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一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

原子炉の内部はどうなっているのだろう

2011-03-26 05:45:38 | 日記
今回の地震は想定したものよりも遥かに大きかったという。しかし、津波は実際に想定を超えたものだったが、地震そのものによる損傷は予測できるものであったのではないか。問題は、損傷した部分をどのように修理するのか、修理が可能なのかどうか、と云うことである。物を造るときに、必ず修繕を頭に入れ、設計もそのようにされるのが普通。
今回の損傷で、修理が出来るかどうかの前に、どこがどのように損傷しているか、未だに明確ではない。損傷個所を特定できない以上、修理と云う話は出来ないことになる。損傷の特定が出来て、修理の方法を検討して、修理が可能かどうかを調べ、叶であれば、どのくらいの期間を要するか、修理の方法もあわせて計画を建てなければならない。
装置の修理には、相当の期間が必要になる。すべての個所を丹念に調べなければならないからだ。今回の地震で、眼に見えていない部分が損傷を受けている可能性は高い。果たして、どのくらいの期間で、どのくらいのお金が必要になるのか。若しかすると、廃炉にしなければならないかも知れないのだ。若しそうなれば、電力の供給と需要のバランスが崩れ、現在の計画停電を何年か先まで続けなければならなくなる。
事態は切迫している。節電どころではなくなるかもしれないのだ。新しい発電所を造らない限り、現在の需要を満たすことはできない。発電所を造るとなると、火力か原子力しか考えられない。水力発電所は簡単に出来るものではないからだ。電気の重要性は、現代生活の中で中心的な存在になっている。これからの事を考えると、電力不足の解消を国民が考えなければならない時代になってきた。電力会社に任せているだけでは解決できないということだ。
原子力発電所の内部は航海されているようにそれほど難しい仕組みになっているわけではない。しかし、そこにはきわめて高い放射性物質と、放射能が飛び交っている。チェルノブイリ発電所の爆発を思い出して欲しい。あの強力な放射能が外部に漏れたら、日本列島は住む事ができなくなるのだ。内部破壊が起きているかどうか、これから調査することになるが、心配である。
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急がれる、生活権とライフラインの復旧

2011-03-25 14:41:42 | 日記
生活権とライフラインのすべてを奪ってしまった今回の地震と津波。その範囲は広大で、戦後最大の災害となってしまった。特に生活権を奪われた個人の多さは計り知れなく多い。ライフラインは行政と国が共同して整備することになるのだが、生活圏は個人が遣らなければならない。果たして財力はどうなのか。
少なくとも、ライフラインは早急に整備しなければならない。それがないと生活権を確立することは出来ないからだ。特に住居の建築は、行政と国がどのくらい補助できるのか、と云うことだろう。個人負担、と云うことになると財力が持たないのは確か。特に中高年が多くいる地域が多いという。
街造りがどのような形で行われるのか、と云うことも問題である。昔からあった建物がすべて失われてしまったのだから、スタートからやり直す、と云うことなのだが、行政は全く無視することは出来ない。今後の防災を含めた街造りをしなければならないはず。今回の津波で、10メートルの堤防の上を越えてしまったという事実から、堤防に100%「おんぶにだっこ」云うわけには行かない。
どのような防災を考えればいいのかと云うことである。お金をつぎ込むことになるが、無駄なお金にならないようにするには昔の考え方では駄目なのである。堤防の高さを15メートルにすればいい、と云うものではない。自然災害は予測できないことが多く起きる。考え方の問題であろう。
今回の津波で、5階建て以上の建物がもっと多くあれば、もっと多くの人を救うことが出来たかもしれない。避難場所まで到達するには体力が必要である。防災の考え方も高齢化社会に対応したものに変えなればならない。
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原子力発電所の総点検が必要

2011-03-25 06:20:42 | 日記
今回の地震と津波で、福島原子力発電所は大変な損傷を受けた。この状況から、全国にある原子力発電所の総点検をすべきではないか。勿論、既に手をつけているところもあるかもしれないが、問題は、現在想定されている自然災害をどのようなグレードで考えているかである。
前にも書いたが、自然災害は過去の想定を基にしていると、今回のような事態を招くということである。すべての原子力発電所の設置場所が海岸に沿って造られているという現実を捉えて、海からの自然災害を防ぐことが重要になってきた。陸からの自然災害は、土石流などが考えられるが、是は、地形を見れば良く解ること。
津波と云う正体の知れないものが襲ってくることが、今回の災害を大きくしてしまった。当初の津波の想定が最大7メートルだということは良く聞く。しかし、津波の大きさは地震の大きさにも関係してくるのは専門家なら知っているはず。太平洋プレートには様々なプレートがぶつかっていて、何時大地震が発生するか解らない状況である。それを考えると、少なくとも太平洋沿岸地域に造られている原子力発電所は、津波に対する防備が完全ではないということが出来る。女川原子力発電所の場合は、造られた場所が高台になっていて、今回の津波の影響は受けていない。
日本海側にも原子力発電所が多く存在する。これらの原発も、現在想定されている津波に関しては、考え方を変えなければならないだろう。要は、原子力発電所を造る場所が問題なのである。設計段階で、自身については相当のシミュレーションを行っている。しかし、津波についてはどうなのだろうか。多少は考慮に入れているが、今回の福島原子力発電所に関しては、何か甘いような気がする。
全国の原子力発電所を総点検することで、何が問題なのか、を突き止めるべきである。今から対処できるものは対処し、相当の時間とコストがかかるようであるなら、中長期計画を立てて、改善すべきではないか。発電コストを考えると、相当のお金が加算されるかもしれないが、安全を考えたら、暢気な事はいっていられない。
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計画停電、確かに不公平感ある

2011-03-24 14:56:13 | 日記
関東地方で実施している東京電力による計画停電、すべてに公平とまでは行かなくても、常識的に判断して公平でなければならない。現在の感覚からすると、東京都内は基本的に行われていないという。しかし、東京都に全く住宅地がないといえるだろうか。例えば、江戸川区、葛飾区、江東区、墨田区、荒川区、文京区、練馬区、足立区、世田谷区、目黒区、大田区、杉並区、などは、どちらかといえば住宅地の方が多いように思えるのだが。
住宅地を主体に考えるなら、今の東京都を除外する理由は不公平感を産むことになる。横浜市でも西区は除外されている。どこを入れて、どこを除外するかは難しい問題がある。要は、不公平感が出来るだけ生まれないように区分けするのがいいわけである。
大体、区分けの基準がはっきりしないから不公平感が出てくるのである。人口調査を行っているのだから、人口に世帯数がどれだけ含んでいるかが焦点になるのではないか。例えば、千代田区や中央区などはビジネス街や商店街が多くあるということで、人口に世帯数が含む割合は少ないのではないか。単に人口数の多少ではない。
問題は、夏場であろう。このままいくと、夏場は、相当の時間数を計画停電にしないとすまなくなる。ビジネス街やデパートなどは、節電に相当の努力をして欲しい。一酸化炭素の事を考えると、節電をしてもらうと相当の効果が見られるはず。これも、不公平感がないように、しっかりと節電をして欲しい。
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解りにくい放射線と放射性物質の説明

2011-03-24 09:16:57 | 日記
原子力発電所腹放出される放射線は、事故の直後から表面に出ていた。特に、放水作業をする上での放射線量が問題になっていた。その後、放水作業が一段楽した後に、今度は放射能物質が外部に漏れていたことである。特に水や食料に附着しているとしたら健康被害と云う点で問題が大きい。
しかし、放射線にしろ、放射性物質にしろ、素人には大変解り難いものである。もう少し素人に解るように説明できないものなのだろうか。専門家の話や解説を聞いていると解らない部分だらけである。噛み砕いて説明するのが難しいということであれば、何か工夫をしてもらいたい。
放射線の説明の場合、アルファー線、ガンマー線、デルター線の三種類があって、夫々性質が異なり、消火活動をするときにはどういう点が問題であるか、と云うことを説明すれば解ると思うのだが。例えば、エックス線やCTスキャンなどは馴染みがあるので、これらはどの程度のものなのか、と云うことを説明すれば解りやすい。また、放射線は、何もしなくても眼に見えない形でいつも飛び交っている、と云うことも云う必要がある。また、飛行機に乗ると地上よりも強い放射線を浴びていることも言う必要がある。これらのことを換算して、問題になっている放射線は、通常と比較して今回はどうなのか、と云うことが解ればいいのである。
放射性物質の場合も同じ。今回食品や自ら検出されたというが、通常放射性物質はゼロなのか、と云うことは全く発表していない。今まで、ゼロだったものが今回検出されたということであれば、比較できるのである。
問題が発生した時に、問題になっている数値だけを示して、これは問題がある、と云うのは何かおかしい。何と比較してどのように問題なのかと云うことが不明確だと、本当に問題なのかと云う疑問がわいてくる。解りにくい説明はこんなところから疑問が出るのである。
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