備忘録として

タイトルのまま

太平洋戦争

2009-12-08 21:17:38 | 近代史
 今日12月8日は太平洋戦争が始まった真珠湾攻撃の日である。真珠湾攻撃は68年前、昭和16年(1941年)のことで、開戦日に合わせてNHKでは太平洋戦争関係の番組をいくつか放映した。
 昨夜の番組は、NHKが8月に放映した日本海軍の軍令部の反省会についての半藤一利と澤地久枝と戸高某の座談会だった。澤地と半藤は、実戦経験がまったくない人たちが参謀として作戦を立てていたことに驚いていた。8月に反省会の番組を見た時、私も同じような感想を抱き「他人事のようだ」と評した。番組で澤地が”人の命は一銭五厘”(召集令状のはがきの値段)と言っていたが、軍令部の参謀たちには、自分たちの判断ひとつに多くの人の命が懸かっているという切実な認識がなかったように思う。
 一昨日の番組では、魚雷を抱いた二人乗りの5隻の潜水艦が真珠湾攻撃に際し、海底から真珠湾に侵入した作戦を取り上げていた。真珠湾侵入には成功したが、結局戦果をあげることなく5隻は帰ってこなかったという。特攻隊は戦争末期に玉砕覚悟で考え出されたものと思っていたが、戦争開始時点でもう兵士の命を軽視する作戦があったということは、日本軍部あるいは軍令部は体質的に人命軽視だったとしか言いようがない。
 日曜日放映の「坂の上の雲」の秋山真之が所属した明治時代の軍令部は、太平洋戦争の頃には組織防衛に汲々とする官僚的参謀たちの集まりに変貌したように見えた。司馬遼太郎は生前、戦争賛歌につながることを嫌って「坂の上の雲」の映像化には同意しなかったという。司馬遼太郎は、明確に明治と昭和を区別しているのだが、国家建設に燃えてキラキラと輝いている「坂の上の雲」の好古や真之ら明治の若い軍人たちだけを見ると、危うく戦争賛美に陥りそうになる。
 戦争の真実を知れば知るほど、学徒出陣した田英夫や上原和や梅原猛や、徴兵されて満州に行った司馬遼太郎や親父や、戦時を体験した半藤一利や澤地久枝や母親や、その他大勢の戦争に反対する人々と同じように、戦争は絶対にしてはいけないと思う。