備忘録として

タイトルのまま

墨田川両岸一覧

2017-01-06 22:55:01 | 江戸

元日初詣に向島の白髭神社へ行った。白髭神社は創建1000年余り、御祭神は猿田彦命(サルタヒコ)である。天孫降臨のときに瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の道案内をした手塚治虫の『火の鳥』にも出てくるあの鼻の大きな国つ神である。日本書紀では、「其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也。」とあり、鼻の長さは七咫(ななあた)、背の長さが七尺、まさに七尋(ななひろ)、口の端は明るく輝き、眼は八咫鏡のように赤酸醤(ほおずき)のように赤い異形の人である。アマテラスオオミカミが岩戸にお隠れになったときに活躍したアメノウズメは、猿田彦の前で岩戸のときと同じ所作をしたのちサルタヒコと結ばれる。

本社は琵琶湖の白髭神社で、全国に292の分社があるという。サルタヒコが天孫の道案内したという神話に基づき、人を正しく導いてくれることから御利益は「家内安全 身体健全 社運隆昌 商売繁昌等」とあった。そのため、様式にのっとり盛りだくさんにお祈りした。

神道信徒でも仏教徒でもない無信心の自分が正月だけ寺社で神仏頼みを続けてきたことに自己矛盾を感じていたのだが、『The Path』の礼を続けることが自己変革になるという言葉に勇気づけられ今年は迷いなくお参りした。そのあと、近くの長命寺で名物の桜餅を食べ浅草寺まで歩いた。浅草寺は参拝客が仲見世の参道を雷門から並ぶ予想通りの混雑だったので参拝はしなかった。とにかく外国人が多かった。

 

隅田川の東岸にある白髭神社は、北斎の隅田川両岸一覧に『白髭の翟松 今戸の夕烟』(しらひげのきじまつ、いまどのゆうけむり)として描かれている(下の絵、国立図書館web-siteより)。翟松(きじまつ)と名付けられた鎮守の森が対岸の右端に描かれている。現在の白髭神社に松は見当たらず写真の枯れ木は銀杏である。今戸は、下の写真を撮影した桜橋(通称X橋)西詰付近に地名を残し今戸神社がある。この写真は北斎の絵と同じように隅田川西岸から対岸の白髭神社方向を撮ったものだが、鎮守の森は建物の陰に隠れて見えず、予想通り約200年前の風景からは一変している。特に、川岸を走る首都高は無粋で景観を台無しにしているのは日本橋と同じである。

2017年の干支の酉に合わせるかのように北斎の肉筆画『鶏竹画』(下の絵)がヨーロッパで見つかったという記事が年末の朝日新聞一面に載った。明治期に来日した英国人建築家ジョサイア・コンドルの旧蔵品を東京の美術商がデンマークで落札したもので、北斎が40歳頃の作品だという。落款に”歩月老人 北斎”とある。”画狂老人 北斎”はよく見かけるが歩月老人ははじめてみた。北斎はマイケル・ジャクソンより200年も前にMoonwalkerを名乗っていたのだ。

北斎ついでに、新聞記事の数日前12月24日に新築のすみだ北斎美術館へ行き、特別展”北斎の帰還”を観てきた。隅田川両岸景色図巻という絵巻を展示する特別展である。北斎は、江戸末期の『浮世絵類考』で「隅田川両岸一覧の作者」と紹介されているように、浮世絵類考の作者は隅田川両岸一覧を北斎の代表作としている。両岸一覧は30ページほどの冊子で、図巻は長さ7mの絵巻である。ほとんどの日本の美術館同様、写真撮影は禁止だったので絵巻物の写真が撮れなかった。

美術館は下の素戔嗚を売り物にしている。原本が焼失し残った白黒写真から伝統的な着色技法と最新技術を駆使して元の色を再現したものである。こちらは待合ホールに掲げられていたので写真が撮れた。こんなマイナーな美術館にも中国人観光客がいたのに驚いた。相当の日本通かもしれない。

 下は美術館内にあった北斎と娘のお栄の蝋人形と美術館前の北斎通りと名付けられた通り。 

 

1年が経つのが早い。昨年を振り返ってみれば、ランニングライフに突入した年だった。

1月、同級生と同僚から2通フルマラソンを走ったという年賀状に刺激を受け、本格的にランニングを始めた。体重増と生活習慣病を自覚したことも走り始めた理由だった。ランニング効果はすぐには顕れず3月の定期健診では案の定、再検査通知がきた。

5月、手始めに10月のハーフマラソン大会に参加を申し込み、週2日から3日のランニングを続けた。炭水化物を減らす食事制限を続け、夏までに体重を6㎏落とした。順調にトレーニングを積んでいたのに、8月末のジョギング中に足首をねん挫し1か月近く練習を休んだ。

10月の大会は不安だらけだったが何とか完走した。

12月、高校の同級生がシンガポールハーフマラソン(SCMS)を完走した。一日の中で最も気温の低い早朝4時半とはいえスタート時点でさえ気温25度湿度95%で、陽が昇るにつれて気温のあがる過酷なレースである。高温、多湿により脚をつりながら、友人は予想タイムを30分ほど遅れて無事ゴールした。同じレースでトライアスロンをやっていたというイギリス人の若者がゴール直前で亡くなったほど過酷だった。

シンガポールでは早朝に何度か10㎞を走っているが、疲労が脚にきてそれ以上距離を伸ばせないでいる。10㎞で1㎏体重が減るので、体から1リットルの水分が失われているということだ。ハーフなら2リットル、フルなら4リットルだからこまめな水分補給なしでは脱水症状を起こさない方が不思議だ。今の自分のレベルでは到底シンガポールでハーフは走れない。シンガポールでは短い距離をロードで、涼しいジムで少し長めの距離を走り、日本帰国中はロードを10から15㎞走っている。ひとり練習はモチベーションを保つ苦心が必要だが、幸い同級生や同僚が練習に励んでいる様子やフルに挑戦するとか何時間で走ったとかいう知らせをくれるので、その都度刺激を受け練習に熱が入る。

今年のランニング目標はハーフを中心にレースと練習を重ね、来年にでもフルマラソンにデビューできればと思っている。今年はランニング以外の挑戦も増やしていきたい。


最新の画像もっと見る