一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

政治家よ、東北大震災の復興を考えたら?

2011-03-31 19:48:00 | 日記
豊北地方の大震災に対して早期の復興を果たさなければならない。こんな時に、政治家はとても静かなのが不思議だ。いつも気勢を上げている野党の幹事長も、どういうわけか静かにしている。こんな時にこそ、政治家の出番ではないのか。人のために動かない政治家なんて、ただの人よりも始末が悪い。
大連立の話が出掛かっているが、連立を組む、組まないなどといっている時間があるのだろうか。困っている国民が数十万人いるのを政治家には見えないのか。地元の政治家よりも地元以外の政治家は、何故助けようと積極的に働かないのか。要は、票に繋がらないから何もしないと云う浅はかな考えに過ぎない。票しか見えない国会議員の姿は、まるで投票用紙の塊と同じ。投票用紙を体に巻いて動いているのだ。
国会議員は選ばれた地区の代表であると同時に国の代表でもある。ということは、全国どこの場所で何が起きようと、そこへ行って助け舟を出すのが勤めであろう。自分の地区ではないから関係ない、と云う国会議員は辞めて県会議員にでもなればいい。国会議員の定義をよくみて欲しい。
政治家が積極的に動いて震災復興を早くやるのが勤めだということを忘れている国会議員が沢山いることにうんざりする。小生の地区から選出された国会議員も、何かしているようには見えない。どうしているのだろうか。次の選挙では、こんな議員には投票しない。
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物が壊れない前提、こんなのあるの?

2011-03-31 13:36:45 | 日記
今回の原子力発電所の受けた損害は、計り知れないものがある。その中でも、圧力容器の損傷は、どうしてこのようなことが起きてしまったのか、原因究明が避けられない。設計では、この圧力容器は壊れない前提になっていたという。そんなことってあるの?素人の小生は、物は絶対に壊れない、などと云うものがこの世に存在するという考えは持っていない。
何故こんな前提が出来てしまったのか。それは、設計思想、設計のコンセプトが間違っているのである。このような設計思想の基で設計された原子力発電所は、他の発電所も含めて、問題点続出であるはず。すべての原子力発電所でこのような設計思想に基づいて設計されているとしたら、おしまいである。この考え方を承認したのは、嘗ての通産省であろう。また、専門家集団である原子力委員会は、何故このような設計思想を取り入れてまで原子力発電所を造らなければならなかったのか。
国策と云う考え方が妥当なものだとすると、エネルギー政策を考えるとき、ある意味で欠陥商品を造る事を国が認めたことになる。エネルギーが、どうしても不足するということであれば、国民にそのことを充分説明をし、節電を徹底的に行うように勤めるのが先ではないか。足りなくなるから、欠陥でもいいから原子力発電所を造ってしまう、と云うことを何故強行してしまったのか。
物はいつかは絶対に壊れる、というのは高等教育を受けなくても知っていること。そんなことを大人が、高級公務員が、常識を無視して原子力発電所を造ることは許されることではない。安全を最優先に原子力発電所は造らなければならない、と云うのが世界の常識であるはず。その常識を無視すると、どんなしっぺ返しが来るのか、今回の津波の事故によってはっきりした。
全国の原子力発電所の圧力容器(これだけではないかもしれないが)は、すべて再点検して、事故が起きたときには、それなりの対応処置が出来るように改善すべきである。今から、原子力発電所をすべてストップさせるわけには行かない。動いているうちに、事故が起きないうちに対処すべきである。
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震災孤児、どのように対処するか

2011-03-31 06:05:08 | 日記
今回の大震災で震災孤児が数百人に昇ると予測された。阪神大震災の戸には100人未満だったことを思えば如何に大きかったかが解る。嘗ての太平洋戦争では、数十万人の戦災孤児が生まれ、社会問題になったことがある。今回はそれに匹敵するものではないか。
阪神大震災のときには、彼ら震災孤児たちは、親類に多く預けられたという。今回は、地域が農山漁村に限定され、そこに集中的に災害が起きたこともあり、阪神大震災のようにはいかないのではないだろうか。どちらかといえば、親類縁者が近くに寄り集まったいるようにも見えるのだが。
実態調査はこれからと云う。彼らの処遇をどうするのか。現在の法律ですべて賄うことが出来るのか。いつも思うことは、現在ある法律は、多くの震災孤児が発生することを想定していないはず。したがって、議員立法など、できるだけ彼らが救われる方向で国会などで対応すべきものである。
将来を担うべき子供たちに、日本は国として救わなければならない。少なくとも、箱物に今まで賭けたもの以上に処遇を考えるべきである。日本の将来を担ってくれる子供を大切にすることが最も重要なことである。救うべきときに救う、国民は誰も反対しない。
問題は財源であろう。今審議されている子供手当て、あれは止めて、今回の震災孤児に当てればいいのではないか。震災復興にかかる予算は膨大なものになる。その中に震災孤児を救うための予算を組み入れる。箱物と違って、未来にかけるもの、日本を背負って立つ子供たちに対するもの、である。
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