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一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

生活の重要部分を占める電気

2011-03-24 06:19:50 | 日記
今や電気は人間が生活する上で重要な部分となった。従って、電力政策は、エネルギー政策の中で最も重要であることが証明された。節電と云う言葉は、今後、当分の間頻繁に使われることになるだろう。それにも増して、計画停電、このまま行くと今年一杯、あるいは来年まで続くことになるかもしれない。たった一つの発電所を失うことの意味は、これほど大きいものなのかと今更ながら気持ちを引き締めている。
電気が人間だけに影響を及ぼしているだけではない。動物園、博物館、水族館、植物園などの施設にも極めて大きい影響が及んでいる。また、最近では、野菜の栽培などのハウス物といわれているものや、牛や豚などの飼育にも影響が出るのではないだろうか。動物や植物にとっても、人間が育てるということで電気を使っていることが多く見られる。
産業用の電力は、家庭用電力とは変電所が異なり、電力の使用量は多いが、制御が出来るようになっている。但し、此れは大手企業に限ったことであり、中小企業にとっては大変な影響が出ている。商店街は、この計画停電によって影響が大きく出始めている。
電力を今のままで使うためには、節電だけで済むのだろうか。計画停電を無くすためにはどうしたらいいのか。電気の使用量を絶対的に減らすことが出来るように考えなければならない。今はまだ冬、春になると電気の使用量が今より少し減るという。しかし、その後の夏になると、大変な増え方になる。問題は夏の電気の使用量である。
昨年の酷暑のときには、冷房で何とか切り抜けたが、今年はそれが出来なくなった。どうすべき可は国民が考えることになる。今よりも、もっと烈しい計画停電が必要になるかもしれない。生活のパターンを変えなければならないだろう。電化製品は出来るだけ抑えて使うことも必要になるかもしれない。出来そうで簡単には出来るものではないが、やらなければならない。
原子力発電所に反対してきた方々は今の事態を喜んでいるのだろうか。原発が一つ減ったのだから。若し、原発を全廃するとなると、今の日本人の生活はどのように変えなければならないか。生活に占める電気の重要性と原発全廃と比較しなければならなくなっている。
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何故もめている、セリーグ開幕

2011-03-23 16:09:23 | 日記
プロ野球のセントラルリーグの開幕がもめている。問題は、東京ドームである。この球状、使用する電気量が膨大である。1回使用すると数千軒に昇る電気を使用することになる。現在、関東地方は計画停電の真っ最中。一般家庭に節電を強いられている最中に、スポーツ競技のために、これだけの電気を使う必要があるのか、と云うこと。
スポーツは、このような時期に必要なのかもしれないが、果たして節電を強いられている人たちの気持ちをどれだけ思いやっているのだろうか。パリーグは、積極的に節電をしようとしている。かえってパリーグの方が一般人には解りやすい様に思うのだが。サッカーは、早々に3月一杯は愚か、4月についても試合を見合わせるという。
スポーツをするという気持ちは解らないではないが、今、国民がどのような立場で生活しているか、と云う認識が必要ではないか。自分たちの主義主張は、果たして国民に受け入れられるかどうかである。何時の時代にも、スポーツと云うのは、犠牲の対象になりやすい。オリンピックの時にも、参加するかしないか、もめたことが幾度もあった。
今回のセリーグの意見は、常識をもって判断すれば住むこと。その常識が働くかどうかである。判断を誤ると後でしっぺ返しが必ずある、と云うことも忘れないで欲しい。
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福島原子力発電所の職場を放棄した保安院検査官

2011-03-23 14:11:00 | 日記
福島原子力発電所に勤務していた保安院検査官が、地震後に7日間も現場である職場を放棄して福島県庁にいたという。賢いといえば賢い。何故なら、原子力発電に関する危険性を最もよく知っているからである。津波を被っていて、破壊されているのを見て、これは危険だ、と云うことを察知したに違いない。
通常、一般企業であれば、このような人間は即時解雇処分に相当する。会社が危険に晒されている時点で最も重要な仕事をしている人間が、職場放棄をしていることが解った時点で就業規則違反となる。若し、危険が迫っているなら、まず上司に報告をしてその結果職場を離れることの了解をとってから離れることになる。
公務員の場合、この場合は保安院検査官の場合は、どのような規則になっているのだろうか。自分だけさっさと逃げて、後はどうなろうとかまわない、と云うことなのだろう。だから危険な場所から逃げていったのである。日本には責任をもって仕事をする公務員はいないのだろうか。特に保安院検査官は、その仕事の性格から、最後まで責任ある立場にいるはず。情けないと思わないのだろうか。
大体、現場にいなくて検査をすることが出来るのだろうか。検査官の仕事とは、現場を良く見て、調べて、実際に検証して初めて検査をしたということになるはずだ。保安院検査官は、そのようなことをしないで検査結果を書くことが出来る部署なのかもしれない。すべてを発電所の職員に書かせて、それをチェックするだけなのだろう。
そして、恰も何もなかったかのように振舞っていれば、自然に給料が上がり、昇格する。なるほどうまく出来ている組織である。日本中の公務員の組織の典型である。税金の無駄遣いの最も大きいのが公務員給料なのだから仕方がないのか。南無阿弥陀仏。
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危機管理の考え方

2011-03-23 08:20:11 | 日記
危機管理は事故や事件が起きると見直されることが多い。今回の地震や津波による原子力発電所の損害も、見直されることになるだろう。危機管理は、もっと身近な身辺でも考えなければならない。自分の身の回りをよく見てみると、もし、地震が起きたなら、もし津波が到来したら、若し火災が発生したら、若し交通事故に遭遇したら、若し大病に罹ったら、など様々な場面が考えられる。
人間、活動していたらどのような危機に遭遇するか解らない。それをすべて対応できるようにすることは出来ないが、少なからず対応できるような体制を取っておかなければならない。時に、今回のような地震や津波は、人災ではなく自然災害である。
危機管理の考え方として、最小限度に食い止めるようなことは常日頃考えておく必要性は今回の地震や津波で見直すことになるだろう。それでは、何を目安に、どのような対策をして於いたらいいのだろうか。家にいる時と、外出先や旅行に出かけている時では違ってくる。いつも身につけて置かなければならないものは何なのかと云うことであろうか。
もう一つ、家以外にいる時に遭遇したときには、自分はどのように行動したらいいのか、と云うことを考えなければならない。即座の判断が必要になることもある。判断が正しいか間違っているか、結果を見なければ解らないことも多くある。自分の過去の経験と照らし合わせて行動することが重要ではないか。
建物の中にいる時に、大地震が襲ってきたらどのように行動しなければならないか。自分の家なら、どの程度の地震なら大丈夫なのか、ある程度判断は出来る。しかし、外出先の建物の場合は、判断することは中々難しい。小生は、今回の地震のときには、鉄筋コンクリート造りの二階にいた。柱の間隔から、揺れ具合を見て、このままいた方がいいのかどうか、考えたが、その場いいることにした。司会、あの揺れがもっと強くなり、長時間揺れていたら、あの建物は崩壊していたかもしれない。
危機に遭遇するというのは、偶然が重なるということかもしれない。遭遇するかしないか、自分にも解らないことだが、普段から頭の隅の方に置いておく、と云うのが小生の気持ちでもある。
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原子力発電所の安全とは何か

2011-03-22 20:04:32 | 日記
原子力発電所の水深医院が、原発の安全性についての想定が間違っていたということを認めた。総てのことについていえることだが、安全とは何か、と云うことをもう一度考える必要がある。特に原子力発電所の場合は安全性をとことん追求しなければならない。
過去に、スリーマイル島やチェルノブイリで大事故が発生している。これらの事故を踏まえて安全性の設計をしていたと思ったが、そうではないようだ。過去には考えられなかった事項もあったはずだが、見過ごされてきたということだ。よく問題になるのが自動車についてである。先般、トヨタ自動車の急加速問題でアメリカで調査されたが、人為的なもので設計上のことではないことが解った。
原子力発電の場合は、二重、三重、四重に渉る安全を確保するのが当然のことである。今回の事故では、想定外の津波が押し寄せたというが、海岸に近い所に設置するということは、当然津波のことも考慮に入れていたはずだ。例えば、特に重要な機器については、公書の備え付ける、などは考えられることである。平地に備えること事態安全性を無視しているとしか云えない。
耐震性は重要なことであるから、今回の地震では重要な機器については問題がなかったようだ。今後は、耐震性と同じように津波についても充分に考慮した設計や場所を考えるべきである。現在設置されている他の場所の原子力発電所はどうなっているのだろうか。事故にならないうちに早急にやれることはやらなければならない。地震や津波などの自然現象は何時遣ってくるかわからないのである。
安全は何も起らなければ忘れられるものである。普段から安全を気にするくらいがいいのである。突然遣ってくる自然災害は遠慮会釈なくすべてを破壊するのである。このことを忘れないためにも、今からでも遅くはない。安全の基本をもう一度考え直すチャンスでもある。
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