一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

放射線に過剰反応

2011-03-20 11:35:47 | 日記
このところ放射線に過剰反応を示している。原子力発電所から漏れているといわれているが、今のところ人体への影響が出るほど漏れているわけではない。何か過剰反応しすぎていないか。世界には、通常の放射線よりも一桁上の反応を示す地域があるという。
例えば、中国の雲南省、ブラジルなどである。これらの地域にはレアアースが多く産出されるといわれている。これらの地域には多くの住民が通常通り暮らしているのだ。昨年中国が輸出を制限したのでも知られている、あのレアアースである。今、世界各国で注目を浴びているが、放射線がそれほどもれていないということを、もっと伝えるべきではないか。アメリカやフランスなどは必要以上に過剰反応を示している。これらの国の法律や規則では日本よりも厳しい基準を設けているからであり、日本の基準は決して国際基準以下ではないということである。
ものの考え方の違いで、アメリカやフランスの基準を世界の標準と勘違いしている人が如何に多いかである。アメリカが世界基準ではない。アメリカンスタンダードがワールドスタンダードではない。アメリカが言うと、まるで世界基準だといわんばかりであるが、まるで勘違いである。
日本に滞在している外国公館の人たちを非難させている国は、自分たちの基準に基づいているだけで、決して世界標準で行っているのではない、と云うことを日本人は自信をもって訴えてもいいはず。過剰反応に便乗している日本の評論家たちは、もっと勉強しろ、といいたい。
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新しいエネルギー源を考えよう

2011-03-20 06:15:31 | 日記
その昔、通産省は新エネルギー政策を提案し、将来の道を作った。サンシャイン計画とムーンライト計画であった。サンシャイン計画は、現在実施している、太陽光発電や風力発電である。ムーンライト計画は、燃料電池である。
原子力発電に替わる新エネルギーは、すんなりと進むことはなかった。要は、発電コストである。現在の火力発電、水力発電、原子力発電と比較すると発電コストは高すぎるのである。多少の高さなら技術革新の進歩によってコスト低減は可能であるが、多少ではなかった。
新エネルギーは原子力発電に替わるものにはならなかったのである。代替エネルギーが注目されたのは、環境保護のことからである。自動車は、電気に変えることによって一酸化炭素の排出を減らすことが可能になった。過程の電気は、太陽光発電によって、電力の大体をすることが出来るようになった。問題は、産業用の電力である。これを代替エネルギーにするには相当のコストを覚悟しなければならなくなる。
産業用の電力を賄うだけの代替エネルギーは極めて難しい。となると、家庭用の伝記を代替エネルギーにするのが手っ取り早い。問題は発電コストである。設置費用、ランニングコスト、耐久性、などを換算すると、現在の電力コストには敵わない。これを打開するためには、技術開発しか方法は見当たらない。少なくとも、家庭用電力はどのような形にすればいいのか、国がもっと真剣に考えなければならない。
原子力発電には様々な問題がある。それは最初から解っていたのだが、政府は国民に情報を公開しないまま踏み切ったことに問題がある。原子力発電の割合は発電量全体の30%を超えている。これを他のエネルギーに転換するのは、50年、100年はかかるのではないか。そのくらい大きなものになっている。
原子力発電に依存している現状を、否定的に捕らえる人たちがいるが、彼らは、唯反対するだけで具体的な提案など一切ない。肯定的に捉えているからといって、すべて賛成と云うことではない。火力発電でも、石油が永遠に出てくるというものではない。将来どのような発電がいいのか、理想論ではなく現実論での提案をしなければならない。電気は現代生活ではなくてはならないものだ。
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