備忘録として

タイトルのまま

杜子春

2011-02-20 17:22:03 | 中国

湯島聖堂・大成殿の天井に飾られた額の儒家集団の中に、あの芥川龍之介の杜子春がいるではないか。杜子春って儒家で実在だったのか?

芥川龍之介の杜子春を読む限りでは、母親を助けようと声を出してしまう孝を大切にする人で仙人(道教的)にはなれなかった。芥川が杜子春の題材にした唐大伝記の「杜子春伝」は、3度の金持ちと貧乏の繰り返し以降は話が違っていて、杜子春自身が仙人になるためにどんなことがあっても声を出さないと仙人と約束をし、妻が殺されても自分の体が切り刻まれても声を上げなかったのに、死んで女に生まれ変わり産んだ子供を夫が殺した瞬間に声を出してしまった。そのため杜子春は仙人になりきれなかった。わが子への愛をさえ捨てないと仙人にはなれないのである。このあたりは、列子にも共通している。杜子春は仙人(道家的)にはなれなかったが孝悌を大切にしたので儒家的といえばそうなのかもしれない。

では、杜子春は実在の人物だったのか? ネットサーフィンしたが結局、唐大伝記の「杜子春伝」以外に、その名を見ることはできなかった。上の写真の人物は、以下に示すように杜子春以外すべて儒家として史書に名があるか業績がはっきりしている。

左丘明(さきゅうめい):春秋時代の史官で、盲目になってから国語をつくった。孔子の弟子ともいわれる。(史記・大史公自序)

穀梁赤(こくりょうせき):孔子の門人子夏の弟子で春秋の解釈書である春秋穀梁伝を表す。(?)

高堂生(こうどうせい):漢代の儒学者で最初に礼書を伝えた。(史記・儒林列伝)

毛萇(もうちょう):漢代の儒家で、儒教の基本経典のひとつである詩経を伝えた。(漢書)

杜子春(とししゅん):唐代の人?

王通(おうとう):隋代の儒学者で弟子との対話を記録した「文中子中説」という著書がある。(隋書?)

儒家を描いた額は広間の天井近くに左右7つほど掲げられていただろうか。たまたま、もう一枚写真を撮った下の額に入った人物についても調べてみた。


韓愈(かんゆ):唐代の進士合格官僚。古文復興運動を行った。(旧唐書、新唐書)

后蒼(こうそう):漢の武帝のときの博士で礼を伝えた。(漢書)

董仲舒(とうちゅうじょ):漢初の儒家で武帝の丞相になった公羊派である。司馬遷も会っている。(史記・儒林列伝)

孔安国(こうあんこく):孔子11世の孫で漢の武帝のとき博士となった。(史記・孔子世家・儒林列伝)

伏勝(ふくしょう):伏生ともいい、秦の焚書坑儒のとき書物を隠した。(史記・儒林列伝)

公羊高(くようこう):孔子の弟子の子夏の弟子で、公羊高が解釈した春秋を春秋公羊伝という。(?)

史記における孔子の弟子と儒家の系譜は、「孔子世家」に顔回、子路、子貢ら側近の弟子、「仲尼弟子列伝」に77名の孔子の弟子の名、「儒林列伝」に孫弟子以降、司馬遷の時代までの儒家の名前が見られる。杜子春以外は、儒家としての業績もはっきりしているか、史書にその名がみえるので、なぜ杜子春の名が湯島聖堂の大成殿の儒家の集団の中にいるのか不明である。