二〇年(八〇一)坂上田村麿が勅命を受け奥州入りしたとき、当社に参詣して鏑矢を奉じ戦勝を祈願した。坂上田村麿の没後その霊が併祀された。
□外部関連リンク
◇田村市 大鏑矢神社
2008/7/5(土) 午後 10:11
花菖蒲を紹介しています 大鏑矢神社について 坂上田村麻呂が、鏑矢を報じて戦勝祈願を行ったと伝わる。 現在は田村市となった、旧 船引町に鎮座する神社です。 写真で、社域の雰囲気と 狛犬を紹介します。 撮影、2008.6.28
 http://blogs.yahoo.co.jp/abukuma2005/53964629.html

◇那須与一の郷
2008/5/6(火) 午後 10:47
... 与一は鏑矢を十分に引絞ってひょうと放ち ... 次いで、蝦夷征討のため当地を通過した坂上田村麻呂征夷大将軍が、人皇15代の応神天皇をお祀りして、戦勝を祈願し「金丸八幡宮」と名付けました。以来、当神社は「金丸八幡宮」と言われ、通称、「金丸八幡さん」と ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nhdyk181/41989956.html

◇・・・・・・・・・ 大鏑矢神社 と 菖蒲園 ・・・・・・・
2007/7/8(日) 午前 7:29
... 大鏑矢神社 ・・・・・・・・   (福島県田村市船引町) ・・・・・・ 大鏑矢神社のホームページ ・・・・・・・ 大鏑矢神社の略歴(大鏑矢神社のホームページからコピー)     http://www ... 桓武天皇延暦二十年(801)坂上田村麿は勅命を受けて ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/shuusui_yk/13704824.html

◇大鏑矢神社
2007/6/30(土) 午後 11:29
... どんなところなんだろう?? 「引き絞る はなす白羽の鏑矢に 滝根もほろぶ 片曽手の山」(田村麿)  801年坂上田村麻呂がこの地方を平定したおり、  戦勝を祈願して鏑矢を奉納したと伝わる神社。 境内には10万株のハナショウブがあり ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ayanokojimasyumaro06/21993114.html

01788 山神社祭

2009年03月29日 | 日本の山車
01788 山神社祭

真室川町
□祭は九月中旬。
□汎論
真室川町の八敷代番楽は、秋田県の矢島地方より伝えられたといい、町内で最も古い番楽と言われれ、ている。三番叟、獅子舞、地神舞、武士舞、もちつきなどが継承され山神社の祭で奉納される。

01595 秋名のアラセツ

2009年03月29日 | 日本の山車
01595 秋名のアラセツ

□行事は旧暦八月初丙日
□汎論
龍郷町秋名に古くから伝えられる稲作民間神事で、およそ四〇〇年の伝統がある。
旧暦八月の初丙の日には、夜明けにショチョガマ、夕刻に、平瀬マンカイが行われる。
国指定の重要無形民俗文化財に指定される。
ショチョガマは、秋名集落の田袋を見下ろす山の山腹に、萱、稲藁葺いた片屋根の簡易な建物・ショチョガマをつくり、潮流が満ち始めるころを見計らって男や子供たちがこれにのぼって歌にあわせショチョガマを揺って倒す。豊作祈願だという。
平瀬マンカイは、ショチョガマと同日の夕刻、潮が満ち始めるころ秋名湾の汀にある二つの岩礁にノロとグシたちがのぼり、太鼓の音に合わせて平瀬マンカイの歌を唄いながら海の彼方から神を招いて豊作を祈願する。儀礼が終わると海岸では八月踊りを踊る。
ショチョガマとマンカイは朝夕の潮が満ちてくるころにはじめられる。

□問い合わせ
龍郷町商工観光課
〒894-0104
鹿児島県大島郡龍郷町浦110番地
電話 0997-62-3111

□外部関連リンク
◇秋名のかかしまつり
2008/7/6(日) 午後 6:03
... 秋名は「ショチョガマ」とか「平瀬マンカイ」(国指定重要無形民族文化財)とかいう神秘的な儀式が今なお残る集落です。詳しくは龍郷町ホームページのイベント情報(下記URL)をみてください。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ariyanokuroushagi/12258112.html

◇3泊4日奄美紀行 #8 秋名でおみやげ
2008/3/3(月) 午後 0:56
... この日の早朝、潮が満ち始める頃「ショチョガマ」祭りを行い、  夕方の潮が満ち始める頃海岸の平瀬で「マンカイ」祭りを行う。  この二つの祭りを合わせて「平瀬マンカイ」と呼んでいる。  内容は、稲の豊作を願い、また豊作に対する感謝の念をこめ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/suigetz_tei/52264551.html

◇今日はアラセツ や~まわり
2006/9/24(日) 午後 8:22
... 北部では平瀬マンカイやショチョガマが有名ですが、 その慣わしはシマ(集落)ごとにそれぞれあります。 奄美大島南部 瀬戸内町では 『やーまわり』  ※やー(家)まわり(周り) と言って、 新築・増築した家や ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/happymugcup/1779351.html

◇ショチョガマ&平瀬マンカイ
2006/9/24(日) 午後 5:28
今日は国の重要無形民俗文化財に指定されている ショチョガマ と 平瀬マンカイ がありました♪♪ ショチョガマ 大島郡龍郷町秋名で毎年旧暦8月の初丙、アラセツ(新節)の日に 集落(シマ)の山と海の祭事場で行う稲作儀礼 早朝 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/pinky_kitty_86/42138890.html

◇平瀬マンカイ
2006/5/7(日) 午後 7:43
... ぶぶb   ショチョガマの行事は朝、太陽が昇る前に稲わらを敷いて作った片屋根のたて横4,5mのショチョガマを倒します。それからその日の夕方、満ち潮にあわせて写真のように岩の上で海の彼方から神を招き豊作を祈願します。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tizinnoneiro/4271331.html

05956 加茂神社祭

2009年03月29日 | 日本の山車
05956 加茂神社祭

岩手県大船渡市
□祭は五月上旬。
およそ二〇臺くらい山車、屋臺が曳かれる。気仙地方最大規模の式年大祭。
□山車、屋臺
・永井沢組
・茶屋前組
・須崎組
・台町組
・赤澤組
・上山中央町組
・富沢組
・明神前組
・南町組
・北笹崎組
・川原町組
山車(屋臺)をは「定紋車」といい、山車の前面勾欄に定紋車の額を掲げる。
全体は水沢日高で曳かれる「火防祭」の山車に似ている。
屋根は殻破風、千鳥の油障子で半透明である。欄間には華麗な彫刻が施される。柱は前面が円柱、後部は角柱で朱色に塗る。
四段に構成された各段には男性の囃子方が乗り込み演奏が行われる。
・平組
・下宮下船渡組
・地ノ森組
・平七福神
・明土組
・田中権現(賀茂神社)
・八坂権現
・永井沢権現
・月山権現
・地ノ森権現
・屋敷組

□汎論
加茂神社式年大祭は、大船渡町五年祭ともいう

□外部関連サイト
◇長龍神事  (三重県多気郡多気町片野  八柱神社)
2009/3/21(土) 午前 5:12
... この八柱神社はその名が示すとおり出雲系の神社です。そこで毎年春分の日に雨乞いと豊作を祈願して奉納される260余年の伝統ある神事で ... 熊野権現、産土の神々の三方に向かって拝礼する。 ... 半田の山車のお祭りが5月のゴールデンウィーク ...
 
◇風流山車 豪華絢爛に~花巻まつり ~ 岩手
2008/9/13(土) 午後 5:59
... 鹿踊には県下各流派から二十三団体、神楽権現舞には二十五団体が出演する。  初日は神楽権現舞を皮切りに神輿のパレードが続き、夜には風流山車が通りを練り歩いた。豪華な飾り付けが施された山車 ... 鳥谷崎神社の神輿渡御が行われる。十四日は約二百四十人に ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/bubunchos/44119031.html

◇根津権現は春一番・4、根津神社
2008/3/14(金) 午後 8:23
... 正徳四年には、江戸全町より山車を出し、天下祭と呼ばれる壮大な祭礼 ... 「根津権現」は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退しましたが、根津神社は、営々と「権現様」と呼ばれ、文学作品でも「根津権現」として出てきます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/pokochino6324/34749303.html

◇今年の互助会は・・・飯縄権現編
2007/7/5(木) 午後 11:45
... 数日お天気も下り坂・・・ 各山車組とも外に出して作業が出来ずに ... 飯縄権現は軍神ともされ、武田信玄や上杉謙信が信濃の飯縄権現を厚く保護をした。 現在、飯綱山山頂には飯縄権現を祀る飯縄神社がある。他に、武蔵の高尾山薬王院有喜寺、越前の日永岳 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dashimania/11806543.html

◇新熊野 合大権現 鬪 神社
2007/2/11(日) 午後 2:34
... 公   姫弁才天 イチキシマヒメノミコト  玉置神社  タオキホオイノミコト  十日戎神社 戎人黒二神  弁慶社   武蔵坊弁慶 社伝によると、419年に熊野権現(現熊野本宮大社)を勧誘して田辺の宮と 称したのが ... 笠鉾(山車)の巡行は豪華極まりなく ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/joy_of_color/46430474.html

02363 新郷村祭

2009年03月29日 | 日本の山車
02363 新郷村祭

青森県新郷村
□汎論
新郷村(しんごうむら)は、青森県十和田湖の東部にある。
十和田湖の外輪山のひとつである戸来岳(大駒ヶ岳、三ッ岳)お戸来は、旧村名でもあったが、キリストにゆかりのあるヘブライに通じることから、イスラエルおよびユダヤ民族と友好関係があるという。キリストの墓伝説などユダヤにまつわ伝承や数々の遺跡が多いのはあながち偶然とも言い切れない。
寿永二(一一八三)、御嶽堂(上田市、旧丸子町内)に兵を起こした木曾義仲は、越中と加賀の境にある倶利伽羅峠の戦いで圧勝したが、この戦で大敗した平氏が落ちのびたのが奥州陸奥西越(旧西越村)だったといい、後年仙台藩の初代藩主伊達政宗の擁立に尽力があったとされている。



02268 さわらふるさとまつり

2009年03月29日 | Weblog
02268 さわらふるさとまつり
北海道茅部郡砂原町
□祭は四月下旬
市民祭。
□汎論
砂原漁港西側特設会場で行われる神社に属しない市民祭。
祭には、 郷土芸能、沼尻駒踊、砂原権現太鼓、YOSAKOIソーラン踊などのほか、海の幸・山の幸のバザーがあり、加工品の格安販売、歌謡ショウなどのステージ・ショウ、バーベキューコーナー、カジカ汁コーナー、ブルーベリーワインの試飲コーナーも特設され一日を楽しく過ごせる。

00079 川越氷川祭

2009年03月28日 | 日本の山車
00079 川越氷川祭

埼玉県川越市
氷川神社
□祭は一〇月上旬。
江戸型山車が多数曳かれる。
□山車
・高沢町
 人形は大山咋命(山王神)
申の面を冠つており、金幣をかついぐが、面の下は豊臣秀吉の人形姿に凝らしてあるという。
建造は安政年間と言い、木札に都梁斎とあり法橋仲秀英の作であることが知れる。
山車の四方幕にはヌサがつく。かっては人形が大山咋命であることから、一番を曳いた。囃子方は川越南の新宿。

・南町の山車
人形は人形は源ノ頼朝の能舞姿。翁面で知られる。元の人形はタジカラオノミコト(手力男命)であった。猩々、翁と改められている。面は明治三年仲秀英の作。
工匠は関根平蔵。
彫刻は野本義明。
廻り舞臺付の四ツ車
最とも豪華なる山車といわれる。
囃子組は堤先連(大谷)。、昔は江戸神田祭の山車でも演奏していたこともあるといわれる。
 南町は札の辻の南にあるのことから名づけられた。昔の十ヶ町時代には札の辻が城下町の中心地であったが、今も繁華街で土蔵づくりがつづく。

・志義町車
かって、人形は布袋だったが、幕末文久年間の改作、文久元年の大祭を写した
二枚つづき板画に、羅陵王の人形で三ツ組の組込式の山車に図柄の記載があって、羅陵王は蘭陵王とある。古く舞楽に蘭陵の勝舞があったとの言い伝えがある。面は有由長門正の作。面をとると織田信長になっている。
十ヶ町時代頃の建造。仲秀英の作。
組込行燈式四ツ車。
緋の四方幕には白地で御祭禮とあらわし、四方に古式によるヌサがさげられ、舞臺の正面に羅陵王(蘭陵王)の額があがる。
廻り舞臺の腰彫刻に、文久元年島村俊豊の作銘がある。
囃子組は川越の中台(奈加)。川越城内で城主上覧のさい嘉賞され、以来上覧囃子と唱え「熨斗目」の揃衣装に鉢巻を用いず、囃子方かぶりで上演していたといわれる。

・喜多町
人形は藤原秀卿、平将門を討取った勇将の姿。
四ツ車で廻り舞臺をもつ、組込のセリあげは行燈式、
法橋鶴雲斎の木札がある。東都神田の名匠といわれた亀作で、家号を亀屋と呼び、本名を小倉作兵衛と称した。この亀作父子の合作と伝えられ囃子臺下にに署名がある。
請負人神田明神前
小倉作兵衛
同、秀吉
神田
近藤儔保
大工山崎幸吉
彫工中島直吉
塗師古川庄五郎
箔方平石惣吉
世話方川越佐川新吉
と記される。
囃子方は福田である。

・鍛治町
人形は三条小鍛冶宗近。
名匠で知られる法橋原秀月の作。
宗近の頭部には白狐の冠り物があり、神佑により名刀を鍛える姿であらわされる。
山車の上部には竹を立て注連縄がつけられる
山車は組込み競リ出し式の廻り舞臺のある四ツ車。
上部の四方幕が美しい姿の雲凰。四方にヌサが付く。
囃子臺には紫の水引幕がかかり、車久世通禧筆の鍛冶町の字額があがる。
舞臺正面は花燈形の入口がある。
見送り幕は青磁の地色に分銅模様、町名の頭文字が図案化されている。
囃子組は県のコンクールにも入賞している南古谷地区の南田島。「足踊り」が妙技と評される。
昔に此の町は鍛冶刀匠が住んだ処で鍛冶町の町名が起源とされていた。ゆえに金一由神社が祭られて、この由緒から人形に小鍛治の宗近が撰ばれている。

・上松江町
人形は浦島。
山車は、明治二十六年三月十七日の川越大火で焼失した。人形のみ災いを免れたが、山車が再建されたのは大正四年であった。
建造は、東都神田明神下山車師たる亀作(二十三代目)こと、亀甲斎清秀(小倉秀太郎)がたまたま川越生れで、小倉家の養子になっていたことも機縁となって再建に取り組んだ。
松江の町名は、ここがもと入江になっていた地であったことにちなむといわれ、このゆかりから人形が浦島になっているのだという。
青地の海に珊瑚の刺繍を施し、波と鶴亀の四方幕、波に腰彫の亀などは倉秀太郎の考案だという。

・江戸町
江戸町の人形はもと鎮西八郎為朝だった、明治五年に天鈿女命になった。仲秀英の作。
山車は三ツ車、組込み競上式。
四方幕の正面は緋色に白く鷄と雲が描かれる。
囃子臺の正西に大神会の額があがる。
腰幕に江の字がはいる。
囃子方は小中居の囃子組。昔に東町といっていたが、大手前から江戸に出る問屋場があって、次第に江戸町となった。

・六軒町

・中原町
上部の神座には四方に金幣がつく。
月鉾山車という。
中原の山車は月鉾で京都の祇園祭に模したもの。
江戸型山車が多い当地では珍しい上方風である。
上部に日月をあらわし、幕に白く町内の頭文字である中の字を抜く。
競り上げ構造で、四ツ車。
囃子臺は唐彼風造。上部に平野鉄国の龍の彫刻がある。
工匠は地元の関根平蔵。昭和二十三年五月の建造
囃子方は横沼の囃子組。

・相生町
昭和二十七年市制三十周年を記念して建造。
四ツ車で三ツ組あんどん式の小型組込につくられる。

・連雀町
人形は太田道潅。磯貝勝之の作。
大田道潅は江戸城とともに川越築城の雄将である。
山車は昭和の作、工匠は地元の印藤順造。
三ツ組の四ツ車、廻り舞臺のある構造。
囃子組は寺尾の囃子組。この町内には熊野神社があり、山車はそこに保管される。
浄土宗の十八檀林である蓮馨寺があり、門前町として栄えてきた。

・松江町
市制三十周年を記念して山車が建造された。
上部には標山を設け幣束が立てられる。
工匠は奥山竹三郎、清水登喜三。
龍の彫刻は島村源蔵の作と伝える
囃子組は角泉の囃子である。

・宮下町
人形は産土神がある宮下の町名から、祭神の日本武ノ命
車は市制三十周年記念に建造された。
工匠は地元の高柳某。
囃子方は山田の綱代の囃子組である。

・多賀町
旧臺は火災によって失われた。
山車彫刻は飛騨高山(岐阜県高山市)の上一ノ町にある麒麟臺彫刻麒麟臺彫刻は、谷口與鹿により彫刻されたその手本ともなったものであったが、惜しくも失われた。氷川神社本殿は天保十三年(一八四三)の造営で、嘉永二年までおよそ十年かけて完成した。このとき川越十ヶ町の代表的な山車彫刻は本社に彫り上げられている。
彫工は島邑(村)俊表で、欄間「東都神田川住島邑俊元八代裔孫彫工島邑俊表彫之」
とあり、島村源蔵。記録によると天保十四年から弘化三年まで、熊谷の彫刻師岩次郎が手伝ったとあり、彫刻にはおよそ五年をかけている。

・志多町
山車人形は、武蔵坊弁慶が安宅の関で二人の童子に道を訪ねているところ。
人形師は名人の名をほしいままにする鼠屋豊斎五兵衛で、その代表作ともいうべき名作。志多町は大きな東明寺坂があって、その坂下だったので、下町とも記された。十ケ町の一つで、坂上の宮下入口に元は代官町と呼ばれ代官屋敷があった。昔の山車祭礼控によると、山車は代官町よりはいるとある。
旧臺は、仲秀英の建造。安政年間の作と伝えられ、人形は小槌であった。改修されて、四ツ車の組込競り上げ式となった。
囃子方はもと曲師であったが、いまは府川組となっている。
山車の正面に弁慶の字額が掲げられる。

・本町
本町にはむかし、船屋臺があったと伝えられが、清水町にあった石橋で倒壊して多くの怪我人が出たため曳行の道筋を変えたとある。舟山車は現存しない。
(順不同)

□汎論
 取材にあたり氷川神社の各位より格別のご好意にあずかった。記して謝意を表したい。
 平安時代の「伊勢物語」にも、入間郡三芳野の里と記され、また詩歌に題され、多濃武の沢が初雁の名所地として有名であった。川越市の総鎮守である水川神社も歴史は古く、その創祀は欽明天皇期とあり、武蔵国大宮(現埼玉市)のーノ宮から分祀されたといわれる。出雲系氏族の氏神として武蔵地方には氷川神社が多く祀られ、東京など江戸期には氷川神社が過半数を占めている。かっての入間郡は中郡であり、山田、麻羽、高階、安刀、郡家、大家、広瀬余戸の八郷に分けられていた。この山田郷が川越地方にあたり、河肥之庄と改称され、吾妻鑑には河越荘とも記載されている。


□川越市文献資料
「川越の山車」 岸傅平著 川越市教育委員会刊行
「万之覚原文」
「川越史料」
「風俗画報第二百五十八号」
「東京都の郷土芸能」
「伊勢物語」


□外部関連サイト
◇山車
2009/3/10(火) 午後 5:03
... 山車はもともと、走って周り何箇所かで人形浄瑠璃をしていたようです。 下段に大太鼓、小太鼓、笛、鐘でお囃子をし上段は舞台の形をしています。 今は上段は提灯をつけるようにしています。 車軸は樫の木で4輪です。松の大木から車輪を造ります。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rstake12/12059960.html

◇富士宮秋まつり●山車の人形●
2008/10/26(日) 午後 8:28
11月3日から11月5日にかけて富士宮秋まつりが開催されます。20区の山車、屋台が浅間大社を中心に練り歩きます。お囃子による競り合い喧嘩囃子が勇壮です。各区の山車、屋台の上には、人形が乗っていますが、当区は、神武天皇の人形さんです。★
 http://blogs.yahoo.co.jp/miracosta44/18907948.html

◇人形山車とお囃子の競演のお祭り
2008/8/18(月) 午後 2:48
... 下の写真では、右の那須与一が山車の屋根に飾られるのです。  9つの人形山車が広場に勢揃いすると、3つの山車が広場の中央に出され山車の回転やお囃子の競演が始まります。  山車の屋根に飾られる人形です。左側から仲東町の浦島太郎、宿庭町の源義経 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/weblogrom_an/23918913.html

◇船形の祭 山車と人形
2008/8/1(金) 午前 6:12
27日に館山市の船形地区祭礼で見た山車、屋台、曳き船のうち、最後に「大塚区」と「堂の下」区の山車を紹介します。前に囃子方がいて、後ろで人形をせり上げる典型的な江戸型山車です。 館山市は船形、那古、北条、館山の四つの地区で ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tamihira123/23792481.html

◇本庄祭り各山車紹介1
2008/4/22(火) 午後 4:28
... 三味線胴で造られ江戸博物館に展示されている山車と同じ形式であった。囃子も他町と一風変わっていて素晴らしい囃子である。 上町の山車     制作年度   明治35年 製作者    横山友治郎 人形      神功皇后(じんぐうこうごう) 照若町の山車 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/momotaroudasi/7001776.html

01050 日向一宮の夏祭

2009年03月28日 | 日本の山車
01050 日向一宮の夏祭

宮崎県湯郡都農町大字川北
都農神社(つのじんじゃ)
□祭神
オオナムチノミコト 大己貴命
□汎論
都農神社は延喜式に記載される古社。創祀は不詳であるが、神武天皇が高千穂を出立したあと、この地で武運長久と国土の平定を祈願したとの言い伝えがある。
高千穂に天下る天孫族よりまえにこの地にはすでに出雲系氏族の支配する地であったことをうかがわせる。


01045 小天少彦名神社秋祭

2009年03月27日 | 日本の山車
01045 小天少彦名神社秋祭

熊本県天水町
小天少彦名命神社
□祭神
オオナムチノミコト 大己貴命
スクナヒコナノミコト 少彦名命
□祭は一〇月中旬。

□汎論
小天少彦名命神社の創祀は、和銅六年(七一三)、肥後国、筑後国(長崎県、熊本県)に悪疫が流行し多くの死者がでた。当時の国司道君首名(みちきみのおびとな)はこれを憂い、忌屋を建ててこもったが、このとき、椎の枝を刺し立て大己貴命の神木とし 柊の枝を刺し立て少彦名神の神木とした。二神を招き奉じたところて悪病の蔓延は終息した。さらに同じ日に 大木と小木を伐出させ、忌屋の四方に積みあげ、七日後の夕刻に火をはなって焼いたあとふたたび二神に病を治め給うよう祈願された。この道君首名がたてた忌屋の地が現在の神社だとされる。